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【歌詞考察】サディスティック・ミカ・バンド「タイムマシンにおねがい」―不安の時代に生まれたユカイな祈り

はじめに

 それは、世界中の人々が夢見た魔法の機械でした。
 1895年、作家H・G・ウェルズの小説によって広く知られ、その時間を超越するという機能はあらゆる子供や大人の心を鷲掴み。あるときは車の形に、あるときは引き出しの中に、あるときは戦艦になって時間をひとっとび。その名前は「タイムマシン」。誕生から100年以上経った今でも、世界中の人々に愛され、輝かしい夢や希望とともに語られる機械です。
 今回ご紹介するのは、邦楽史に残るロックの名盤 サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」。このタイムマシンには、いったいどんな夢が詰め込まれていたのでしょうか?

「タイムマシンにおねがい」について

「タイムマシンにおねがい」概要

 「タイムマシンにおねがい」は1974年に東芝EMIから発売されたサディスティック・ミカ・バンド(以下、「ミカバンド」)のシングルで、同年に発売された2ndアルバム『黒船』の先行シングルとして発表されました。作詞は松山猛、作曲は加藤和彦が担当。ミカバンド最大のヒット曲として知られ、荒井由実、のん、ROLLY、相川七瀬など多くのミュージシャンにカバーされている他、アニメ『まぼろしまぼちゃん』のOPや、伊藤園「お~いお茶」のCMソングとして起用されるなど現在に至るまで広く親しまれています。

↑ROLLYによるカバー。ギターとMVが秀逸です!

↑こちらはのんによるカバー。聞いていて気持ちのいい歌声ですね!

サディスティック・ミカ・バンドというバンド

暁の星がたったひとつ
まだ見ぬ世界に輝いていた
墨絵の世界に静かな夜明けが来る

サディスティック・ミカ・バンド「墨絵の国へ」

 サディスティック・ミカ・バンドは1971年に結成されたロックバンドです。元ザ・フォーク・クルセイダーズの天才音楽家 加藤和彦、加藤の妻でボーカルのミカ、元ジャックスのメンバーで日本屈指のドラマーとして名高かった角田ひろ(現つのだ☆ひろ)の三人を初期メンバーに、後から高中正義(リードギター)、高橋幸宏(ドラム、後YMO)、小原礼(ベース、後バンブー)らが加入。1972年にシングル『サイクリング・ブギ』でデビューし、73年には1stアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を発表。これがイギリス・ロンドンでヒットすると、イギリスの音楽プロデューサー クリス・トーマスのプロデュースの下、2ndアルバム『黒船』を制作。国内外から高い評価を受けます。3rdアルバム『HOT!MENU』を発表後、加藤とミカが離婚したことでミカをボーカルに据えた「ミカ・バンド」は解散します。
 しかしバンドとしての活動はその後も続き、1989年には桐島かれんをボーカルに「Sadistic Mica Band」が、2006年には木村カエラをボーカルに「Sadistic Mica Band Revisited」が結成されました。ただ、2009年に加藤和彦が急逝、2023年に高橋幸宏が死去してからは活動は行われていません。
 代表作は「タイムマシンにおねがい」「墨絵の国から」「サイクリング・ブギ」「Boys & Girls」など。

「タイムマシンにおねがい」考察

最初の旅:ジュラ紀の世界へ!

さあ 不思議な夢と、遠い昔が好きなら
さあ そのスイッチを遠い昔に廻せば

サディスティック・ミカ・バンド「タイムマシンにおねがい」

 さあ、タイムマシンの旅に出発しましょう! ところでこのタイムマシン、いくつか特徴がありまして。まず過去にしか飛べないんですよね。未来には行けない。でもでも、過去には「不思議な夢」がいっぱい。世界の様子も、服も食べ物も慣習も違います。そしてこのタイムマシンは、スイッチを「廻す」らしい。昔は「テレビのチャンネルを回す」と言っていましたが、まさにそんな感じでしょうか。しかも「回す」ではなく「廻す」。輪廻の「廻」です。時間を飛び越える様子は、輪廻転生のようではありませんか!

