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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】 最愛 #5


僕らが一緒に住んで、二年が経った。
涼子の悩みは、深くなっていた。
 
涼子は「子供が欲しい」と、僕に言った。
僕も子供は大好きだから、「彼女の思いに応える」と言った。
 
二人でできる努力は全部やっているのだが、残念ながら兆しは見えなかった。
 
彼女は、子供の頃に両親が離婚し、とても悲しい幼少期を過ごしたそうだ。
だから、自分はできるだけ早く、愛する人に巡り合い、その人の子を授かりたい。そして、その子を大切に、幸せに、育てたいと、思っていたそうだ。
 
だが、上手くはいかなかった…
 
その年の9月に、涼子は遅い夏休みが十日間も取れる事になった。
まとまった長期休暇は本当に久しぶりだ。
 
二人で裏磐梯へ行く事にした。
涼子がダリ美術館へ行きたがったからだ。
 
僕は十日間にも及ぶ旅行プランを入念に立てた。
 
そして、僕らは車に乗り、早朝の高速道路を北に向けて走った。
 
 
裏磐梯のホテルに滞在して三日が経った。
どの日もすべて快晴で、清々しい陽気だった。
空気は澄み、気温は不快なほどには高くない。
何より涼子だ。彼女はここに来てからずっと笑顔を絶やさなかった。
その笑顔につられて、僕もずっと笑って過ごした。
 
着いた日の午後から日暮れまでダリを楽しんだ後は、僕らはホテルから遠くに出る事はしなかった。
朝食を取った後、すぐに部屋の掃除をしてもらうように手配して、二人で散歩した。
五色沼を一つ一つ制覇するつもりだ。
散歩から帰ると昼食を取り、その後はずっと二人で部屋のバルコニーにあるデッキチェアーに寝そべり、本を読んで過ごした。
本を読む? 読むのは数ページだけ、後は覚えていない。爽やかな風が眠気を誘うからだ。
いけないのは、涼子だ。デッキチェアーに座って、暫くすると「ブランケット、取ってくれない?」といつも言ってくる。僕は涼子に渡し、自分の分も持ってくる。ブランケットなんて羽織ったら、眠くなるに決まってる。
 
大体、カラスの鳴き声で目が覚める。
陽は傾き、バルコニーをオレンジ色に染めている。
 
よく寝たなあ。
 
涼子はまだ寝ている。
 
僕は一人部屋に戻り、時間を確認する。
大好きな阪神の試合が始まる時間だ。
メジャーリーグには全く興味がないが、僕は阪神タイガースが大好きだ。
僕は冷蔵庫から缶ビールを出し、部屋の有料チャンネルで阪神の試合を見る事にした。
 
「また、阪神?」涼子が起きて、部屋の中に戻ってきた。
「だって、今年も優勝できそうなんだぜ。」
この点は、涼子は僕と意見を異にしていた。
川越生まれの涼子は、熱狂的な西武ライオンズファンだからだ。
セとパの違いはあれど、獅子と虎だ。仲良くなれるはずもない。
 
「お腹空いた。温泉入ってから、食事にしない?」
 
後、十分で試合開始なのに…
 
涼子は、さっさと浴衣と羽織に着替えた。
慌てて、僕も風呂に行く準備をした。
阪神は、ラジオを聞く事にした。
 
 
翌朝。
今日のお昼にここを出て、田沢湖へ向かう事にしていた。ひょっとしたら、紅葉の始まりに遭遇するかもしれないと期待しての事だ。
僕らは恒例となった朝の散歩に出かけた。
五つの沼を回るのは結構大変だったが、どの水辺も大変素晴らしく、いい想い出になる景色だった。
今日は最初の日に訪ねた毘沙門沼を眺めに行った。
朝早い沼は観光客もまだ来ておらず、静かに水を湛えていた。
森では鳥が鳴き、風が吹くと枝が揺れ、サワサワと涼しげな音を立てた。
僕らは水辺のウッドデッキに立ち、景色を見ていた。
 
僕の前で背中を向けていた涼子が、不意に僕の方へ振り向いた。
「もう帰りましょう。」
「もうって、来たばっかりだぜ。お腹空いたの?」
「違うわ。ホテルじゃなくて、東京へ。」
「えっ?田沢湖は?」
「もういいわ。心配だから。」
「心配って、何が?」
「体調よ。」
「風邪でも引いたのかい?」
「違うわよ。鈍いのね。出来たのよ、やっと。」
「出来た?… ひょっとして…」
「そう、間違いなさそうだわ。」
「良かった!おめでとう!」
「おめでとうって、何よ?変だわ。」
「変かい?」
「そうよ、変よ。」涼子は、ちょっとふくれっ面になった。
「おめでたいんだから、おめでとうでいいじゃねえか…」僕は小声で独り言を言った。
 
「何か、私に言う事ない?」
「何だ、それ?」おめでとうって言ったら、怒ったくせに…この上、僕は何を言えばいいというのだろう?
「こんなきれいな場所で、こんなにピカピカの朝の光で、絶好のシチュエーションだわ。」
「奇麗だね…とか?」
「違うわよ。プロポーズの言葉とか…」
「あっ、ああ… なるほど…」
「言う?」
「佐伯涼子さん、一生側にいてください。」
「先に死んじゃ嫌よ。」
「何だ?それが答え?」
「いいわ。いてあげる。」
僕らは、水辺でハグをした。
心なしか、僕も彼女もお腹を気にして、ぎこちないハグだった。


 

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