コナンくんにわかが黒鉄の魚影見てきた感想

 劇場版名探偵コナン黒鉄の魚影感想
 14000字あります

・黒鉄の魚影の内容に触れます。ネタバレです。
・コナンくんにわか視点の感想です。ふらっと気になったところだけかいつまんでアニメ見よ〜くらいのにわかです。
・わたしは今作はほぼほぼ好感触でした。

 感想の内容は、以下になります。

・コナンくんについて
・黒の組織について
・哀ちゃんについて
・来年の予告について

 それではいきます!

*コナンくんについて


 まずは主人公、コナンくん!
 コナンくん、身体能力年々上がってませんか!?
 わたしはコナンくんのことを「ひどい風邪を引いているときに川に飛び込んでそのあと一晩山小屋で過ごした状態で、木から木へ枝をぴょいぴょい飛び移っていける」程度の身体能力の持ち主と思っていたのですが、なんかさらにグレードアップしてる気がします。

 あとコナンくん、空間把握能力高すぎます……潜水艦と自分の距離を海中でおおよそ瞬時に把握できるのはすごいです、サッカーで培った能力なんでしょうか?
 異常察知能力と合わせて異様な速さでスナイパーを捕捉し蘭さんを庇い、遮蔽になる隠れ場所を見つけ出して蘭さんを匿い、相手に悟られずに射撃を阻害し蘭さんをその場から逃すことができるのもさすがです。

 あと子どものフリをするコナンくんかわいすぎます。まさに「きゅるん」って感じで、実際にあざとい面のある歩美ちゃんだってもっと自然なのにと驚かされました。

 あとコナンくん、探偵と同じくらい人間の行動分析に長けてるように見えます。
 人を状況的に追い込んで瞬時の判断を次々に迫られる状況を作り、よりその対象の性格通りの行動を取らせるようにし、それを読み切ることで窮地を脱することができる、サメというか猟犬とかシャチですね。
 でもコナンくんは探偵なのであくまで推理できる「要素」が揃わないといけないのだと思われます。だからベルモットさんが助けてくれた理由まではまだ推理できないのだと思います。

 あと黒田管理官に助けられた蘭さんを見て自分の小さい両手を見るコナンくん、切ないですね。
 わたしは論理的にはその筋のことはその筋の人に任せるべきと思うけど、やっぱり大切な人は自分の手で助けたい、当たり前のことです。

 佐藤刑事に怒ってごめんねって言えるのもかわいくてよかったです。二人の「ごめんね」「私も信じてあげられなくてごめんね」というやりとりも教科書みたいな真っ当さで素敵です。トトロいたもん……
 というかコナンくん、ゼロの執行人で哀ちゃんと阿笠博士にキツく当たって謝れなかったことを踏まえるとちゃんと成長していて伸びしろの塊ですね。

 崖の上から飛び降りて海中まで追いかけていくような熱くなる部分はあれどちゃんと自分の限界を見定めて浅瀬に帰ってこれてるのには、冷静さが垣間見えます。
 赤井さんに「どうすればいい?」って聞けてるし、視野が広くなって状況打開能力もメキメキ上がってますね。

 でも今回の映画で蘭さんとコナンくん(新一さん)が本当の意味で連携を取れたらラムさんの側近の一人くらい軽く捻れるということがわかったの面白いです。蘭さんの武力・勇気とコナンくんの空間把握・異常察知・行動分析力があればチョチョイのチョイ……かもしれません。

 あとコナンくんやっぱり仲介者の能力があるんじゃないかな?と思いました。
 赤井さんと安室さんは純黒の悪夢でもコナンくんに仲裁されてたし今回もコナンくんを介して協力体制を敷いてたし、あと長野県警の諸伏さんと大和さんもコナンくんの仲介で仲良くなれました。あと沈黙の元太くんと光彦くんとかもそうですね、探偵甲子園の服部さんと白馬さんとかも……。
 それにしても赤井さんと安室さん、そろそろ連絡先くらい交換しても良いんじゃないでしょうか。小学生に苦笑いされてますよ!

*黒の組織について


 次に黒の組織!
 ウォッカさん、黒の組織の軽口枠?今作での黒の組織一番のやらかしたで賞はこの方では。
 でも今回の組織は実際はジンさん、ウォッカさん、ピンガさんの3人だけでバーボンさんベルモットさんキールさんは実質妨害ムーブしてたので……しかもジンさんとピンガさんはバチバチしてるという孤立無援っぷりです。ウォッカさんが「拉致しようぜ!」って言ったときに3人にパス言われてたの悲しすぎます、チームワーク〜!

