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【創作大賞2024恋愛小説部門応募作】 レナ①

【あらすじ】
レナは東京大手町で働いているごく普通のOLだった。彼女は、仕事だけに自分の人生を捧げるつもりがなく、色々な経験をしようと思って生きていこうと思っていた。
だからレナは会社を辞めて、旅に出る事にしたのだ。
気ままに日本中を旅してまわる。
しかし、その旅には目的があった。

【本編】

レナは、何もなくなって白くなった部屋をもう一度、見た。
 
部屋は、何もなくなると白く見えるのは何故だろう?と、考えた。
 
部屋を出て、鍵を閉めた。
 
すぐにマンションを出て、歩いて管理会社にその鍵を返しに行った。
 
そして、マンションの客用スペースに止めた自分の車に乗り、レナはこの街を出た。
 
 

1か月前、レナは、心を決めた。
 
そして、手頃な車をネットで探した。
 
見つけた。程度もよく、しかも安い。
 
すぐに入札したら、何と持ち主自身から連絡が来た。
 
その人に会うために、レナは東京から電車を乗り継ぎ2時間半かけて、海辺の町に行った。
 
海の見えるサナトリウム。
 
持ち主は、余命僅かだった。
 
病気になる前、その人はこの車で日本中を気ままに走っていたと話した。
 
レナはその人から車を買った。
 
 

六本木の彼は、ギターを弾く。
 
店の中で、ひっそりと、目立つことなく。
 
マイナーコードを、これ以上ないぐらいに悲しく聴かせた。
 
レナの部屋でも、ギターを弾いた。
 
レナに「愛してる。」と、彼は言う。
 
しかし、レナには、それが悲恋になるとしか思えなかった。
 
ギターのテクニックは凄い。
 
プロのギタリストとしての仕事も多い。
 
でも…
 
彼の奏でる音には、レナのため息がよく似合う。
 
どうしよう?
間に合うの?
考えはまとまらない。むしろ、混乱するばかりだ。
 
 

車を買った翌日、レナは会社を辞めた。
 
大学卒業してからすぐに入った会社。4年、勤めた。
 
4年も来てしまった、という方が正しい。
 
よくこんな地下鉄の駅で降りてたな、本当にそう思う。
 
東京のど真ん中。アジアの金融をリードする街。
 
しんど。
 
一連の手続きを済ませ、午前中には会社のあるビルを出られた。
 
外には午前中の明るい日差しが降り注いでいる。
 
自由だ。
 
レナは、地下鉄には乗らず、遠くのJRの駅を目指して歩く事に決めた。
 
もう暫くは、地下に潜りたくない。
 
 

ロンドンに住む香港人の男友達は、レナにいつも優しい。
自分の国が、大変な事になり、自分はもう戻れないのにだ。
 
絶妙のタイミングで、メールをくれる。
 
いつも文章は同じ。
 
Are you alright?
 
レナは、この文章を見ると、彼のたどたどしい「ダイジョウブ?」という声を思い出す。
 
大丈夫だよ。
 
レナは返す。
 
これから、ずーーーっと、大丈夫。
そうなるように祈ってる。
 
 

東京で片づける事が、全部終わり、レナは今朝、旅に出る。
 
朝からスプレーみたいな雨。昔、お母さんのおじいちゃんが言ってた。
 
「出掛けの雨は、鹿児島では島津雨と言ってな。とても縁起のいいもんなんじゃ。」
 
島津雨。
縁起がいい。
 
温かい雨の中をレナは走り始めた。
 
どこに行くという充てはない。
ただ一つ決めているのは、自分の中にある茜色の空を見に行く事だけだ。
 
心象風景だと思う。
 
いつからなのかは分からないが、いつの間にか自分の心にある茜色。
それが本当にあるのか?探してみたい。だから、旅をする事にしたのだ。
 
レナは、車をゆっくりと走らせた。
温かい雨を味わうように。
急がず、ゆっくりと。
 
 

