【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】 最愛 #6
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結婚式の後、涼子は僕に「会社を辞めたい」と言ってきた。
「息子が生まれてきたら、赤ん坊のうちは、一日中側にいて愛情を尽くし、少なくとも中学を卒業するまでは、息子の帰りをいつも家で待っている母親でいたい。」そう言った。
僕は「分かった。」と、答えた。
9月に息子は生まれてきた。
涼子は、決めていた「舜」と名付けたいと、僕に言った。
「舜」いい名前だ。僕は同意した。
それから間もなくして、昔いた広告制作会社で一緒だった武藤に電話した。
彼は今、自分のプロダクションを立ち上げていた。
武藤は、快く僕を迎えてくれると約束してくれた。
家族のためだ。もう、昔のような失敗はできない。
僕は、決意を胸にまた広告デザインの世界へ戻る事にした。
武藤の会社に入って、半年間は殆ど「リハビリ期間」だった。
僕は、雑誌に載せるグラフィックは全てアクリル絵の具で手描きだったため、最新のマックの使い方がまず分からなかった。打ち合わせの内容も言葉が違っていてチンプンカンプンまでは言わないが、殆ど理解していないに等しかった。
デザインの世界も、流れ作業になっていると感じた。複数のデザイナーが一つのビジュアルを手分けして作成する、それが当たり前のようだった。
最初は、僕もその行程の中の一つのピースになればいいと、考えた。
その方が、圧倒的に気が楽だった。全体を見てくれる監修者がいるのだ。自分は自分の担当するパートだけをやればいい。これなら、破綻する事もないだろう。
仕事の要領が分かってくると、どんどんストレスは少なくなっていった。
逆に楽しいとさえ思えるようになってきていた。
そこへ、大きな出来事が襲った。2008年の秋になっていた。
リーマンショック。
最初は、TVニュースで聞くアメリカの金融危機とだけ認識していた。
やがて、その大波が、日本経済を襲った。
企業はこぞって、広告費を切り詰められるまで切り詰めた。背に腹は代えられない。そういう事だ。
仕事が徐々に減ってきたなあという感じではない。あっという間に、ガタッと広告デザインの発注がなくなった。ペンディングではない。来るはずだった仕事がなくなったのだ。
武藤は、僕に「すまないが、今月で会社を辞めてくれないか?」と言った。
彼は十人もいた社員を全部、辞めさせる事にした。
後は、自分の腕一つで乗り切るつもりだと言った。
「仕方ないな。」僕はそう言い、僅かばかりの退職金を受け取り、武藤の会社を去った。
朝「行ってきます。」と、普通に家を出て、帰ってきたら「会社を辞めてきた。」と、涼子に告げる羽目になった。
涼子は、「大丈夫、あなたならきっと、何とかなるわよ。」と答えた。
息子の舜は、まだ一歳なったばっかりだ。
ホント、どうする?どうしたらいいんだ?
大丈夫、きっと何とかなる。
彼女は、また同じ事を言った。不思議に心が落ち着いてきた。何の魔力があるというのだ?
大丈夫、きっと何とかなる。
僕が、涼子のこの言葉に救われたのは、何度目になるのだろう?
そして、今回も何とかなるんだろうか?
翌朝からは、電話をかけまくり、メールを入れまくった。昔の名刺を引っ張り出し、仕事で関係のあった人に片っ端から、連絡してまわった。デザインの仕事なんて、拘ってはいられない。雇ってくれるなら何でもするつもりだった。
ある仕事で、ご一緒した豊川さんという壮年のフリージャーナリストに電話した。
彼は「力になれるかどうかは分からんが、話だけでも聞こうか。」と、言ってくれた。
翌日、僕は豊川さんと会うために、池袋へ向かった。
池袋では、立教大学近くの純喫茶で、豊川さんと会った。一緒に仕事をしたのは、もう6,7年前だ。豊川さんの頭はより白くなっているような気がした。
「大西君、久し振りだねえ。」
「ご無沙汰しております。」
「ここには迷わず来れたかな?」
「いや、多少うろうろしましたが、お約束の時間より早く池袋に着きましたので…」
「君は今は?」
「下北に住んでおります。」
「そうか、じゃあ、あんまりこの辺は明るくないかもな…」
「豊川さんの事務所は、この近くなんですか?」
「事務所兼自宅ね。ああ、すぐ近くだよ。狭いし、うるさい婆さんがいるもんでね。ここにしたんだ。で、仕事を探してるって?」
「そうなんです。何か、ありますかね?僕はずっと広告デザインの仕事しかしてなかったのですが、この際、何でもやろうと思ってます。」
「広告デザインだけじゃないだろう?美しい絵を描いてた時期があった。」
「あれ、ご存じでしたか?」
「僕はねえ、あの雑誌が好きでね。定期購読してるんだよ、未だに。あのHappy Newsのコーナーは良かったなあ。心が洗われた。」
「ありがとうございます。嬉しいです。」
「でだ。あん時の気持ちのままに、ライターをやってみんかね?」
「ライターですか?」
「そう。色んな出来事を記事にする。どうだい?」
「僕に務まるでしょうか?」
「それは分からん。しかし、何とかなるような気はしておる。」
まただ。何とかなる… 本当なのか?
「分かりました。修業させて下さい。」
「修業?バカ言ってもらっちゃ困る。採用、すぐ最前線だよ。」
「最前線?はあ…」
豊川さんが、フリーライターが集まるユニオンと呼ばれる緩い互助会団体を紹介してくれる事になった。
僕は不安な気持ちのまま、家に帰った。帰り道で、そう言えば豊川さんを紹介してくれたのも編集者だった頃の涼子だった事に気づいた。涼子の伝手だ。きっと、何とかなるだろう…
一週間後、僕は豊川さんに呼ばれ、神保町へ行った。
ユニオンと呼ばれる事務所は、古本屋のビルの3階にあった。
ユニオンでは、代表という名刺を持っている片岡さんという老人と面会した。
「大西達哉さん…おいくつですか?」
「32です。」
「若いねえ。もうちょっとで、私はトリプルスコアだね…あっ、違うか…トリプルじゃあ、私あ、96になっちまうね…はっはっは…ここ、笑うとこだよ、君。」
「片岡さんはねえ、東京中のフリーライターから、編集長って言われている存在なんだよ。下手なジョークは好きだけどね。」と、豊川さんが助け舟を出すように言った。
「もっちゃん、「下手な」は余計だよ。」
豊川さんは下の名前が素夫なのだ。だから、もっちゃんと呼ばれているのだろう。
「すいません。で、大西君ですが、仕事を回してもらえますかね?」
「あっ?ああん。未経験者だからね。いきなり何でもって、訳にはいかんだろうね。しかし、WEBの仕事ならあるぞ。しかも子供向けのね。」
「子供向け?」
「ああ、子供に親が読んでやる絵本のような構成のHPだよ。絵も描いてもいいぞ。」
「絵も?」
「上手だろう、君は。あのアフリカ人の女の子の絵は秀逸だったぞ。」
「見て下さってたんですか?」
「ああ、見た。私もねえ、あのページのファンだったんだよ。WEBの仕事、やってみるかい?」
「お願いします。」
涼子のいう事は本当だ。本当に、何とかなる…
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