 でもウォッカさん、「ドア前に見張りをおいておく」「哀ちゃんを手錠で繋いでおく」「哀ちゃんの指紋、虹彩、血液など個人特定できるものを採取しておく」のどれか一つでもしておけば勝利確定だったのにしなかったのは庇いようのないミスですね。潜水艦の中だから逃げ場はないって思ってたのかな。
 ウォッカさん今回やってる脅し自体は組織ならではの怖さがあったけど総合的なやらかし度が高くて若干愛嬌が出てしまってるのはたぶん普通にそういうキャラとして描いてるんだと思います。FBI連続殺人事件のときもお口が軽くてキャメルさんに聞かれちゃってますしね。

 あとキールさん、今回被害者を最後まで逃そうと努力し、赤井さんに密告し、哀ちゃんに脱出方法を伝達し、ジンさんを言いくるめるとすごい活躍っぷり、かっこいい!

 コナンくんと安室さん、コナンくんと赤井さん、並びにFBI、日本警察も手早く連携できてたので味方側のムーブがスムーズになってきていて、相対的に組織の個々人の連携の取れてなさが気になってきますね。

 それにラムさん、烏丸さんにしばらく会えてないんですね。
 そしてラムさんは烏丸さんが生きていると思っているけれど、今現在どういう姿で過ごしているのかは知らないと。これってつまり今の黒の組織は実質ラムさんの指示で動いてるってことになるんでしょうか。

 老若認証、たぶん組織のメンバーは哀ちゃん=シェリー?ということが発覚したことによりターゲットの捜索に使えるな〜って思ってると思うんですが、ラムさんは烏丸さんどこにいるんだろうな〜って思ってることについては、各々見えてるものが違ってるけど大丈夫!?って思います。
 哀ちゃんがめちゃくちゃ組織に狙われてる印象があるのは、大体ジンさんとベルモットさんのせいで、もしかしてラムさん自身は「裏切り者は排除する」以上の執着はないのかもしれないですね。

 それとピンガさん、構成上しょうがないけど追い詰めるより追い詰められてた印象が強いのもなんか新鮮でした。
 ジンさんはじわじわと追い詰めていく怖さがあるけど、ピンガさんは蘭さんから逃げ、推理でグレース=ピンガだと当てられ、コナンくんからも逃げ……って大変そうでした。

 ベルモットさんは組織<コナンくん・蘭さんなのがはっきりしてるので視聴者視点では行動を読みやすいです。
 今回の老若認証はなぜか歳を取っていないベルモットさん自身ももちろんコナンくんにも致命的でベルモットさん的にはまさに「開けてはいけない玉手箱」です。
 そして志保さんの変装で渡り歩いたのは哀ちゃんへの借りを返すのと同時に、「玉手箱」のガワをただのガラクタ=クソシステムの箱に偽装してラムさんを欺き、パシフィック・ブイを壊す指令を出させるためにやったのだと思います。
 あとネイルはわかりやすかったです。最初のおばあさんも志保さんも。

 フサエさんのイチョウのブローチ?帯留め?については、おそらくベルモットさんは残り整理券の枚数がちょうど切れる瞬間を狙ってわざと行ったのだと思われます。
 哀ちゃんが最後の一枚なのは偶然だとしても、ベルモットさんが無くなったタイミングを狙ったのは故意で、哀ちゃんを試したのではないでしょうか。
 正直クリス・ヴィンヤードレベルの芸能人なら裏で手を回してブローチくらいいくらでも手に入れられるだろうし、そもそも二元ミステリーやミステリートレインでの用意周到なベルモットさんが整理券の配布の時間に間に合わなかったとは考えづらいです。
 この辺りのことはまた少し後述します。

 でもベルモットさんにとってのフサエさんのイチョウのブローチはかなり大切なものなんですね。それもキッドさんにとっての鳩くらい大切な……。
 たぶんだけどベルモットさんと哀ちゃんの一連のやりとりはモロ世紀末のキッドさんのコナンくんのやりとりそのままなので、物語の構図上イチョウのブローチ=鳩なのだと思います。

