見出し画像

【創作大賞2024応募作オールカテゴリ部門】松山行きのバスに乗る。#最終章 帰り道

最初に子ども食堂でスコッチエッグを作ってから、もう3か月が過ぎた。私は毎月スコッチエッグを作ったので、通算4回は作った事になる。
毎回、30個以上のスコッチエッグを作り、50個以上のマドレーヌを焼いた。
そして、10個以上のオムライスも作った。


11月の最終週、久々に新橋で飲んだ。
前の会社時代に大変お世話になった田所さんの定年退職を祝うごく親しい間柄の人間だけのこじんまりとした送別会に出たのだ。
年並みに控えたつもりだったが、多少深酒かもしれない。
それが証拠に、駅に潜る足取りがふらつき気味だとは思った。

何とか、新宿から乗り替え、最寄り駅まで帰ってきた。

一次会だけで失礼したのだが、時計を見るともう11時になろうとしている。
今の私には、11時は「真夜中」だ。

駅前のロータリーへ出ると、ピューっと風が吹き、落ち葉を舞い上がらせた。
私はコートを着ていなかったので、風が直接ジャケットの内側のワイシャツに当たった。
冷たい…

私は、ジャケットのボタンを閉め、そそくさと家への道を急いだ。

半分シャッターの降りた商店街の明るい街灯の下を歩ききると、幹線道路にぶつかる。信号が青になると、幹線道路を越える。そしたら、いきなり閑静な住宅道路になり、途端に薄暗くなる。
私の住むマンションまではここから10分の距離だ。
住宅街の端の遊歩道を歩く。

木枯らしが寒いのだが、久々に外で飲んだ心地良さが勝り、千鳥足は絶好調だ。
鼻歌でも歌おうかなと、思っていたら、私はかなり前を歩く遠い女性の後ろ姿に目が離せなくなった。

珠美だ!

20年前に離婚し、2年前に交通事故で死んでしまったはずの珠美だ。

そんな訳はない。
いくら強かに飲んだとはいえ、私はまだ、正気を失ってはいないはずだ。

珠美…

私の歩く速度が自然と速くなった。

だいぶ近づくと、女性の後ろ姿は、珠美ではないと分かった。
髪の長さは、肩甲骨の下ぐらいまで伸びており、毛先は軽くカールしている。これは、珠美に似ている。
背の高さも低いヒールを合わせて、170㎝ほどなので、やっぱり珠美と一緒だ。
しかし…
女性は、ダークグレーの膝下タイトスカートのスーツ姿だった。
これは、珠美らしくない。
珠美はビジネススーツのスカートを嫌っていた。
しかも、裾の短いタイトスカートを「下心くすぐりスカート」と呼んで忌み嫌っていた。

だから、女性は絶対に珠美ではない。

ならば、何故、この女性を珠美だと思ったのか?

私はもう分っていた。
女性はスーツの上に、でっかいオフホワイトのストールを羽織っていた。
今時の軽そうで小さなストールではない。
毛布かと、突っ込みたくなるようなでっかい、ウールの重そうなストールだ。

ああ、そうかあ…

「愛美。」
私は女性に声を掛けた。
歩いている女性は娘の愛美だった。
すぐに気付いてもいい筈なのだが、私は珠美だと錯覚した。
長く会えなかった珠美に会いたい気持ちが勝ったのかもしれないが、最初、私は珠美だと信じて疑わなかった。


私と珠美が結婚する前の年。
私は、入社3年目の研修出張でロンドンへ行った。
金融センターの一翼を担うロンドンで、本格的な国際金融取引の現場を肌で感じるための研修だった。

この期間中に、珠美の誕生日が来る事を私は知っていた。
だから、出張期間唯一の休みとなる最終日に、ハロッズへ出かけた。
もちろん珠美の誕生日プレゼントを買うためだ。

ハロッズは巨大で、どこから見ていいのか分からないぐらいのデパートだったし、大体当時の若い私には、女性へのプレゼントに関する知見が脆弱で、広いフロアをあてもなくウロウロするだけで疲れてしまった。
そこで見つけたのが、あの恐ろしく重い、分厚いストールだった。

珠美は、酷く寒がりだったので、これはいいと思った。
値段も手ごろだし、私が肩にかけてもその暖かさは実感できたからだ。

男の私は、ストールなんて自分用に持った事がなかったので、その分厚さも、大きすぎる事も、そして重すぎる事も、分からずにいた。
ただ、ハロッズで買う事が大事だとしか思っていなかった。
だから、そのオフホワイトのストールを買った。

帰国後、珠美の誕生日を祝うためにイタリアンレストランで食事をした時に、私はそれを珠美に渡した。
私は器量がよくなく、プレゼント包装なんて思いつきもしなかったので、ただハロッズの包装紙で包んだだけのストールを私はつっけんどんに「はい、誕生日プレゼント」と言い、珠美に渡した。
珠美は、紙包みを開き、その白いストールを取り出して、「嬉しい」と言った。
珠美は、ストールを気に入った。
その日はたいそう寒い日だったので、珠美は着てきたトレンチコートの上からストールを肩にかけて帰った。


あれからもう24年は経つ。

そして今夜、そのストールを娘の愛美が肩から羽織っている。

「愛美、愛美!」
前を歩く愛美が振り向いた。
「あら、お父さん…何で、こんな時間?」
「朝言ったろう。今日は前の会社のお父さんの上司だった田所さんの送別会だって…」
「そうだけど…珍しく遅いじゃない…」
「ああ、楽しい酒だったからねえ…ついつい…」
「飲み過ぎた?」
「ああ、久々にフラフラだ。」
「みたいね…あっ!じゃあ、家には食べる物、なんもない?」
「なんだお前、こんな時間なのに夕食食べてないのか?」
「そうなんだよ、忙しくて…」
「いいよ、こないだ名古屋のお客さんが送ってくれた味噌煮込みうどんがあったから、帰ったら作ってあげるよ。」
「良かった。頼むわ、お父さん。でも、お父さん、今日、コートなくて、平気だった?寒くない?」
「いや、失敗したなあって、思ったよ。会社勤めしてないから、毎朝電車乗ったりしないだろう…だから、分かんなかったんだよ。もう、季節はすっかりコートを着る季節なんだなあって…」
「じゃあ、貸したげるよ。」愛美は、羽織っていたストールを取り、私の肩にかけた。
これですっかり暖かくなった。
「お前は、いいのか?」
「いいよ、家までもう少しじゃない。帰ったら、すぐにお風呂洗って、湯を溜めるわ。」
「分かった。僕は、味噌煮込みうどんを作るよ。僕も食べていいかな?」
「あら、お父さんもお腹空いたの?」
「ちょっとね。」
愛美が両手で二の腕辺りをさすった。
私が、三角形に畳んであるストールを取り、広げた。
そして、「お出で。一緒に包まろう。」と、愛美を誘った。
愛美はすぐに私の左腕に抱かれた。
二人で大きくて、重いストールに包まった。
「あったかーい。」
「僕がだいぶ飲んでるからなあ。自然暖房だな。」

二人でストールに包まって、ほの暗い街灯が点々とする遊歩道を歩いて帰った。
もうすぐ家に着く。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?