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【短編小説】偶然×3

もう夜になってしまう。
並び始めて、もうすぐ30分になる。

私は藤倉冴雄、この秋に55歳になる。
私は今、池袋の中古買取店で、買取してもらう人の列に並んでいる。
私たちの前で買取をしてもらう人はみな一様に、買い取ってもらいたいものを大量に持ち込んでおり、カウンター前がなかなか空かない。
だから、忍耐強く待つしかない。

私は昨日、正式に妻と別れた。
妻は今朝、故郷の山梨へ帰っていった。
私は秋から単身赴任先になる山口に、今晩の夜行バスで向かう事になっている。事前の準備だが、もう東京に戻るつもりがない。こっちの仕事の引継ぎは終わってるし、僕は夏休みをまだとってないので、それと有休を合わせれば、1か月は休める。しかも住む部屋は借り上げ社宅なので、住もうと思えばもう住めるからだ。

彼女との結婚生活は21年にも及んだが、私たち夫婦には子供がおらず、いざ別れると決めた後は、如何にもあっさりしたものだった。
別れる理由は、今となってはよく分からないのだが、強いてあげると「経年劣化」だろう。ずっと二人きりの生活で、二人とも自分の仕事を持ち、ライフタイムも異なる。それで生活に新鮮味を感じるのは難しい。唯々、お互いの時間を淡々と消化していく毎日。
経年劣化してもおかしくはない。


今日は、引っ越しの整理で出てきた、自分が若かった頃に集めたつまらないものを一気に売ってしまおうと、大きなトートバッグに入れてここまで来た。

「長いなあ…」
「長いですねえ…」
独り言を言ったつもりだった。
でも、私のすぐ前に並ぶ若い女性が相槌を打ってくれた。
そんなつもりではなかった私は、少し慌てた。
「そう、長いねえ。僕は10時には新宿にいないといけないんだよ。ちょっと焦っててね。」
「そうですか…もうすぐ7時ですもんね。でも、おじさんの持ってきた物が少なければ早いんじゃないですか?」
「いや、どうだろうねえ?私が若い頃に集めた映画のパンフレットが20冊ぐらいあって、1980年代、90年代のシティポップのCDは50枚ぐらいあって、これを今日買い取ってもらえないと困るんだよ。」
「そうなんですか…じゃあ、急いでもらった方がいいですね。」
「ちなみに君は何を買い取ってもらうの?」
「私はコアなファンが多いアニメのキャラクターグッズを売りに来ました。私が持ってるのは推しキャラじゃないので、これを売って、もしここに私推しキャラのヤツが売ってたら、それを買いたいなあと思ってて…」
「そう、僕はアニメは全くだからよく分からんが、高く売れると良いね。」
「そうですね。」

彼女の番が来た。そして隣りの店員が私を呼んだ。
彼女と私は持ってきた物を全部カウンターに置いた。
彼女も小さいが数が沢山あった。
彼女も私も「計算が出来たら呼ぶ」と言われ、番号札をもらった。

次に私の後ろに並んでいた若い男性が自分が持ってきた品物をカウンターに出した。彼が持ってきたのは四点だけで、アクリルスタンドとクリアファイルと応援用のタオルと缶バッジだったので、その場で買取金額の算定を始めた。
店員が電卓をたたき終わると、その男性に「2700円になりますが、如何でしょう?」と言った。
男性は「2700円、ふざけないでくださいよ。全部限定品のプレミアものばかりですよ。しかも全部ミコト単体のビジュアルで…これって、すげえ珍しいのに…知らないんですか?」
「いや、分かってます、分かってますよ。でもね、このアニメ作品はどうにも不人気でしてね。買い取るとなると、どうしてもこんな金額になってしまうんです。ご不満でしたら、どうぞ商品を持ち帰って下さい。」
「そりゃ、そうしますよ。今日やっと、こいつらを売って今日はまともなご飯を食おうと、踏ん切りつけたのに、2700円じゃあ、良くても3日分しかもたない…だから、もっと高く買ってくれるところを探します。じゃないとミコトが可哀そうだし、僕だって、全然納得いかない。じゃあ、お手数をお掛けしました。」
そう言って、その若い男性が店の外へ出て行くと、私の横で呼ばれるのをまったいた女性がその男性を追いかけた。何故だか私もつられて、後を追った。
「ちょっと待って下さい。」
「何ですか?僕、急いでるんですが…次の店が閉まっちゃう…」
「失礼ですが、さっきカウンターで話してた事、私後ろで全部聞いてました。持っているのはミコトのグッズですよね?」
「そう、ミコトですが、何か?」
「私が集めてるのが、そのミコトなんです。すいませんが、宜しければ全部見せてもらえませんか?」
「いいですけど…」
「買取番号54番、55番のお客様、買取金額が出ましたのでカウンターにお越し下さい。」
54番は彼女、55番は私だ。
「ちょっとだけ、ここで待っててくれます?すぐに戻ってきますので…」
「分かりました。」

私と彼女は、お互いの応対してくれた店員の前に行った。
私は、なんと1万5千円になった。勿論文句はない。すぐに金を受け取った。
彼女は8400円と提示されて、OKと言った。