「なぜオレが敵である君を助けたのか……」
「そんなの謎でもなんでもない、鳩を助けたお礼だろ?」

 そう考えるとコナンくんは逆算できてもおかしくないのですが、ベルモットさんに「自分がなぜ哀ちゃんを助けたのかを推理するのが探偵」ってどっかで聞いたようなことを思われちゃってますね。今回コナンくんベルモットさんに会ってないので、肝心のブローチを譲ってもらった=鳩を助けたことがわかってないのでしょうがないですが。
 これもニューヨークで蘭さんと助けた強盗=ベルモットさんだと知らないことの繰り返しですね。

 そしてもう一つ、これは最後の牧野さんのパシフィック・ブイを放棄する決断、哀ちゃんの蘭さんに唇を返す行動の前振りだと思われます。
 この黒鉄の魚影という作品は、映画全体で「自分が心を寄せているものを、他人のために手放せるか?」という問いを問うています。
 この問いに関しては後で詳しく書こうと思うのですが、この映画では「保身」「貸し借り」「譲ること」が全体として描かれているのではないでしょうか。

 そしてこの映画でのその「保身」の代表はジンさんです。ジンさんウォッカさんコンビがドジっ子コンビになっちゃってきてる……どうして……。

 あとベルモットさん、わんちゃんに好かれてるのはどういうことなのか少し迷いました。ベルモットさんは「優しい心を捨てきれない悪い人」って解釈でいいのでしょうか。
 ベルモットさん、有希子さん、コナンくん、蘭さんの3人にだけ明らかに態度が違いすぎるので、この3人のことは好きで大切に思ってるんですよね。

*「保身」について

 では「保身」の話をします。
 この映画でわかりやすい「保身」のシーンは、直美さんが志保さんに助けられて志保さんにいじめの標的が移ってしまっても見て見ぬふりをしたことです。

 だからその「保身」は因果を経て志保さん・哀ちゃんを危険に晒すという、直美さんが望まない結果を生んでしまいました。
 直美さんの「私のせいで」は、客観的に見たら哀ちゃんのいう通り「直美さんのせいではない」のですが、この映画の構図上はおそらく「直美さんが保身に走った因果が導いた結果」です。

 そして前述したジンさんの「保身」は、端的に表せば「疑わしきは罰する」です。
 キールさんに指摘された通り、ジンさんは漆黒の追跡者や純黒の悪夢で描かれたようにメンバーにNOCの疑いがかかったとき、真実を明らかにするよりも疑わしいと思ったものは全て抹殺することを選びます。
 これはつまり、ジンさんは真実を追うというハイリスク・ハイリターンを取らず、疑わしい全てを無に帰すというローリスク・ローリターンを取る、という選択をしているということです。
 だからジンさんはハイリターン=真実=「江戸川コナンは工藤新一」に辿り着けません。
 ジンさんはよく江戸川コナンは工藤新一という事実に辿り着いたメンバーを自らの手で殺してまうのでどこか「惜しい」印象のある人物ですが、それはおそらくこういう性質に由来しています。

 今回も、ジンさんはピンガさんの「ジンさんの立場が揺らぐような結果を持って帰る」というハイリスクを切り捨ててしまったため、結局ピンガさんの得た「江戸川コナンは工藤新一」という事実=ハイリターンを手に入れることはできませんでした。

 これは漆黒の追跡者、純黒の悪夢でも同じで助けに行くのはハイリスクなためアイリッシュさんを見捨て、ゴンドラからいなくなってしまったキュラソーさんを観覧車ごと始末することで片をつけようとしてしまいます。

 今回の映画、直美さんとジンさんは互いに「宮野志保・シェリーを探している」「保身的」という共通点があります。
 しかし直美さんは、哀ちゃんの「私は変われた」という激励で「逃げるなんて無理」という保身的な行動をやめ、どうにかして脱出を試みるようになります。
 その結果、直美さんは生還し、哀ちゃん=シェリーだという真実を手に入れて哀ちゃんを通して志保さんに後悔の謝罪を届けられたことを知り、ラストで新しい地へ踏み出すことができました。
 一方、ジンさんはまたシェリーさんと会うことはできませんでした。

*ジンさんについて

 少しジンさんの話をします。
 これは私の勝手な推測ですが、ジンさんはおそらく本来の性格は相当な臆病かつ慎重派です。
 そして頭の回転が速いため、いろいろな可能性を一気に推測してしまい、不安要素は全て潰していかないと安心できない繊細さがある性格です。
 作中でよく言われている「証拠は全て残さない」などの周到さもここら辺が関係していると思われます。