ジュラ紀の世界が広がり
はるかな化石の時代よ
アンモナイトはおひるね
ティラノサウルスお散歩 アハハン

サディスティック・ミカ・バンド「タイムマシンにおねがい」

 最初に訪れるのはジュラ紀です。ジュラ紀とは、今から2億100万年前~1億4500万年前ごろ、「はるかな化石の時代」とあるように恐竜たちが生息していた時代です! この世界でアンモナイトがお昼寝をし、陸上ではティラノサウルスが巨体を揺らしながら歩いています。博物館のイラストや、恐竜図鑑の挿絵のような夢の世界ですね!
 ただし、この歌詞にはひとつ気になる点があります。それは、「ティラノサウルス」と「ジュラ紀」の組み合わせです。恐竜にお詳しい方はお気づきかもしれませんが、ティラノサウルスはジュラ紀の時代に生きていないのです。ティラノサウルスが生息していたのは、今から7000万年前~6600年前の「白亜紀」と呼ばれる時代。なので、ジュラ紀には生きていないはず。これは作詞家のミスなのでしょうか。それとも……?

2つ目の旅:狂騒の黄金時代

さあ 無邪気な夢のはずむすてきな時代へ
さあ タップダンスと恋とシネマの明け暮れ
きらめく黄金時代はミンクをまとった娘が
ボギーのソフトにいかれて
デュセンバーグを夢見る アハハン

サディスティック・ミカ・バンド「タイムマシンにおねがい」

 さて、恐竜が住む大昔の世界を味わったあとは、富と夢がきらめく「黄金時代」へ旅立ちましょう。黄金時代、つまり第一次世界大戦が終結した1920年代のアメリカです! 第一次大戦中、アメリカは連合国側に多額の借款を供与し、大量の軍事物資を提供しました。戦後はその債権を利用して大きく経済成長を遂げ、一躍国際金融市場を席巻。経済発展と同時に、政治面では女性参政権の導入され、産業・文化の面でも様々な革新が起きました。
 歌詞に注目すると、まず「タップダンス」と「シネマ」。この時期、アメリカ人の社交場としてダンスホールが各地で開業。とくにタップダンスが人気を博しました。また、映画館も人気の娯楽施設でした。1922年に初の総天然色映画『恋の睡蓮』、1927年に初の音声付き映画『ジャズ・シンガー』が公開されるなど、それまでの白黒無声映画とは一線を画す新作が人々の心を躍らせました。
 ファッション界では「ミンク」が人気になります。「ミンク」とは、動物のミンクの皮のことです。アメリカンミンクは高級な衣服に用いられるので、この「娘」はきっとお金持ちのお嬢さん。そんな彼女を魅了するのは「ボギーのソフト」。「ボギー」は言わずと知れたハリウッドの名優・ハンフリー・ボガートのことです。「ソフト」とは、彼が映画『カサブランカ』で着用していたソフト帽のことだと考えられます。ダンディーなボギーに、女の子はメロメロ、というわけですね。
 「デュセンバーグ」はアメリカの高級車です。その中でも1928年に発表された「モデルX」は、1920年代の繫栄を象徴する豪華車として知られます。映画にダンスに車にファッション。「黄金時代」の名にふさわしい華やかな時代です。
 ただし、ここでもひとつ違和感があります。それは、「ボギー」です。先述の通り、ボギーとはハンフリー・ボガートのことですが、彼は1920年代の「黄金時代」に活躍した俳優ではありません。彼のデビューは1930年公開の『河上の別荘』。この時、アメリカでは既に「黄金時代」は終焉を迎え、1929年の「暗黒の木曜日」に端を発する大恐慌に突入していました。「ミンクをまとった娘」がボガードの演技にみとれる、というのは有り得ない話なのです。これも作詞家のミスなのでしょうか。それとも……?