天国にいるお父さんは言った。
 
「レナは、何でレナという名前になったか、分かるか?」
 
それは、レナがまだ、中学生ぐらいの時だ。
 
お父さんは、船乗りで、嵐にあって、船が座礁して、レナが17歳の時に死んでしまった。
 
「分からない。」
 
「レナの名前をどうするかって、悩んでいた時な。お父さんは、キャンディっていう女の人を歌った歌を、たまたま聞いたんだ。車の中でラジオから流れてきたんだよ。」
 
「それで?」
 
「いやあ、キャンディって、スーッと流れるように口をついてくるような名前でいいな、って思ったんだ。でね、レナになった。」
 
「えーっ?全然分かんないんだけど?」
 
「レナ。スーッと、流れるように言えるじゃん。」
 
お父さんは笑って言った。
 
レナには、全く理解できなかったが、その話だけは忘れられず、今日みたいな雨の日に車を走らせると、思い出したりする。
 
 

車は、ハイエースのフルサイズ。
 
明らかにレナには大きすぎて、似合わないサイズ。
しかし、それには訳があった。
 
運転席から後ろは、全部座席を取っ払い、キャンピングカーのような仕様になっているのだ。
運転席側に縦に細くベッド、兼ソファがあり、反対側は、ドアの部分を除いて、全部収納や、流し台や、冷蔵庫等がある。だから、簡単な料理なら車の中で作れる。しかも、最後尾には、キャンプの道具が一式積載されており、オートキャンプ場に行けば、何日も泊る事ができる。
この車の前のオーナーが家具職人で、ベッドも、収納棚も、全部、彼の手造りだ。
寸法がキチっと合ってて、居心地の良いスペースになってる。
レナが持ち込んだのは、毛布と枕だけだった。
 
レナは取り敢えず、この車に乗って、日本中を旅するつもりだ。
 
自分のお気に入りの茜色の空を求めて。
 
 

風呂に入りたい。
 
レナは、そう思った。
 
今日から梅雨入りの日。走る道路は土砂降りの雨の中だ。
 
半島の外郭の道を海沿いに走る。
 
叩きつける雨。遠くで雷の音も聞こえる。
 
半島の突端に、無料の立ち寄り温泉を見つけた。
 
レナは車を止めて、そこに入った。
 
温泉は露天風呂で、今は湯の表面を、雨粒が容赦なく揺らしている。
こんな日だ。他に湯に入っている人はいない。
 
レナは、裸になり湯に浸かった。
 
髪も、顔も、雨で濡れた。
 
いい加減濡れた後、レナは湯の中に潜った。
雨に濡れて冷たくなった顔の体温が戻ってきた。
 
レナは湯を出て、洗い場で髪を洗った。
次に、髪に泡が付いたままで、身体も洗った。
全部洗い終わると、雨の中に立ち、泡を全部、雨で洗い流した。
 
そして、もう一度湯に浸かり、海に落ちる稲妻を見た。
 
雨は、髪と、顔を、濡らす。
 
レナは、髪を少し短くしようと思った。気分転換のために。
 
 

夜10時。
 
高原の観光用駐車場。
レナはここに車を止めた。今日の宿泊地だ。
 
夕方、麓の町で、食事をして、風呂に入ってきた。
 
後は寝るだけだ。
 
寝よう。そう思って、LEDのスタンドの明かりを消そうとしたら、スマホのバイブが鳴った。
 
ニューヨークに行った元の会社の同期の男からのTV電話だ。
 
彼は、同期の中で抜きんでて優秀で、入社3年目にニューヨークへの転勤を言い渡された。
 
ニューヨークへ発つ前の日、男は、レナに、告白してきた。
 
その返事を、レナは、まだ、していない。
 
バイブは無視した。
6回目のバイブの後、スマホは静かになった。
 
レナは、すぐに履歴を消去した。
 
そして、レナは眠りについた。
 
 