 そしてジンさんは「あの方」への忠誠心が高いですが、烏丸さんのいうことにはなんでも諾々と従うタイプの忠誠心ではなく「烏丸さんに気に入られたい」「自分こそが烏丸さんに最も信頼されている腹心である」というある種のプライドに基づいている、「野心的な忠誠心」の持ち主です。

 今回ピンガさんを見捨てる選択をしたのも、前々からピンガさんとは折が悪かったとしても、一番の理由はピンガさんの持つ「自分の立場を揺るがす情報」を恐れたからだと思われます。
 ベルモットさんのことを「ベルモットさんの秘密主義は気に入らない、たとえあの方のお気に入りだとしても」と思っていることからして、ジンさんは基本的に「自分よりあの方に気に入られている」「自分より立場が上」な人物は気に食わないことが推測できます。
 なのでおそらくジンさんはラムさんのことも「あの方が組織のNo.2だと認めているから命令には従っているけど、実は嫌い」なのだと思います。
 ジンさんは烏丸さんの指令には従う一方、自分には知らされていない秘密があることを知ると不機嫌になるし、自分の他に烏丸さんのお気に入りがいたら気に入らないし、理解できない指令があると「どうしてこんな指令を?」と疑問を持ちます。

 そしてその反面、自分に対して忠誠的、好意的な人物にはジンさんもそれなりの愛着を持っていると思われます。
 ウォッカさん、キャンティーさん、コルンさんです。彼らはいつもジンさんに従ってくれるし、褒めてくれるし、慕ってくれる存在です。
 ウォッカさんの「さすが兄貴!」という態度や、キャンティーさんの逐一「どうするジン?」とジンさんに判断を仰ぐようなところ、コルンさんの黙ってジンさんの作戦に従事するところは、ジンさんの気に入るところなのだと思います。
 アレ!?なんかウォッカさんには甘くない!?と思わせる数々の言動も、ジンさんのこういう性格に由来しているのではないでしょうか。
 ジンさんは「人の行動を読むことに長けている」ため、数ある可能性の中からターゲットの足跡を追い、確実に始末する選択を選び取る能力はありますが、一方で予測していなかった事態には若干弱い傾向にありそうです。

 さて、ここまで推測したところで少し遊んでみます。
 コナンくんたちが完璧にジンさんを出し抜くにはどうしたらいいか?です。
 ジンさんは一瞬で数々の可能性を推測し、その中から正解の選択を選び取ることができ、ラムさんやキールさんからの指摘もそれが的確であれば受け入れて即時行動を切り替えることができる柔軟な思考の持ち主です。
 しかし、臆病で慎重派でもあります。

 なので、おそらくですがジンさんは「正解が複数ある」場合にとても弱いと思われます。
 もっと詳しく書くと「どれか一つを選ばなければならないが、何を選択してもハイリスク」の場合、不安要素(ハイリスク)を全て潰していかないと安心できない性格から、どれか一つを瞬時に選択できずに迷ってしまうと推測できます。
 ジンさんの「瞬時に正解の選択を選び取り、相手に逃げる隙を与えない」という強みを潰すことができるということです。
 ここにさらに「組織内でジンさんの立場を危うくするような情報を複数の方向からチラつかせる」などできたら良いのではないでしょうか。
 こうなってしまえば、ジンさんは全てしらみつぶしに潰していく必要が生まれ、必然的に思考の視野を狭めることになるのでそこに隙が生まれると思いますし、行動もさらに読みやすくなると思われます。

 実際には、ここからさらに「自分に隙が生まれると読んだ相手の思考を先回りして読む」ジンさんをさらにもう何度か欺く必要がありそうですが、ジンさん攻略の方向性としてはこういう感じでいくといいんじゃないかな?とわたしは思いました。
 実際、FBI連続殺人事件のときなどは、コナンくんたちは「複数の選択肢を用意し、その中に一つ最も相手の裏を掻くような逃走ルートを用意してそれを本命とする」手段を取っていて、結果後手を取ってしまっているのでその逆転の発想としてという着想もあります。

 ジンさんはプライドの高い人物なので、今回のピンガさんのようにその性格を読み切って「臆病」「へっぴり腰」「本当は組織での立場が揺らぐのが怖いのでは?」「逃げ足だけは早い」「そんなんだからラムさんより格下」などの煽りをすれば内心でめちゃくちゃ怒ってくれる可能性もありますね!

