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【創作大賞2024応募作オールカテゴリ部門】松山行きのバスに乗る。#4新しい人生を生きる事にする。(5/5)


翌朝起きると、身体がガタガタだった。
腕は強張り、腰が痛い。足もパンパンに張っている。
 
愛美は朝から学校なので、出掛ける準備に忙しい。
愛美が来てから、私はいつも朝食を準備してやったのだが、今日はそれをできそうにない。
まず、ベッドから這い出る事ができないのだ。
 
いよいよ朝食を食べないと間に合わなくなりそうな時間になって、愛美は申し訳なさそうに、私のドアをノックした。
 
「いいよ、入って。」
「お父さん、起きれないの?」
「ああ、身体中がパンパンなんだ。ガッタガタ。」
「そうなんだ。じゃあ、私、パン焼いて食べるわ。コーヒー、勝手に淹れていい?」
「ああ、頼むよ。」
普段、私はコーヒーは自分で淹れないと、気が済まない。何だか、味が変わるような気がするからだ。
でも、今日はとても自分で淹れる事はできなさそうだ。
 
「愛美、出掛け前に悪いんだけど、二つだけ、お願いしてもいいかな。」
「何?」
「湿布と、チールを持って来て欲しい。両方とも、洗面所の下のメディスンボックスに入っているから。」
「分かった。後は?」
「愛美が淹れたコーヒーを僕にも飲ませて欲しい。マグに一杯入れて、ここに持って来てくれないか?」
「分かった。じゃあ、今、湿布とチールを持ってくるから。コーヒーは後ね。」
愛美は、洗面所に向かった。ガチャン、ガチャンと、不気味な音がした後、愛美は湿布とチールを持って来てくれた。後で、メディスンボックスを見に行かねば… 本当に探せない子だ。
 
だいぶ経って、愛美はコーヒーを持って、私のドアをノックした。
「コーヒー、持ってきたよ。」
愛美は、ベッドに来るまでに3回もコーヒーを零した。
ラグを敷いてなくてよかった。
フローリングなら、拭き取れば大丈夫だ。
 
コーヒーをナイトテーブルに置くと、愛美は「じゃあ、もう出かけないといけないから。」と言い、そそくさと出ていった。そして、すぐに玄関のドアが閉まる音が聞こえた。
 
私は悩んだ。
 
身体は、全部痛いし、強張っている。
しかし、零れたコーヒーは拭き取りたい。まさか、シミになるとは思っていないが、やはり気になる。
メディスンボックスも心配だ。私は、薬をきちんと分けて収納してある。
 
どうしよう?
 
私は、痛むところに湿布を貼り、チールを塗って、気力を振り絞り、ベッドを出た。
そして、まず、洗面所に行き、メディスンボックスを見た。ガチャン、ガチャンの音の正体は、ボックスの横に置いてあった私の化粧品の瓶だった。ものの見事に全部倒れていた。ボウリングなら、ストライクだ。
瓶を全部元通りにした。
その後、洗面所で雑巾を取り、コーヒーを拭き取る事にした。
コーヒーは、なんと私の部屋だけではなく、キッチンから部屋まで、点々と零れていた。
もし、愛美が尾行されていたとすると、尾行する人間は容易かっただろう。足取りはバッチリとつかめる。
 
雑巾で乾拭きをして、ワイパーで丁寧に拭き掃除をした。
すると、私は部屋全体の床掃除がしたくなり、痛む身体のままで、ワイパーで順番に床を磨いた。
不思議な事に、床が全部キレイになると、身体の痛みが和らいだ気になった。
 
そして、私は着替えて、朝食を取った。
 
 
まだ、夕方とも言えない時間に、愛美は早く帰ってきた。
私は、ダイニングテーブルでPCを開き、次の構想を立てているところだった。
「ただいま、あれ、お父さん、大丈夫なの?」
「どうした、こんな早くに?」
「お父さん、しんどいかなって思って。私が晩ごはん、作ろうかなって、それで。」
「いや、午前中には復活したよ。腕はまだ、パンパンだけどね。熱い湯に浸かって、チール塗ったら、楽になった。」
「晩ごはん、どうするの?」
「お前が、こんなに早く帰ってくるとは思ってないから、まだ、何も準備してないよ。」
「そう、じゃあ、私が何か作ろっか?」
「いや、そうだな、たまには外で食うか?時間が早いから。行きたいとこ、あるし。お前に話したい事もあるし。」
「そう、いいけど。でも、私、着替えてもいい?今日、暑かったから、汗、酷くて。」
「じゃあ、着替えを持っていきなさい。行きたいところは、温泉なんだよ。」
「温泉かあ、いいね。行こう。」
「じゃあ、早速準備して。」
愛美は、自分の部屋に戻り、トートバッグに着替えを詰めてきた。
私は、行き帰りも楽なスポーツシャツに短パンに着替え、小さなバッグに下着と、タオルだけを詰めた。
 