名古屋の味噌のおでんが食べたい。
 
そう思って、名古屋に向かっている。
 
名古屋には、何度か出張で訪れた事があり、名古屋支社の人に連れて行った店で、味噌味のおでんに出会った。
最初は軽くショックだった。
 
名古屋メシと、よく言う。
 
名古屋には、独特な食べ物がいっぱいある。それは知ってる。
でも、味噌味のおでんは、別格だった。いきなりハマってしまった。
 
名古屋の市街地だと、如何に安そうなビジネスホテルでも、駐車場代も取られるし、宿泊一泊の料金もバカにはならないと思ったので、宿泊は名古屋市郊外にした。
 
ホテルの駐車場に車を入れ、チェックインし、そのまま電車に乗り、名古屋の市街地を目指した。
 
名古屋・錦
 
前に名古屋支社の人に連れてきてもらった店を見つけた。
中に入ると、サラリーマンで一杯だった。
 
レナは一人、カウンターに座り、おでんの盛り合わせと中ジョッキを頼む。
暫くすると、食べたかったおでんが、ビールとともに届いた。
一人で、乾杯し、まず一口飲む。美味い!
そして、おでんを食べる。ちくわ、美味い!こんにゃく、美味い!
ビールが無くなった。レナは、大吟醸の冷をオーダーする。
升に入ったガラスのコップに、なみなみと注がれる酒。
レナはもちろん升にこぼれた酒をまず、飲み干した。美味い!
今のところ、何も文句のつけどころなし!
おでんを追加する。
大吟醸をお代わり。
手羽先も取る。
酔っぱらう。
 
レナは、タクシーでホテルに帰った。
 
 

香川にいるお母さんは、レナにいつも、こう言う。
 
「アンタねえ、お願いやけん、30までに子供、生んでねえ。私が50代のうちに、孫の顔を見せてねえ。」と。
 
レナのお母さんは、元々ずっと香川の人。
お父さんは川崎の生まれで仕事で香川に来て、お母さんと知り合ったらしい。
 
レナは次の8月で27歳になる。
 
後、3年以内… しかも、子供を身もごってから、生むまでに十月十日かかるので、実質2年。
 
無理じゃね…
 
でも、お母さんに無理だとは、言えない。
 
もし言えば、自分の娘がモテない女だと思い込み、途端に、見合いの話を沢山、持ち出すに決まっている。
 
お母さんは、美人だ。
 
お父さんは、お母さんに一目惚れしたと、お母さんから何回も聞いた。
 
女は器量よ。
お母さんは、いつも言う。
女を磨きなさいとも。
 
お母さん、私の磨き方は、お母さんとは違うみたい。
レナは、そう言って、お母さんを説得できる日を妄想しながら、車を運転する。
 
そして、それは当分無理な事だと、レナは知っている。
 
 

梅雨晴れのお昼時。
 
レナは、峠のドライブインに車を止めた。
お昼ごはんを食べるためだ。
 
駐車場には、マイクロバスが3台も止まっていた。
 
一杯かな?レナはそう思ったが、一応、ドアを開け、中を覗いた。
 
店の中は、ほぼ満席だが、窓際に相席なら座れそうなところを見つけた。
 
レナは、そこへ行き、座っている人に、座ってもいいかと、尋ねた。
 
「イイデスヨ。」と、ぎこちないニホンゴが返ってきた。
 
よく見ると、この店の大部分を多分東南アジアからであろう若い男の外国人が占めていた。
 
レナは座った。
 
山菜蕎麦を頼む。
すぐに蕎麦は来た。
店の中は、騒がしいので、急いで食べて、すぐに出よう、そう決めて、レナは蕎麦を啜った。
食べ終わった。水を飲み、伝票をもって立ち上がろうとした。
すると、隣にいる若い外国人の男が、レナに話しかけてきた。
 
「スイマセン。イイデスカ?」
「何でしょう?」
「イッショニ、シャシン、イイデスカ?」
「写真?」
「ソウ。二ホン二キタ、キネンニ。」
「記念?」
「ソウデス。キネンシャシン。」
 
レナは写真を撮る事にした。
すると、そこに店中の外国人が集まってきた。
一人が終わると、また、一人。延々、記念写真は続いた。
 
「はい、昼休みは終了!みんなバスに乗って!」
添乗員の日本人のおじさんが大声で言った。
何だ、日本人がいたのか?注意してくれればいいのに…
レナは、ちょっと怒っていた。
その時、レナの横で最後に写真を撮った男が、レナの胸を触った。
えっ?
 