↑ハンフリー・ボガート主演『カサブランカ』

3つ目の旅:ハイカラな鹿鳴館時代

さあ 何かが変わる そんな時代が好きなら
さあ そのスヰッチを少し昔に廻せば
鹿鳴館では夜ごとのワルツのテンポに今宵も
ボンパドールが花咲き 
シルクハットがゆれるわ アハハン

サディスティック・ミカ・バンド「タイムマシンにおねがい」

 狂騒の1920年代アメリカを堪能したあとは、「何かが変わる」時代に行ってみましょう。そう、明治10年代後半(1883~1887)の「鹿鳴館時代」です。鹿鳴館とは、1883年に建てられた日本の外交施設で、国賓や外交官たちを招いたダンスパーティーが行なわれていたことで有名です。西洋人と日本人が、華やかな衣装に身を包み、手を取り体を支える。その裏では、井上馨をはじめとする日本の政治家たちが不平等条約の改正に動いていました。まさに「何かが変わる」時代だったわけです。
 「ボンパドール」とは、フランス発祥の髪型のこと。貴婦人にふさわしいふわりとした髪型です。「シルクハット」は、もちろん帽子のこと。明治期はすでにシルクハットが輸入されており、日本の貴族や政治家はファッションアイテムとしてシルクハットを愛しました。おしゃれな衣装と髪型で彩られた社交場の様子が想像できますね!

タイムマシンに「おねがい」

 さて、歌詞の中で語られているタイムスリップはこれでお終い。ですが皆さん、この「タイムマシンにおねがい」というタイトル、少し気になりませんか。なぜ「おねがい」なのか。スイッチを回しているのは語り手自身のはずですし、電子レンジで食べ物を温めるとき、「電子レンジさん、おねがいします!」なんて言いませんよね。語り手はなぜタイムマシンに「おねがい」と言っているのでしょうか。
 ここでひとつの仮説を立ててみましょう。この曲は、「語り手がタイムマシンに乗って旅をする様子をえがいた」のではなく、「タイムマシンに乗って旅をしたい、語り手の妄想をえがいた」ものである、と。語り手はタイムスリップをしたい。でもタイムマシンはまだこの世にない。過去の世界を想い浮かべながら、「タイムマシンがあったらいいなあ」と祈っている。それがこの曲なのではないか。
 そうすると、これまで浮かんだ様々な疑問点が意味を持ってきます。ジュラ紀なのにティラノサウルスが生きている矛盾。1920年代にハンフリー・ボガートが人気を博している矛盾。こうした矛盾が成立するのは、このタイムトラベルがすべて語り手の妄想だったからこそ。語り手はなんとなく過去を夢見ていますが、その過去について詳しいことを知らないのです。まさに「アハハン」としています。

「タイムマシンにおねがい」の時代

 最後に、なぜこの曲が世に放たれたのか。その時代背景について考察したいと思います。
 「タイムマシンにおねがい」がリリースされたのは1974年。この時代は、日本史のなかでも重要な節目の年でした。高度経済成長が終焉を迎えたのです。前年の73年に第一次石油危機「オイルショック」が起きた日本は、そこから経済状況が急速に悪化。1974年に戦後初のマイナス(-1.2%)を記録しました。高度経済成長が終わり、ここから日本経済がどうなっていくのか。社会には不安な空気が広がっていました。
 経済以外にも、1974年は第二次ベビーブームが終わった年でもありました。1950年代後半からじわじわと伸び続けた出生数は、73年をピークに低下していきます。これが現代まで続く少子化につながっていくわけです。74年は久しぶりに子どもの数が減っていった時代でもあるのです。
 新聞やテレビが報じるのは、華やかな時代が終わったこと、そしてこれからの日本。どうなっていくのか。どうなってしまうのか。不安で満ちた時代に生きる人たちは、こう思ったかもしれません。「あーあ、もっとわくわくする時代に生きたいなあ」。そんな時代の空気、過去の繁栄に対する人々のあこがれを反映したのが、「タイムマシンにおねがい」なのではないか。私はそう思うのです。

おわりに

 「タイムマシンにおねがい」、いかがだったでしょうか。1974年から50年以上経った現代でも、不安や課題は山積み。思わず過去に逃げてしまいたくなるかもしれません。2024年現在、まだタイムマシンは開発されておらず、タイムトラベルは夢のまた夢ですが、もし過去に飛びたくなったらこの曲を聴いてみましょう。ちょっぴり心が楽しくなってくるかもしれません。
 それではまた次回お会いしましょう、ぐーばい!

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