ギフテッドだからこそ伝えたい『IQよりも大事な能力』
こんにちは~ 最近ギフテッド記事にスキをつけてフォローして下さる方が何人かいてくれるので、予定を変更してギフテッド 向けの記事を書いてみます。
『高IQ』というイメージが独り歩きしている
ギフテッドを自称する人たち
あるいは
自称『ギフテッドの親』たちの
SNSでの発信は
IQの値や自分の持っている能力自慢
になってしまいがちです
有名な「よしたく@ギフテッドサバイバー」さんも
マスコミに切り取られることに
悩んでいらっしゃいました
つまりは
ギフテッド=特別な才能を持った存在
というイメージを世間が求めていて
そういうイメージを作り出すために
自身のIQの値やエピソードが利用され
独り歩きしてしまっていた
ということです
ギフテッドが能力自慢をしてしまうのは
集団に馴染めず
自己肯定感が低いことの裏返しです
僕はこれだけ凄いんだから受け入れてよ(泣)!
という心理状態ですね
そして残念なことに
IQ自慢は反感と反発を生むため
かならずしもギフテッドにとって
いい結果をもたらしません
そしてIQテストを受けてみて感じたことは
勉強すればIQの値は上がる
ということです
決して先天的なものじゃないんですね
しかも年齢による補正がかかります
その年齢の平均的な知能を100としているので
幼少期から英才教育を施されていれば
同世代と比べて高い値が出るのは当然です
ですから自己紹介にIQ160みたいな値が
書かれていたとしても
何歳の時の測定結果ですか?
って話にしかならないのです
アドラー心理学的に言うと
「IQが高いから生きづらい」
ではなくて
「生きづらい理由をIQの高さにして逃げている」
人もいるような気がします
また
IQは高くないけれど
生きづらさを抱えている人
の救済を妨げているようにも思います
家庭環境に恵まれなかった人は
IQの値はどうしても低く出ます
生きづらさを抱えている人も
ギフテッドも非ギフテッドも
IQの値に振り回されないようになってほしいです
IQは人間の能力の一側面でしかありません
IQよりもEQの方が大事だという話もありますが
僕は
能力の高低よりも本人が幸せかどうかが大事
と考えています
例えば
IQが高くても不幸せな人
と
IQが低くても幸せな人
どちらがいいでしょうか?
僕は人格崩壊を経験するなど
IQが高くても不幸せ な状態でした
そうした状態を
少しずつ少しずつ乗り越えて
能力の高低で勝ち負けを競うんじゃなくて
「幸せな人が勝ち」なんじゃないか?
と思うようになりました
美味しいものを食べてしあわせ~
恋人と楽しい映画を観てしあわせ~
旅行で新しい体験ができてしあわせ~
僕はドロップアウトを経験して
働けない苦しみを味わっているので
元気に働けているだけでしあわせ~
です
しあわせに対する感度が高いんですよね
どん底を経験してみると
しあわせへの感度が高まります
みんなが当たり前と思っていることが
当たり前でないことに気付くというか
感謝の気持ちが強くなります
高級レストランで食事ができない
みっともない、、、と考える人と
100円のカップ麺でも満足できる人
どちらが幸せだと思いますか?
僕は
IQよりも幸せを感じる能力の方が大事
だと思います
そして
IQよりもEQの方が大事という話も
当たり前のものを当たり前と思わない
感謝の気持ちを抱きやすい人は
自然とEQが高くなるため
実は繋がっているのです
最後に
今はSNSの発達もあって
幸せ自慢 能力自慢に触れることも
多くなってしまい
自分のことをみじめだと
感じてしまう場面も増えてしまっています
でも「幸せ」って
相対的なものでしょうか?
今日も実家への帰省で高速道路を運転していて
道路のメンテナンスで片側1車線になっている
場面が何度もありました
こうした仕事をしてくれている人たちがいて
便利な暮らしを享受できていて
高度に発達した社会で生きられているだけで
幸せだな~感謝だな~と
しみじみと思いました
幸せを感じる閾値を下げていけば
それだけ幸せになれるように思います
結局のところ
IQよりも幸せを感じる能力の方が大事で
幸せな人が勝負で言うと勝ちなんだと思います
IQの値に振り回されないように
なってほしいものです
今回はここまで
ではまた!