 逆に言えばコナンくんたちは「全て“正解”を用意してジンさんを迎え撃たなければいけない」というハイリスクがつきまとうことになりますが、ここで役に立つのが「武力」です、パワーは勝つのです。
 ドライブテクニック、空手、剣道、合気道、柔道、ジークンドー、ボクシング、射撃、スナイパー、こういった数々の武道に精通する人物は頼りになります。

 話を映画に戻すと、今作の直美さんは、映画の中で直接描かれたように哀ちゃんと明美さん、キールさんと本堂さんを思い起こさせるキャラであると同時に、ジンさんの鏡のような存在でもあったのだと思います。

*哀ちゃんについて


 ではキーパーソンの哀ちゃん!
 今回の哀ちゃんは印象として「譲る人」を強調して描かれていたと思います。

 おばあさんへ整理券を譲り、直美さんを庇ってバスの席を譲り、蘭さんにコナンくんへの恋心を譲り……と、哀ちゃんのもつ優しさは幼いときから本来持っていた優しさであることや、哀ちゃんの他人の幸福を思いやる献身的な一面が描かれています。
 そして、情けば人のためならずという言葉があるとおり、その哀ちゃんの優しさを受け取った人々は哀ちゃんを大切にしてくれますし、それを見届けた人は哀ちゃんに「ご褒美」を与えてくれます。

 園子さんが哀ちゃんへのご褒美としてホエールウォッチングを手配してくれたり、連れ去られたときに蘭さんとコナンくんと博士が必死に取り戻そうとしてくれたり、直美さんが志保さんのことをずっと覚えて探していてくれたり、歩美ちゃんたち探偵団がものすごく哀ちゃんを心配してくれたり……と哀ちゃんの優しさに基づいた行動は、哀ちゃんとさまざまな人物の間に温かい人間関係をもたらしてくれることが描写されていました。

 その哀ちゃんの本来の「優しさ」「献身的な性格」は黒の組織にいた頃には押さえ込まれていたけれど、コナンくんや阿笠博士、少年探偵団と出会うことで取り戻していったということも描かれています。
 そして、そうした中で哀ちゃんのコナンくんへの「恋心」と、蘭さんの明美さんと重なる強さや優しさを尊敬する心が生まれます。

 結論から書いてしまうと、哀ちゃん、そして「哀ちゃんのコナンくんへの恋心」は「人魚姫」なのだと思います。
 哀ちゃんは御伽噺の人魚姫のように「王子様=コナンくん」に恋をしますが、その王子様には「好きな人=蘭さん」がいます。

 順序はバラバラですが、

「人魚姫=志保さんはお姉さん=明美さんから人の世界の話をよく聞いていた」
「王子様=コナンくんを助ける人魚姫=哀ちゃん」
「王子様=コナンくんは人魚姫=哀ちゃんに助けられたことを知らない=意識がない」
「王子様=コナンくんにはすでに好きな人=蘭さんがいる」
「ナイフで王子様を殺せば人魚姫は海の泡にならなくて済む=コナンくんと蘭さんの幸せより自分の幸せを選べば、コナンくんへの恋心を手放さなくて済む」
「人魚姫=哀ちゃんは王子様=コナンくんと蘭さんの幸せのために海の泡に帰る=唇を返すことを決断する」

……など、数々のシチュエーションが重なっており、コナンくんと哀ちゃんのストーリーは人魚姫を想起させるように描かれていたと思います。

 御伽噺の人魚姫が最期、王子様を殺さず泡になることを選んで消えたように、哀ちゃんはコナンくんを生かし、コナンくんと蘭さんの幸せを願ってコナンくんへの恋心を泡に帰すことを選択しました。

 これは前述した、映画の問いである「自分が心を寄せているものを、他人のために手放せるか?」という問いとも関係しています。

*哀ちゃんと牧野さん、そして映画のテーマについて

 この映画において、哀ちゃんにとってのコナンくんへの恋心は、牧野さんにとってのパシフィック・ブイと重なっています。

 牧野さんはパシフィック・ブイを本当に大切にしている様子が描写されています。
 終盤、潜水艦から魚雷が発射され、パシフィック・ブイを放棄して避難しなければならないという場面においても、牧野さんは一度パシフィック・ブイを放棄する選択を取ることができずにデコイで魚雷の軌道を逸らすことを“試そうと”とします。
 そうして、最後には人命を最優先してパシフィック・ブイを手放すことを決断します。