男の逃げ足は速かった。
 
 

緑の部屋に泊まりたい。
 
高速道路を走りながら、さっきからずっとその事を思っている。
 
レナは、緑が好きだ。
 
上京したての時、初めて借りた自分の部屋を、緑色で埋め尽くしたいと思った。
しかし、出来なかった。壁紙が変えられなかったからだ。
 
緑の部屋、緑の部屋。
 
運転しながら、そればかりを考えるようになっている。
 
落ち着いた深緑、そう、ロイヤルグリーンの壁紙と、カーテンとベッドカバー。
 
そう言えば、色にロイヤルと冠していいのは、グリーンと、ブルーと、レッドと、パープルだけだと、聞いた事がある。ロイヤルグリーンの気品のある部屋、そこに身を置きたい。
 
カーペットはもう少し明るい緑色で、シーツもそれに合わせてあるといい。
もちろん、ランプシェードも緑色で、出来れば、電球の灯りが見えないような仕様がいい。
 
バスタブや、トイレは清潔なアイボリーグリーン。
バスマットや、バスタオルも緑色だと嬉しい。
 
そんな部屋はないか?
雨の高速道路で左車線を走りながら、ずっと、その事だけを考えている。
 
雨で夕闇が来た事が、分からなかった。
気がつけば、夜。
 
そろそろ高速を下りよう、そう思った時にインターチェンジの先に深緑の看板が見えた。
 
ホテル英国館。
深緑の看板に、金色の文字で、そう書いてあった。
ラブホテルだ。
 
あのホテルなら、きっと、緑の部屋があるに違いない。
 
レナは、そう思い、高速を下りた。
 
ラブホテルの、ビニールキャンバスの短冊のようなゲートをくぐり、レナは車を止めた。
 
ホテルの中に入ると部屋のパネルがあった。
空いてる部屋は7つもあった。一つ、一つ、丁寧に部屋の写真を見ていくと、508号室だった。
 
緑の部屋、あった!
 
レナは部屋の写真の下にあるボタンの宿泊の方を押した。
 
すると、フロントと書かれた、小さい長方形の穴から、おばさんの声がした。
 
「お客さん、一人?」
「ええ、一人です。」
「後から、連れの人が来るの?」
「来ません。ただ、寝たいだけですから。」
「そう、それならいいわ。すいません、宿泊の場合、料金は前払いなんだけど。」
レナは、長方形の穴の前にあるトレイに1万円を置いた。
「はい、確かに。レシート、要る?」
「要りません。」
「じゃあ、ごゆっくり。」
 
レナはエレベーターで5階に上がった。
508号室。カードキーを差し込み、ドアを開けた。
 
中は、全く緑の部屋だった。
 
緑のダブルベッドが部屋の大半を占めた。カーペットは暗いグレーなのは惜しいが、ランプシェードは緑だった。風呂や、トイレも緑で統一されており、後は、灯りの暖色が緑のシェードをはみ出て、明るすぎるのが減点になるぐらいだ。明るさは調節できるので、レナは、最も暗く照らすようにした。
 
80点かな? レナはそう思った。
 
そして早速、風呂に湯を溜めて、長風呂をした。
 
風呂から出て、部屋の備え付けのバスローブを着る。
 
ベッドのヘッドレストに上半身を預けて座り、テレビをつけた。
どのチャンネルも、ありきたりのバラエティばかり…
映画や、有料チャンネルにも興味はない。
 
レナは、音楽チャンネルを試してみた。
すると不意に、六本木の彼の弾くギターソロが、聴こえてきた。
 
どうしてるかな?
 
チャンネルを消し、レナは彼に電話をかけた。
 
2コールで、彼は出た。
「今、どこにいるの?」
「遠いわ。」
「いつ、帰ってくるの?」
「分からない。帰らないかも…」
「僕に何の用事だい?」
「ギターを弾いて欲しいの。近くにギターある?」
「抱えてるよ。」
「じゃあ、聴かせて。」
「TV電話にしようか?」
「いや、このままで。」
「分かった。じゃあ、弾くよ。」
 
彼のギターは、相変わらず悲しい音だった。
でも、心に沁みる音。
 
その音色と、彼の生み出すフレーズは、この緑の部屋によく似合う。
レナは、そう思った。
 
彼の演奏が、熱を帯びてきた。
 
レナは、静かに電話を切った。
 
 