車に乗り、中央道を八王子で降りた。平日の夕方だが、まだラッシュの時間よりは早く、順調に走れた。
目指しているのは、高尾山だ。
京王の高尾山口駅に直結する形で、日帰り温泉施設がある。
私たちは、ゆっくり風呂に浸かる事にした。
 
1時間後、ロビーで待ち合わせると、愛美もTシャツに短パンという軽装になっていた。しかも、すっぴんだ。
愛美は、贔屓目なしに美人である。しかし、ノーメイクの愛美は、少し幼い。
可愛らしさが勝ち、私の知ってる愛美の面影を色濃くする。
 
私たちは、ここの食堂で夕食を取る事にした。
愛美は、カツカレーを、私は、天ざるのチケットを買った。
ビールが飲みたい。
「お父さん、飲まなくてもいいの?」
「お前、何か飲む?」
「今はいらない。でも、後でアイス食べる。」
「そうか、じゃあ、ノンアルビールを飲むよ。」
私はノンアルビールを買い、席に戻ってくると、私たちの料理は届いていた。
愛美が取りに行ってくれたのだ。
 
私たちはノンアルビールと、水で乾杯をした。そして、それぞれの料理を食べ始めた。
カレーにすればよかったかな?
カレーの匂いは、いつでも食欲をそそる。
この匂いは、近くで嗅ぐものではない。無性に食べたくなるからだ。
 
食事を終え、私たちは帰る事にした。車に乗る時、愛美が運転すると、言った。
私は、愛美にキーを渡し、助手席に回った。
 
 
私がナビ役を務め、車は無事八王子インターから中央道に乗り入れた。
東京方面へ向かっている。
もう安心だ。
 
車の量は、少なくないので、私は愛美に、左車線をゆっくり走るようにと指示した。
それに従って、愛美はゆっくりと走った。車の流れはスムーズだ。
 
「愛美。」
「何?」
「お父さんな、スマイルハウスを手伝ってもいいだろうか?」
「えっ?何すんの?」
「あそこの運営は、寄付ばかりなんだろう?」
「そうね、基本的には。」
「お金集めをしようかと思うんだ。」
「お金集め?」
「お父さんな、長い事、証券会社に居たろう?その伝手を辿って、協賛を募ろうと思うんだ。」
「スマイルハウスを仕事にするって事?」
「そうだな。」
「料理長じゃなくって?」
「料理は、たまに作るよ。昨日みたいな誕生日の日とかさ。」
「OKでーす!」
「何だ、そりゃ?」
「私ね、お父さん、あそこに連れてったら、絶対、そう言うと思ってたんだ。あそこの運営、本当に厳しくて、萩原さんが可哀そうだったから。」
「何だ、お前、分かってて、図ったのか?」
「まあね。明日、萩原さんに話しておくよ。それから、お父さんと一緒に萩原さんと話そう。」
「分かったよ。お願いするよ。」
「お父さん。」
「何だよ?」
「今度の日曜日、空いてる?」
「空いてるも何も、暇なのは、知ってるだろう。」
「じゃあ、美味しいそうめん作って、また、スマイルハウスで。」
「何だ、それ?」
「駐車場でね、流しそうめん大会やろうと思ってるの、だから。」
「そうめんなんて、簡単じゃないか。」
「そうめんだけじゃ、お腹いっぱいにならないでしょう。それに私が小さい頃、お父さん、カラフルなそうめん、作ってくれたよ。」
 
思い出した。愛美が小さい頃、喜ばせようと思って、錦糸卵や、魚肉ソーセージやキュウリ、それにカニカマを細く切って、そうめんの器に盛りつけた事があった。でも、あれは、何回もやってないはず?
そんな事も覚えているのか?
 
「分かった。作ってあげるよ。」
 
車は、家の方へ向かって走る。
私は運転する愛美の横顔を見た。
リラックスしているようでも目は真剣に前を見ていた。
その眼差しが、私には何だか逞しく映った。
そしてそれが誇らしくも嬉しくもあった。
 


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