 つまり、「自分=牧野さん」は「心を寄せているもの=パシフィック・ブイ」を「他人=人命」のために手放す選択ができた、ということです。

 牧野さんはこの映画の問いに対して、正しい選択ができた正しい人です。
 そしてこの構図は哀ちゃんにも重なります。

 哀ちゃんは、コナンくんが蘭さんのことが好きなことを知っていても今までその恋心を手放す選択を取ることができずにいました。
 紅の修学旅行でも、哀ちゃんはコナンくんに解毒薬を渡す条件として「蘭さんとあまりイチャイチャしないこと」を挙げており、コナンくんへの恋心を諦められない様子が描写されています。

 ですが、黒鉄の魚影では最後にはコナンくんと蘭さんの幸せを尊重し、自身の恋心は手放すことを決断します。

 牧野さんの場合のようにテーマと重ね合わせると、「自分=哀ちゃん」が「心を寄せているもの=コナンくんへの恋心」を「他人=コナンくんと蘭さんの幸せ」のために手放す選択ができたことになります。
 さながら、王子様と王子様の愛する人の幸福を願って自らは泡に消えた人魚姫のようですね。

 そして、牧野さんがどうにかパシフィック・ブイを手放さずに済む方法はないか“試し”たように、哀ちゃんも一度映画内でどうにかコナンくんへの恋心を手放さずに済む方法はないか“試し”ました。
 それが、蘭さんに唇を返す直前、コナンくんが「灰原!」と何度呼びかけても何も返答しなかったシーンです。

 あのシーン、おそらく哀ちゃんは本当は起きていたけれど、わざと意識がないふりをしてコナンくんの反応を“試し”ました。

 意識がない自分に対して人工呼吸をしてくれるであろうコナンくんは、一体どんな反応をするだろう?自分はたとえ人工呼吸だとしても思い返すと「キスしちゃったんだ」とドキドキしてしまうけれど、コナンくんはどう思うだろう?もし、少しでも、少しでも照れたり戸惑ったり、自分を意識してくれたら……ほんの僅かでも自分に向けられる想いにも蘭さんに向けられている想いと同じものが垣間見えたら……。

 ほんの少しでもパシフィック・ブイを存続させる可能性があるのならそれを“試さ”ずにいられなかった牧野さんのように、哀ちゃんもコナンくんへの恋心が実る可能性があるのならそれを“試さ”ずにはいられないのです。

 なぜなら、牧野さんと哀ちゃんは本当に本当に本当にパシフィック・ブイとコナンくんへの恋心が大切だからです。
 しかし、牧野さんも哀ちゃんも本当はわかっています。
 本当に大切なものは人命・コナンくんと蘭さんの幸せであり、パシフィック・ブイもコナンくんへの恋心も手放さなければならないということを。

 コナンくんはただただ自分を助けようと人工呼吸をしてくれるだろうしそこに「灰原哀の命を救う」以外の意図は一切存在しないことを哀ちゃんは本当はわかっているので、コナンくんの反応からそれを悟り、受け入れ、コナンくんが人工呼吸をしようとする前に止め、蘭さんにコナンくんの唇=コナンくんへの恋心を返すことを選びます。
「自分が心を寄せているものを、他人のために手放せるか?」つまり『本当に大切なもののために、大切なものを手放せるか?』、このテーマに対し、二人は正しい決断をしました。
 前述した「保身」の対比にもなっていますね。

 そしてこの牧野さん、哀ちゃんの「試し」は、冒頭のベルモットさんがわざと整理券がなくなるタイミングで現れて哀ちゃんを“試し”たシーンにつながってきます。
 ここでは哀ちゃんはベルモットさんに「試された」側ですが、哀ちゃんは正しい選択をしています。
 なのでベルモットさんは哀ちゃんにその感謝の印として、老若認証のシステムを混乱させ、哀ちゃん=志保さんという事実を隠してくれました。