梅雨が明けた。
 
レナは、瀬戸内海の海水浴場に来た。
最初は、ちょっと海を見に来たつもりだった。
しかし、気づけば、そこにあるビーチハウスで働くようになっていた。
 
朝、店の雨戸を開け、店開きの準備をする。シャワーやトイレを掃除して、厨房の仕込みの準備を手伝う。
10時を過ぎると、そろそろ海水浴客がビーチを訪れ始める。
 
レナのいるビーチハウスは、メンソールタバコのブランドとタイアップしたオシャレな造りだ。
そのオシャレさを求めて、若者が店に集まり出す。
 
昼時、食事の客がひっきりなしに訪れる。
レナはホール係のため、客の席とカウンターを行ったり来たりする。
 
2時を過ぎると一段落となり、レナたちも昼食を取る。
 
夕方を過ぎると、店は、バータイムになる。
 
この海水浴場の取り決めは、酒の提供は午後8時までとなっている。
だから、8時まではパーティピーポーたちでにぎやかなのだが、8時を過ぎると途端に静かになる。
9時頃、レナたちは夕食を取り、店を閉める準備を始める。
拭き掃除をして、厨房を片付けて、消毒をして、終わり。
 
最後に雨戸を閉める。
 
そして、レナ以外のバイト諸君は、みんな家に帰っていく。
 
レナだけは、ここで寝る。
 
シャワーを浴び、服を着替えて、昼間、客に貸し出しているビーチベッドにタオルケットを敷いて。
上からは、キチンと毛布をかぶる。
 
レナは、このバイトをやって、初めて知った。
海辺の夜は涼しくて、エアコン要らずである事を。
 
雨戸を閉めていても、潮風は入り込んでくる。
明け方には、寒くて目が覚める事があるぐらいだ。
 
そして、その寒い空気は、昼間焼けるだけ焼けてしまった肌を優しく癒してくれる。
 
 

海辺には、2週間いた。
レナの顔は真っ黒だ。
髪を切ろうと思ってから、まだ切っていない。切ろうと思える店を見つけられなかったせいだ。
だから、真っ黒な顔と手足で、髪をポニーテールにまとめ、キャップを被り、運転している。
 
阿蘇山。
 
レナの守り神は、この山の神だと聞いている。
その神様を祭ってある神社を目指して、車を走らせている。
 
神社に着き、お参りをして、お祓いを受けたら、自分がちょっと変化した気分になった。
 
山を下りる途中の、森の中のキャンプ場で、今晩は一泊する予定だ。
キャンプ場には、午後早めに着いた。
 
早速、ケトルに水を汲みに湧き水が出てる場所へ行った。
 
湧き水を車のキッチンのコンロで沸かして、紅茶を入れた。
ガラスのティーポットにいい色の紅茶ができた。
そこに、オレンジのしぼり汁を加えて、マグカップに注いだ。
 
レナは外に折り畳みのリクライニングチェアを出し、小さなテーブルをその横に置いた。
そのテーブルに紅茶の入ったマグを置く。
自分は、一度大きく深呼吸してから、椅子に座った。
そして、ゆっくり紅茶を味わった。
空気が、生きている木の中の空気だった。
その空気の中で呑む紅茶は、美味いと思った。
 
それから、レナは薪を買いに、事務所へ行った。
附木は、森の手前で集めてきたので、大きな薪は、5本だけにした。
 
車の前にターフを張り、本格的な居場所造りを始めた。
ターフの前に薪のスペースを作った。
そして、その横にバーベキュースタンドを立てて、炭を起こす準備を始めた。
 
まずは薪の火を起こす。
なかなか上手くいかなかったが、12回目のトライで無事に火は附木から薪に移ってくれた。
次に炭を起こし、バーベキュースタンドの上にケトルを置いて、湯を沸かした。
 
今日の晩ごはんは、白飯と、豚キムチと決めてある。
両方とも、つい先日まで働いていたビーチハウスを旅立つ時に、餞別としてもらったものだ。
 
湯は、コンソメスープと、焼酎のお湯割り用。
 
車の中のキッチンで、要領よく食材の準備をし、サッと作って、サッと食べた。
食べ終わると、日が暮れた。
ここからはバータイムだ。
 
焚火の火を眺めながら、ゆっくりと焼酎を呑む。
あては、ここに来るまでに買った馬刺しだ。生姜醤油につけて味わう。
 
ふと、思い出し、ケトルのお湯の中にコーヒーの挽いた粉を、直接入れた。
よく沸かし、ネルドリップで濾しながら、マグカップに注いだ。
カウボーイスタイルのコーヒーが出来た。
そこに、これもビーチハウスでもらったスコッチウィスキーを垂らした。
本当は、アイリッシュウィスキーなのだが、それはないので、スコッチで代用したのだ。
熱いコーヒーのカクテル、アイリッシュコーヒーもどきの出来上がりだ。
 
