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部分的動員についてロシア人が思うこと

背景

 昨晩、ロシアの友人と2時間ほど通話した。9月21日にロシアで発令された部分的動員について、彼の考えや彼が住むまちの様子について、話を聴きたかった。

 通話の相手はニコライ(仮名)。ロシア中部の沿ヴォルガ連邦管区に住む30代男性。建築家だ。彼とは2015年にウラジオストクで知り合った。鉄道でハバロフスクまで向かう私を、駅まで案内してくれた。メールアドレスを交換し、その後も私のロシア留学中に彼の家にお邪魔したり、モスクワで会ったりと、現在まで交流が続く。

ニコライのまち

 「おう、元気か」「うん、少し前にコロナにかかって、最近ようやくってとこかな」。ニコライとの通話は2か月ぶりだった。普段の通話では、こんなアイドリングトークが5分ほど続く。だが今日は違った。「ニコライはどうなの?まちは?動員反対、戦争反対のデモは起きてないの?友達で召集された人はいない?」。矢継ぎ早に攻め立てる私を見て、彼は笑った。
 
 「俺もないし、知り合いで召集にあった人はまだいないよ。デモや反対運動も特に目立ったものはないな。ひょっとすると俺が知らないだけかもしれないし、やってたとしても数人が集まってるくらいじゃないのかな。今のところ、まちは落ち着いてるよ。」。どうやらニコライの生活環境に大きな変化はないようだ。私が相槌を打っていると、「君らんとこのメディアでは、ロシア全土がパニックになってるって言うんだろ?」とにやけながら言った。

 パニックとまでは言わないが、ニコライの指摘はあながち間違ってないと思った。動員が発令された後、日本の新聞、テレビでは連日ロシアと周辺国の国境における渋滞や、動員に反対するデモの様子が伝えられる。それも事実だ。しかし、変化がある部分のみを報道することで、あたかもロシアで全国的に暴動が起こっており、ロシア人の多くが戦争反対に目覚めたかのような印象を与えてしまう。

 朝日新聞の元記者である本多勝一が言う(『職業としてのジャーナリスト』p47-48.)、報道における選択的黙殺を肌身で感じた。読者の関心や、政治的配慮を考えると難しいが、「ロシアでは以前と変わらない日常が送られている都市もある」ということを伝えるメディアも必要ではないか。


ロシアの狙い

 今度はニコライから質問が飛んできた。「連日ロシア・ウクライナ関連の報道ばかり見ていて、日本人は飽きないのか?円安、インフレ。日本だって大変な状況だろ」。

 この質問には驚いた。プーチン大統領が侵攻を決意した理由の一つとして、ロシアのエネルギーに依存している欧州が、強硬な制裁を継続できないという見立てがあったとされている。この見立ては、ロシアによるウクライナ侵攻開始から時間が経つにつれて、「ウクライナ疲れ」という言葉で現実となった。

 (私の知っている限り)ニコライは政府とは何のつながりもない人間だ。だが、米欧に足並みをそろえ、ウクライナ支援を続ける日本の「疲れ」に彼が期待しているように聞こえてしまった。

ロシア人の精神構造

 次に私が質問したのは、ロシア人の精神構造、メンタリティについてだった。9月26日から予備役の招集、訓練所への輸送が始まった。輸送に際して徴集事務所で執り行われる式典の様子を、ロシアのメディアは動画と共に報じたが、その光景は私の目には異様に映った。以下がその動画だ。

 動画はロシア北部のムルマンスク州で撮影されたもので、予備役が徴集にあたり抱負を語る様子や、家族との別れの様子が映し出されている。軍人のコメントは士気に満ち溢れており、別れを告げる家族は涙をみせるどころか、笑みを浮かべている。家族が数か月後に戦死する可能性があるというのに、どうして笑っていられようか。

 断っておかなければならないのは、この動画が公開されているのは、ロシア国防省所轄の放送局のウェブサイトであることだ。事務所でパニックになる予備役家族がいたとしても、それを公にするはずはない。しかし、映像内で笑う女性がサクラであるとも思えなかった。

 私はこの疑問をニコライにぶつけた。彼の答えはシンプルだった。「普通に人前で泣かないようにしてるだけだと思うけどね。泣いても徴集が覆るわけじゃないし、仕方ない」。彼はつづけた。「ロシアは100年ごとに大きい戦争を経験してる。20世紀は大祖国戦争、19世紀はモスクワでナポレオンを迎え撃った。18世紀は北方戦争でスウェーデンを破ったし、17世紀には当時の大国、ポーランド・リトアニアとにらみ合っていた。だから今回の動員にも落ち着いて対応してるんじゃないか」。

 「泣いても仕方ない」という表現は、米ソ双方が摘発したスパイを交換するという内容のノンフィクション映画「Bridge of Spies」で描かれるソ連側のスパイ、ルドルフ・アベルの口癖「Would it help?」を思い出させた。主人公の弁護士は、裁判を前にしたアベルに「不安はないか」と問うが、対するアベルは「Would it help?」と答える。自分が抗うことのできない大きな流れ、自分より強いものに受け身で徹する。これがロシア人の精神の一面なのかもしれない。


準備

ニコライは昨晩の通話では終始落ち着いている様子だった。しかし、「部分的動員」ではなく、「総動員」が発令されるとき、ロシア人の平静が保たれるかは疑問だ。ニコライは、先のことはわからない、と断りつつ、自分に召集令状が来たときのことを考え、包帯と止血帯を通販で購入したと言っていた。「軍の支給品の質はタカが知れてる。できる限り自分で用意しなきゃ」。

 ニコライが総動員をどれだけ本気にしているかはわからなかった。ただ、彼は歴史や政治に明るく、教養があり、ものごとを客観的にみる人間だ。私には言わなかっただけで、彼の行動には、それなりの根拠があるのかもしれない。冷静なロシア人も、自分の手の届く範囲内では行動するようだ。

おわりに

 ウクライナで民間人の犠牲者が日々増加する中、知り合いのロシア人を案ずるのはあまりにもナイーブだ。しかし、事態が総動員にエスカレーションせず、ニコライの「準備」が杞憂に終わることを祈らずにはいられない。



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