 そして牧野さんも、人命のためにパシフィック・ブイを手放すという選択ができた結果、直美さんやエドさんという優秀な人材を失わずに次のパシフィック・ブイの建設につなげることができました。
 牧野さんはおそらく、序盤でエンジニアたちに指摘されていた通り、“日本で”パシフィック・ブイを運営するということにも誇りを持っていたように見えます。
 さまざまな国の優秀な人材が集まる中、日本人の自分が総責任者に就任し老若認証という素晴らしいシステムを日系の直美さんが開発し、母国でパシフィック・ブイを運営する……考えてみれば誇らしく思うのも当然です。
 牧野さんは最も理想であった「日本でパシフィック・ブイを運営する」という志は叶うことはありませんでしたが、正しい決断はパシフィック・ブイだけは存続する道を残してくれました。

 これを哀ちゃんに当てはめて考えてみると、牧野さんの「日本で」という気持ちは哀ちゃんのコナンくんへの恋心の「コナンくんへの」という部分にあたるのではないでしょうか。
 哀ちゃんのこれからはまだ空白で映画では描かれていませんが、牧野さんが新天地でパシフィック・ブイを再始動するように、哀ちゃんもまた違う形でコナンくんへの想いを大切にしたり、違う誰かに恋心を抱いたりといった、無限の可能性が正しい決断によって残されたというラストだったのだと思います。

 コナンくんへの恋心を蘭さんに返す手段として蘭さんにキスをするという行動を選んだことに、自分の恋心ににべもないコナンくんへの意趣返しじみた部分が見えるのも、ツンデレな哀ちゃんらしく愛嬌にあふれた行動に思えました。
 哀ちゃん自身がコナンくんへの想いとは違うけれど、重さや大切さとしてはそれと同じくらい蘭さんのことも想っているという表現にもなっていたと思います。
 人工呼吸ではなく「キス」をするなら誰だって好きな人としたいと思うものです。
 コナンくんの心情も踏まえると、現実ではそうそうあることではありませんが、まさしく少女漫画のラブコメみたいですね!

 今回の映画は直美さんが人種差別に抗議したり、大人の子どもに対する偏見が描かれていたり、牧野さんが日本でパシフィック・ブイを運営することに誇りを持っていたこととパシフィック・ブイを運営できるなら日本でなくてもいいということをちゃんと分けて捉えていたことや、ピンガさんが普段は女性として過ごしていて成り切っていた設定などを鑑みると、ほんの少し現代の人種差別やジェンダー問題などを意識しているのかな?と思わせる描写がありました。
 なので、哀ちゃんがコナンくんに人工呼吸をしたことを「キスしちゃった」とときめいていることと新一さんと蘭さんの幸せを願って蘭さんにキスしたことは、男女関係なく等価のものとして描かれたことも推測できます。

 詳しくは書きませんが、元々「名探偵コナン」という作品では、男女の恋愛に強くフィーチャーしていく一方で男女関係なく人と人との大きな愛の話をしているとわたしは思っています。

 最後に、勝手ですが哀ちゃんに関してわたしがこうあって欲しいと願うことを書きます。
 御伽噺の人魚姫は王子様に恋心も自分が王子様を助けた張本人だという事実さえも伝えることはできませんでしたが、もしかしたら哀ちゃんはいつかコナンくんに本当に好きだったのだとちゃんと伝えられる機会が訪れ、その上でこれからもよろしくと互いの人生を応援し合うことができるかもしれないと、わたしは思っています。
 人魚姫のストーリーのように、好きな人に好きな気持ちさえ伝わらない、というのはわたしは少し悲しいです。
 たとえ結ばれなくても、次の恋に進めるよう、別の想いになれるよう、いつかの未来で後悔を残さないよう、もし哀ちゃんがせめて知って欲しいと願うなら、コナンくんに恋心を伝える機会があってもいいのではないかと思っています。
 なんにせよ、哀ちゃんの未来が哀ちゃんにとっていまよりよりさらに良いものになって欲しいと、そう願わずにはいられない映画でした。

 哀ちゃんが「私は変われた」と言ったように、他人と出会い、その優しさに触れ、自らも他人を大切にできるようになることは、過去の自分には想像もつかないような可能性に溢れた、無限の未来をもたらしてくれます。

