無職で主夫で学生な私がどうやって看護という仕事に出会うのか?③

 一見して飲み会やこれまでの知り合いとの交流を繰り返し、多くの人達と会う日々を過ごしていました。時には、怪しい集まりにも潜入して、元自衛隊幹部で保健師をやっていた方とも会ったことがあります。
妻にはなぜそんなにたくさん飲み会をする必要があるのだろうとさぞれていたことと思います。私は当時あまり気にする余裕もなかったと思いますが、今思えばその視線は冷ややかなものだったと思います💦
 それでも、あの他者との交流は、約10年間をお国の犬として捧げた偽りの自分から、本当の自分を取り戻す時間だったと思います。当然、単に楽しい時間を過ごしていたのではなく、時には友人と会うことすら辛かったときもありました。
 もちろん、「なぜ辞めたの?」「これから何するの?」「子どもはどうするの?」といった質問も気持ちを辛くさせていました。こんなことをしていても何に繋がるのか?子どもを幸せにできるのか?男として情けなくないか?自己否定につながる日もたくさんありました。
 ただ、一般的な転職活動をして明るい将来は迎えることができるのかは常に疑問でした。それは日本が終身雇用制度が根底にあり、それを覆すには前職で何かとてつもない業績が作ったとか、組織のプレイヤーとしてパフォーマンスが高いことを示す必要がありました。
 ですが、私一人では上手く自身の業績を整理することはできなかったですし、転職サイトを利用しても、その方の助言はテンプレートでしかなく、私の経歴に沿った内容ではなかったからです。
 公務員だから事務処理能力が高い?コミュニケーション能力がある?住民目線の視点?どれも抽象的すぎて自分ですら納得できないアピール要素を誰が評価してくれるのでしょうか?

 定性的な能力を示すことしかできないのならば、能力を示すまでの文脈が一番大事だと思ったのです。

 そのため、私は自分の志向やこれまで業務を他者との会話から整理し、その時にどのような能力が養われて、その結果どのような実績に繋がったのかを一人で整理することにしたのです。そのために、他者の経歴や仕事ぶりを聞き、社会的にアピールできる要素を探していく必要があったため、他者とたくさん会っていました。
 それは他者の社会人としての順調ぶりも聞きながら、自分が置いて行かれている気になるために辛くなる日々がやはりありました。
 そういったときは、一人で真っ白な紙にこれまでの私の人生を書き記したり、今感じている不満、あるいはやりたいことを書き出して自分の気持ちを整理しようともしていました。そうして自分の気持ちと過去と向き合いながら、過ごしたわけです。
 そして、毎日、履歴書を書きながら、真っ白な紙に書きなぐりながら暗中模索の日々にを過ごす中で、気が付くわけです。
「あれ?コミュニケーション能力にも色々な要素があるな」
「これって海外では評価されている部分でもあるみたいなだな。」
「住民と話しているとき俺は色々なことを考えていたぞ?誰のためだ?場合によるなー」
「あれ、俺の中でこういったタイプの人間にはこんな話し方しているぞ、俺の中だけのビッグデータがあるな(笑)」
「あれ、単純計算で俺7年間で5000人ぐらいの初対面の人と話しているぞ?(笑) 俺、人見知りだと思っていたけど、無茶苦茶コミ力あるんじゃね?」

俺には、人の心の変化に気付くための指針がたくさんあるし、人を説得するための様々な技術がある!(が、他人よりも多いかもしれない( ´艸`))


そんなことに気が付けたのは、犬を辞めてから約半年後でした。そして、


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