彼女はすぐに男性の元に戻った。
男性は自分の商品を全部出して並べていた。
女性の目が輝いた。「これ、これ!ずっと、探してたヤツ!これも譲ってもらえるんですか?」
「勿論です。」
「希望価格は、おいくらですか?」
「全部で3万円でどうですか?」
「3万?まあ、そうかあ、そうよねえ…」
「3万って、さっき店の人が言ってた金額の10倍以上じゃない?ちょっとボッてない?」と、外野の私が横から口を挟んだ。
「何ですか、あなたは?彼女とはどういう関係ですか?」
「関係も何も、今の並びで知り合っただけだよ。赤の他人。」
「じゃあ、黙ってて下さいよ。ミコト戦記シリーズのミコトは今は不人気になってしまったのかもしれないけど、それこそ2000年代の初め頃は、すごいレアキャラクターだったんですから。おじさん、ミコト戦記知ってます?」
「いや、ごめん。全然知らない。口を挟んで悪かった。でもね、君から3万円って言われて、このお嬢さんが困った感じになったんでね。ちょっと助け舟を出したくなったんだよ…」
「ありがとう、おじさん…」
「君たちねえ、確かに僕は君らより年上だよ。でも、二人しておじさんって言わなくてもいいじゃないか…僕は藤倉という者だ。」
「すいません、藤倉さん。でも、私、この男性が言ってる事が分かるんです。確かにミコトのグッズは20年前だったら、絶対に手に入らないレアアイテムでしたし、その頃だと下手すれば10万以上してたかもしれないんです。だから、私は3万は妥当な線なんだと思います。買取屋さんは売る事を考えてるから、あんな安くなる訳だし…でも、今、私はそんなに持ち合わせがなくって、それで躊躇してるんです。」
「いや、ここでミコトの良さ、レアさを語り合える人に遭遇するなんて思ってもみなかったなあ…そうなんです。ミコトはすごいんですよ。でもなあ、今は本当にミコトが正当に評価されない。あなた、おかしいと思いません?」
「思います、思います。ホント、おかしいの。レアものはもうちょっと市場に出てもよさそうなのに、全然出ないし…私みたいな熱狂的なミコト推しはSNS見ててもホントいないし…だから、さっきあなたがミコトのグッズ出した時、正直私、鳥肌が立ちましたもん…」
「ちょっと、待ちましょう。さっき、僕は自分を藤倉だと名乗った。あなた達はこれから取引をするかもしれない立場でしょう?お互い名乗ったらどうだい?」
「あっ、ああ、そうですね。僕は光本涼です。21歳で、私立芸術大学の映像学科に通ってます。」
「私は、大澤円加です。22歳で、都立救急病院で看護師をしてます。」
「なるほど、僕は藤倉冴雄と言います。大手町の新聞社で記者をやってますが、今日、山口へ単身赴任します。来月からは山口支局長です。で、光本君、どうして君はそんなにお金がいるの?」
「僕、3年生なんですが、今卒業制作の真っ最中でして…僕、みんなと共同作業で映画を作ったりするのが苦手で、アイフォンで自分で撮って、自分で編集してって、やってるんです。そうするとバイトする時間がなくて、制作費にだいぶお金がかかってるから親にお金くれとは言いずらくて…飯を食ってないんっすよ。もう二日も…」
「二日も…そりゃ大変だ。それで、大澤さん、大澤さんはいくらなら今出せるの?」
「お給料前なので、2万までなら…」
「よし分かった。じゃあ、こうしよう。僕が差額の1万円は払うよ。で、光本君に3万だ。それから、これから二人は何か用はあるかい?」
「僕は別にないです。」
「私も、今日は日勤だし、明日は休みなので、これからは特に」
「じゃあさあ、これから三人でラーメンでも食べようよ。俺の買い取ってもらった金額がさ、後5千円残ってる。それを使って、三人で食べよう。」
「ええ?藤倉さんは何でそんな事してくれるんですか?」
「僕はね、実は今日、妻と別れたんだ。それでね、その妻と若い頃に行った映画のパンフレットとか、ドライブで一緒に聴いたCDをここに売りに来たんだ。言わば、不用品の整理だ。僕にとって不用品だが、それがなんと1万5千円になった。だから、それを有意義に使いたいんだ。この偶然の連続にね。」
「偶然の連続って、どういう事ですか?」
「さっきあそこに並ぶまで、僕ら三人はお互いの事を全く知らなかっただろう?それが今じゃ、こうやって、何かの課題を一緒になって解決しようとしている。しかも、僕には分らんが、君ら二人にはミコトという共通する話題もある。こんなの偶然×3だよ。これは奇跡に近い。だから、僕はこの奇跡に投資したいんだ。」
「投資って?」
「君ら二人の未来にだよ。仲良くなったらいいじゃないか?僕は失敗したけどね…」
私がそう言うと、二人は顔を見合わせ、途端に真っ赤になった。
それが私にはとても新鮮だった。

「さあ、ラーメンを食いに行こう。餃子もつけていいぞ。僕はビールを飲む。君たちは飲むかい?」
「私はイケる口です。」
「僕も只の酒なら、いくらでも飲めます。」
「いや、それは困る。上限金額は5千円までだ。それに時間制限もある。僕は10時までに新宿へ行かないといけないので、余裕を見て、9時20分までだ。」
「ええ?じゃあ急がなきゃ…」と光本君が真面目な顔で言った。

私と大澤さんは顔を見合わせて笑った。続いて光本君が笑い始めた。
そして、サンシャイン通りに向かって歩き始めた。


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