 こう考えると、映画の前身としてミステリートレインの話が選ばれたのもわかります。
 ミステリートレインでは、哀ちゃんは阿笠博士や少年探偵団、蘭さんたちを守るために自分一人で黒の組織を迎え撃とうとし、その結果コナンくんの計略と有希子さんやキッドさん、沖矢さんの助力も得て見事黒の組織を出し抜くことに成功し、殺されるはずだった運命を覆しています。
 言うなればこれも哀ちゃんの「みんなを守るためにあえて火元の車両へ向かう」という他人を思いやる、献身的な決断が導いた結果です。
 そして、その後のコナンくんと阿笠博士と哀ちゃんのシーンで「哀くんはツンデレだから」という阿笠博士に対し、コナンくんは「どの辺がデレなんだよ?」と返しています。
 いつかコナンくんが哀ちゃんの自分への想いを知る日が来るかもしれないと思うと、この3人のやりとりもまた違う見方をもって輝かしく見えてくるのではないでしょうか。

*来年の映画についてとまとめ


 最後に。
 今作の映画で個人的におおっ!と思ったのは、ジンさんの人物像にやや迫れたことでした。
 ジンさんは怖くて、残酷で、謎めいていて、頭がキレて……という印象でしたが、一つ一つの行動から要素を拾い上げていくと、今作の映画で大まかな人物像が浮かび上がってくるようになっていたと思います。
 直美さんをあえてああいう人物として描いていたことからも、見る側がジンさんってどんな人?と考えられるように作られていたと思うので、これは制作側の意図するところなのだと思います。
 だとすれば、ジンさんが暴かれる日もそう遠くないかもしれませんね。

 あと映画が描きたかった人と人との構造や、テーマもわかりやすかったです。
 哀ちゃんの恋心を海中の人工呼吸で生まれた泡になぞらえ、確かに存在しつつも儚く消えていくという構図は幻想的な物悲しさがあり、緊迫感のあるサスペンスとはまた違った方向性の情緒があったと思います。

 そして、来年!
 黒鉄の魚影で哀ちゃんと人魚姫のイメージを被せて描いた上で、来年の予告で服部さんとキッドさんとコナンくんが喋っている……というのは非常にワクワクしますね!

 人魚といえば、志保さんの名前も出てくる服部さんの美國島でのエピソードが挙げられますが、このエピソードの犯人である君恵さんは母親から「弥琴様を殺さないで」という遺言、いわゆる「親の定めを受け継ぐ運命」を背負っていて、それが島の住人も巻き込み悲劇を生みました。
 そしてピンガさんも、女性に成り切りすぎたせいでコナンくんに変装を見抜かれ、そこから死の運命を辿っていきます。
 おそらくですが「名探偵コナン」という物語で「心まで他人に成り切ってしまう」のはタブーです。

 さて、そこで「親の定めを受け継ぎ」、「怪盗キッドに成り切っている」キッドさんが次作に来ることになりますね!
 そして服部さんは妖精の唇でキッドさんと出会い、いまのところキッドさんに「こいつチョロいな」と思われていますが、実は服部さんはこの美國島で「愛のために離されようとした手を決して離さなかった」という偉業を成した、和葉さんに「動いたら殺すで」とまで言い切れる強い愛の持ち主です。
 キッドさんはこの服部さんの凄さがよくわかるのではないでしょうか。

 そして服部さんが怒っていることについて、コナンくんは「キスじゃね?」とキス未遂=服部さんが怒るようなことだとわかっているのに、キッドさんは怒られる心当たりもなにもない……という二人の認識の差がたった二十文字未満のやりとりで発覚しました。繰り返しますが、名探偵コナンはおそらく愛の物語です。

 黒鉄の魚影でベルモットさんが世紀末の魔術師のコナンくんとキッドさんの会話と同じことを繰り返したことなども加味すると、もしかしてもしかして……!?と思えて仕方ありません。

「弥琴様を殺さないで」
「A secret makes a woman woman」
「ポーカーフェイスを忘れるな」

 この三つは、いわゆる自我を滅する「おまじない」だと思われます。
 今作で世界中がCONNECTし、ある意味での呪いを背負っている3人が黒鉄の魚影で示唆されたいま、タブーを乗り越えるのに必要なのは……などなどつい考えてしまいますが、全然見当違いのことを書いていたら相当恥ずかしいですし、なにより楽しみは来年までとっておくことにします。
 この感想を書いたことで、来年から見て相当へんなこと書いていたら大笑いするという楽しみもできました!

 最後の最後に、わたしのようなにわかにも物語が三次元的にスッと入ってくるような構成かつ、華々しいダイナミックなアクションと、キャラそれぞれの愛らしさがぎゅっと詰まっているのは感動しました。
 来年も行こうと思える、素敵な映画だったと思います!

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