熱いコーヒーを飲む。
森林の冷ややかなきりっとした空気を、より一層感じる。
 
これで、今夜はよく眠れそうだ。
 
レナはそう思った。
 
そして、あと2杯は飲み、その後、火の始末をして寝ようと思った。
後、薪5本は多かったな、と反省もした。
 
 

博多に来た。
 
天神で、髪を切ろうと思ったからだ。
 
ネットで検索して、良さそうなお店は、もう予約してある。
バスに乗り、天神へ。
店へはGoogleマップが、連れてきてくれた。
 
ベリーショートにしたい。そう思っていた。
店に着いたら、それだけではなく、カラーリングもしたくなった。
 
ベリーまではいかなくても、ショートにはした。髪の色とのバランスを考えて、長さを調節したのだ。
色は、プラチナゴールドにした。
 
気分が変わった。
 
レナは意気揚々と、長浜の屋台へ向かった。
 
長浜の屋台で、一人で呑んでいると、ムチャクチャナンパされた。
 
酒も美味いし、料理も美味い。
大分、酔いが回ってきた頃、レナは、ちょっとワイルド系のイケメンの甘い言葉に、ついつい乗せられてしまい、一緒に屋台を出た。
ヤバい、正気を取り戻したレナは、男から逃げようとした。男が追いかけてきた。
レナは逃げるが、酔いのため、足がもつれる。男が追いつきそうになった。
腕を取られると、思ったが、取られなかった。男は道路の真ん中であおむけに倒れていた。
何があった?
レナの腕を取ろうとしてた時に、正面から歩いてきたガテン系の男が、咄嗟にイケメンの足を引っかけて、倒れさせたのだ。
「何ね?何するっちゃあ?」倒れた男が、虚勢を張って、ガテン系に言った。
「すまんね、酔っ払って、足が絡まったとよ。悪気はなかけん、許してね。」ガテン系は、優しく言った。
そうなると、イケメンは次の言葉が継げず、立ち上がって、去って行った。
レナはガテン系にお礼を言った。酒を奢らせてくれとも言った。
ガテン系は言った。「ウチで、かあちゃんが待っとるけん、俺はもう帰る。ウチはかあちゃんが怖かからね。」
そう言って、ガテン系の男は、地下鉄の駅の方へ歩いていった。
 
レナはその言葉を聞いて、何故だか嬉しくなった。
そして、「私も好きな男と一緒になったら、絶対にかかあ天下になろう。」と、決めた。
レナは、歩いてバス停まで行き、バスで、車のあるキャンプ場へと戻った。
 
 

翌日もまだ、博多にいた。
 
今日も、天神に、西鉄バスで来た。
 
車は、郊外のオートキャンプ場に止めてある。
 
天神には、この夏の服を買い足すために来た。
 
ちょっと、奮発していい服も買いたい。レナは、そう思って、とあるブランドのショップを訪ねた。
 
レナが服を選んでいると、「すいません。」と、声をかけられた。
声の方を向くと、すごく品のある美しい女性だった。年はレナより10歳ぐらい上、たぶん40手前の美人。
「何でしょう?」レナは応えた。
「あなた、OL?じゃないわよね。どこで働いてるの?」
何?と思った。いきなり、不躾な質問だからだ。レナは、どう答えようか迷い、黙った。
「あっ、そうよねえ。ごめんなさい。でも、良かったら、話だけでも聞いてもらえないかしら?そんなに時間は取らせないから。」女性は、軽く笑顔を見せながら、気軽な感じで言った。悪い人ではなさそうだ。
「いいかしら?ちょっとだけ、そこのカフェでお茶でも飲みながら。。。どう?」
「はあ…」レナは生返事のまま、女性と服の店を出て、通りの反対側にある老舗っぽい大きなカフェに入った。
女性は、アイスカフェオレ、レナは、アイスティを頼んだ。
店員が離れると、女性はバッグから自分の名刺を出してきた。
 
