【歌詞考察】高田渡「生活の柄」-吟遊詩人が最期に選んだ一曲

はじめに

みなさんは野宿をしたことがありますか? 草の上で眠りについたことがありますか? こういう質問をすると、皆さんの脳裏にはキャンプや旅の様子が浮かぶかもしれません。しかし、草の上で寝るのは旅人だけではありません。浮浪者、定職を持たず放浪の中で日銭を稼ぐ人もまた、草枕の味を知っている人間です。
今回考察するのは、ギター片手に日本中を旅した流浪のフォークシンガー 高田渡の代表曲「生活の柄」です。浮浪者の流れるような生活をうたったこの曲は、多くの人々の心を揺さぶってきました。その厳しくも美しい詩の世界を味わっていきましょう。

「生活の柄」とは?

「生活の柄」概要

「生活の柄」は、1971年にキングレコードから発表された高田渡のアルバム『ごあいさつ』に収録された一曲です。作詞は詩人の山之口獏が、作曲は高田渡が担当しました。この曲は、1924年に山之口が書いた詩に、あとから高田が曲をつけたもので、原詩と曲の歌詞には若干の違いがあります。ここでは、曲のために高田が手を加えた詞を扱おうと思います。
この曲は高田の代表曲で、高田にとってもお気に入りの一曲だったようです。高田は2005年に放浪中にかかった悪性の風邪が原因の心不全でこの世を去りますが、死の13日前に行なった最後のライブの、最後の曲に選んだのが「生活の柄」でした。

高田渡という人

高田渡(1949~2005)は日本のフォークシンガーで、岡林信康や加川良らとともに関西フォーク・ムーブメントの中心人物として活躍しました。プロテストソングの名手として1960年代後半から1970年代にかけて名曲を世に出しますが、音楽の潮流の変化に乗ることができず、1980年代は苦渋の月日を過ごします。その後は各地を放浪しながらライブを行い、「吟遊詩人」の異名をとりました。しかし2005年に流行していた風邪にかかり、放浪先の北海道で亡くなりました。代表曲は「自衛隊に入ろう」「生活の柄」「大・ダイジェスト盤 三億円強奪事件の唄」「値上げ」。とくに「値上げ」は、ガリガリ君値上げのお詫びCMで流れて話題になりました。

山之口獏という人

山之口獏(1903~1963)は沖縄出身の詩人です。父の事業失敗と上京がきっかけで放浪の生活を始める。様々な職を転々としながら詩作を行ない、佐藤春夫や金子光晴の支持を得た。自身の貧しい生活を笑いを含めた筆致で書いた詩や、反戦詩、沖縄の歴史や文化を題材とした詩を多く残した。「生活の柄」は1924年の作品で、21歳のときに再び上京した頃のことです。

「生活の柄」考察

夜空と陸の隙間で

歩き疲れては 夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです 所かまわず寝たのです

高田渡「生活の柄」

語り手は浮浪者。定職に就くことができず、暖かなねぐらもないため野宿をしなければなりません。昼間さんざん歩き続けた疲労が足に溜まり、仕方なく草むらに体を横たえます。
「歩き疲れては」とあるので、野宿をするのは一度ではないことがわかります。何度も野宿をしてきたのでしょう。生きるためには場所なんて気にせず寝なければならない。そんな浮浪者の悲哀を、ただ哀しくうたうのではなく「夜空と陸との隙間にもぐり込」むという表現を用いることによって詩的なものに変えています。

歩き疲れては草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ寝たのですが 眠れないのです

高高田渡「生活の柄」

歩き疲れたにも関わらず、眠れない。体はすぐに眠れる状態のはずなのに。これはどうしてでしょう。その理由が、このあとの詞で語られます。

野宿の苦労

近ごろは眠れない 陸をひいては眠れない
夜空の下では眠れない ゆり起こされては眠れない
歩き疲れては草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ寝たのですが 眠れないのです

高田渡「生活の柄」

語り手が眠れない理由が、ここから語られます。
まず一つ目が、「陸を引く」。この言葉は、「布団を敷かずに陸に直接体を横たえて寝る」ことを意味しているのだと考えられます。地面は固く、砂利や小石も落ちているので寝にくいのです。
二つ目の理由は、夜空。おそらくこれは夜空が語り手を起こすのではなく、「夜空が見えるような屋外で寝ると、草や虫のせいで寝れない」という意味だと考えます。
三つ目の理由は、揺り起こされるからです。誰に揺り起こされるか? おそらく警察にでしょう。せっかく眠れそうだったのに、警察に「ここで寝るな」と起こされてしまうのですね。

生活の柄

そんなぼくの生活の柄が 夏向きなのでしょうか
寝たかと思うと 寝たかと思うと またも冷気にからかわれて

高田渡「生活の柄」

語り手によれば、浮浪者の生活は夏のほうがしやすいそうです。夏は外で寝ていても問題ありませんが、秋や冬になると寒さが身に染みて、とてもじゃないが眠れない。だから「ぼくの生活の柄は夏向き」なのです。

秋までに……

秋は 秋からは浮浪者のままでは眠れない
秋は 秋からは浮浪者のままでは眠れない

高田渡「生活の柄」

秋になると夜風が冷たくなって眠れない。秋までに何か仕事をみつけ、ちゃんと屋根の下で眠れる場所を見つけないといけない。もし浮浪者のまま野宿生活をしていたら体を壊してしまうに違いない。じゃあどうやって仕事を見つけるんだ? そんなことを考えていると不安になって、眠れない夜がさらに眠れなくなってしまいます。同じ文章を二度続けることで、語り手の不安がより強調されているように感じます。

変わらない暮らし

歩き疲れては 夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです 所かまわず寝たのです
歩き疲れては 草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが眠れないのです

高田渡「生活の柄」

曲の最後は、冒頭と同じ歌詞で締めくくられます。浮浪者として眠るにも苦労を強いられた昔をしみじみと思い出しているのでしょうか。それとも、変えようと思っても変えられなかった浮浪者生活の長さを表しているのでしょうか。

おわりに

「生活の柄」の考察、いかがだったでしょうか。ただ自分の苦労を曝け出すだけでなく、そこにひとさじの詩情を加えているところに、この曲の真髄があるように感じます。
「吟遊詩人」高田渡は、自らの人生の最期の曲に「生活の柄」を選びました。どうしてこの曲を選んだのでしょうか。私は、社会の暗闇に抗うフォークシンガーとして草の根から活動を行なってきた彼の人生を象徴するような言葉がこの曲に込められていたからではないかと思います。
現代社会にも苦しみは依然として多くありますが、苦しさで眠れなくなった人々の枕元でうたってくれるような魅力が、この曲にはあるように感じます。
それでは、またお会いしましょう。
ありがとうございました!

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