クラブ 中島 ママ 中島聡美
 
中洲のクラブのママか。道理で、品がある訳。レナは妙に納得した。
「ごめんなさいね、服を選んでる最中に。すぐに話すから。」
「ええ。」
飲み物が来た。
伝票は、すぐに聡美が自分の方へ引き寄せた。
「さっき、名刺を渡した通りなんだけど、私、中洲でクラブを経営してるオーナーママなのね。」
「ええ。」
「ウチの店、女の子が常時10人ぐらいいるか、いないか、みたいな、あまり大きくない店なんだけど、ちょっと困っちゃってるの。」
「はあ。」話の方向が見えない。
「たまたまなんだけどね、今週、どうしても夏休みを取る子が3名いて、それだけでも大変なのに、昨日一人の子が、親が田舎で倒れて、急遽、実家に帰って、2名が冷房にやられて、風邪引いて、今日は店に出られないといってきたりで…今晩、店に出られる子が4人しかいないのよ。でね、あなたさえ良ければ、今晩、ウチの店に来て、ヘルプで入ってくれないかな?と思って。」
「えっ?私がですか?私がクラブのホステス?そんなのムリです。」レナは即答した。
「ムリって、今の仕事でバレたら、クビになるから?それとも、彼氏?」
「それは、どっちとも違いますけど…ムリです。私、経験ないですし。」
「経験?そんなの良いわよ。お客さんには、今日だけのヘルプですって、言っちゃうから。それに、ただで受けてくれとは、もちろん言わないわ。ギャラは弾むから。」聡美は金額を言った。
エーーー?一晩だけで?レナの心は揺れた。
「今晩だけですね?」
「そう。今晩だけ。」
「分かりました。」
「良かった、良かったあ…じゃあ、早速、服を買いに行こう。」
「服ですか?」
「そう、さっき見てた服。私、何でも買ってあげるから。あっ、これはギャラとは別よ。」
二人はカフェを出て、さっきいたブランドのショップへ戻った。
聡美が見立てた服を、レナは試着した。聡美が選ぶ服は、レナは普通なら選ばないものばかりだ。
これが、エレガントというヤツなのね?レナは感心した。
聡美が気に入り、レナもいいといった服を3着ほど、買った。十万以上になる買い物だった。
「いいんですか?」
「良いのよ、これぐらい。経費、経費。あっ、そうそう、あなたの名前、聞いてなかった。」
「立木レナです。」
「レナ…いい名前ね。今日、お店でも、レナちゃんでいい?漢字にするから。」
「それでいいです。」
 
女性とは、今日の午後7時までに店に行くという事を約束して、別れた。
レナは、いったん車に戻り、買ったものを置き、ビチッと、メイクを決めようと思った。
しかし、それには焼け過ぎた黒い顔が気になるが、それは仕方ない。
 
レナは西鉄バスの乗り場に向かった。
 
 

レナは、約束通り、7時に店に来た。
 
店の奥で、聡美が昔、着ていたという、パールピンクのドレスに着替える。
着替えて、店に出ていくと、「やっぱり思った通りだわ。パールピンクだと、この陽に焼けた肌を引き立てるわね。」と、聡美が言った。スパンコールのドレス。レナもまんざらではない。
 
店の子は、二人来ていた。聡美は、レナを麗奈ちゃんと紹介し、今日だけのヘルプなので、分からないことだらけだから、助けてあげてね、と言った。二人は、美香と、エリカと名乗った。レナは、二人に挨拶した。
 
それからすぐに、後の二人の女の子が、客と同伴で店に来た。
エリカが、二人を「チーママの有紀と早百合だ」と教えてくれた。
 
7時から9時過ぎまで、店はその二人が連れてきた二人の客だけだった。ハッキリ言って、暇だ。
どうして、私にヘルプを頼んだんだろう?レナは、訝った。
 
9時半。
一人の客が、入ってきた。聡美は、いそいそと出迎えた。
「やあっと来た、北嶋さーん。もう、来ないかと思っちゃったわよお。」聡美は特別な声を出して、言った。
「いや、急な博多出張だったしね。今日はミサキちゃんが休みだと聞いてたから、来るのよそうと思ってたのに、ママがどうしても来いって言うからさ。1時間だけでもと思って、来たんだよ。」
男は、40代で細身の体に、ストレッチスーツの着こなしている。
ネクタイはダークブルーで、スーツによく似合っている。
「ありがとう、北嶋さん。でもね、ミサキちゃんは休みなんだけど、代わりに北嶋さんに気に入ってもらえそうな子に、今日はヘルプに入ってもらってるの。」
「そうよ、麗奈ちゃん、こっち来て。」
 
それから、レナはこの北嶋という客だけに付き、やがて12時の閉店となった。
北嶋が言った。「麗奈ちゃんは、晩ごはん食べた?」
「まだです。」
「じゃあ、軽くごはん、行かない?面白い店があるんだよ。」
「面白い?」
「そう、味噌汁の店って言ってね。みんな味噌汁をあてに焼酎を呑むんだよ。面白いだろう?もちろん、味噌汁だけじゃなくて、玄界灘の旨い魚の刺身なんかもある。行かない?」
「麗奈ちゃん、行ってあげて。北嶋さんは紳士だから、美味しいもの、ご馳走してくれるわよ。」聡美が言った。
「ええ、でも。。。」レナは躊躇した。初めてのホステスで、緊張して、疲れているのだ。
聡美が、レナをカウンターの方へ引っ張って行った。
「麗奈ちゃん、もう分ってるでしょう。あの北嶋さんって、お客はウチにとって大事なお客様なの。だから、今日、あなたにヘルプをお願いしたのよ。お願いだから、ご飯、行ってあげて。」
「でも。。。」
「いいわ、ギャラは倍にする。今日はもう無理だから、明日の午後、ここに取りに来て。約束通り、必ず払うから。」
「分かりました。」
レナは、私服に着替えて、北嶋と一緒に店を出た。
そして、味噌汁の店へ行った。
 
味噌汁は美味しかった。刺身も、他の料理も、全部美味しく、お酒が進むものばかりだった。
北嶋は、酒の勧め上手だった。
 
そして、店を出ると、一緒にタクシーに乗ろうとした。
酔ってるから、僕の部屋に行こうと。
 
レナは、北嶋の足を、ガンと踏みつけた。
そして、走って逃げた。
 
もう大丈夫、というところまで走って、タクシーに乗った。
 
やっぱり、旨いだけの話はない。
 
そう思った。
 
ギャラはもうもらえないだろう。
しかし、服を買ってもらって、それでイーブンだ。
しかも、ちょっとレナの方が、得したかもしれない。
いい酒を飲んで、美味しいものを食べたからだ。
 
そう思い、レナはタクシーの中で、一人、微笑んだ。
 
 

レナは、山口県長門市を目指して、車を運転していた。
 
もう少し、九州を巡ろうかとも、思った。
九州には、行きたいところが、まだたくさんある。
しかし一方で、そうすると、レナは暫く九州から離れられなくなる。
 
いったん、九州は終わり。そう決めた。
 
中国道を美弥インターチェンジで下りた。
そこから下道を走る。
 
目指しているのは、海に面した崖の上に整然とおびただしい数の鳥居が並ぶ神社だ。
 
レナは、この神社をテレビで見て、行ってみたいと思ってた。
 
あの沢山の赤い鳥居の先に沈む夕日を見てみたい、そう思った。
 
ひょっとしたら、その夕日は、レナが求めてる茜色かもしれない。
 
昼頃、神社の駐車場に着いた。
車の中で簡単に調理をして、昼ご飯を食べた。
 
そして、いよいよ神社に向けて、歩き出した。
山道をずっと。
真夏の午後。暑い。
横には日本海が見えている。
潮風がずっと、吹いており、幾分暑さは和らぐが、セミの音が暑さを忘れさせない。
 
ようやく本宮に着き、お参りした。
 
色々と見て回り、お参りできるところでは、全部お参りをした。
 
そして、夕焼けの時間を待ったのだ。
 
夕日が海に落ちる頃、突然の夕立ち。
叩きつけるようなゲリラ豪雨。
 
レナは、濡れながら赤い鳥居を連続してくぐり、車に戻った。
 
車に着いて、後ろの居住スペースでバスタオルで髪を拭いてる時、不意に
「面白かった。」と、つぶやいた。
 
土砂降りの中をあんなに沢山の赤い鳥居をくぐる事は、これからの人生で、もうないだろうと、思った。
だから、面白かった、と言ったのだ。
夕日が見れなくて、残念だとは思わなかった。多分、自分が求める茜色とは違うだろうと、思えたからだ。
 
レナは濡れている服を全部脱ぎ、新しい服に着替えて、運転席へ移った。
 
そして、車を出した。
 


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