見出し画像

「本を作らないのですか?」と聞かれたオタクの話

私はとある乙女ゲームをきっかけに二次創作にはまり込みました。好きになったカップリングを検索しまくり、見つけた創作物をイラスト、漫画、小説、ジャンルを問わず読み漁っては他人の妄想で胸を膨らませていました。

そうしているうちに読むだけて足りなくなって、自分で小説を書いてみようと思い立ったのです。今、その当時に書き上げた小説を読み返せば、あまりの稚拙さに赤面してしまう。地の文が、他の創作者様に影響を受けて流されていく様は、目も当てられないくらい酷いものだったと覚えているからです。

ですが、小説を書き始めた最初のころは、自分の思うままに書く楽しみに溺れていたお陰でとっても幸せでした。未熟なりに起承転結を組む面白さと、無事にオチまで引っ張れたときに得られる快感の虜となっていました。

夢中で文章を書く時代を通り過ぎ、自分なりに上達を感じ始めたくらいの時期に、私はとある漫画にはまりました。そこで初めて腐った小説に手を染めることになったのですが、話が逸れるのでここでは深く触れません。

新しく好きになったカップリングはマイナーカプでしたが、初めて取り扱ったカプも希少カプだったので、私は気にすることなく書きたい小説を書き散らしました。誰の目にも触れることがない、ということを自覚している強みでしょうか。これまで小説を書いてきた中で最も自由気ままに活動できていたと思います。界隈をまったく意識しない勝手さもあったかもしれません。ですから、そのジャンルの小説を書いているとき、読者様の声が存在するとは思っていなかったのです。

作者的な興味で「あなたの好きなお話はどれですか?」というアンケートを置いたことがありました。そこで数票いただいた私は、それだけで長文感想をもらったかのように舞い上がりました。アンケートの票を日常生活の糧に転換して生きていったくらいの気持ち悪さを思い出すと、枕に顔を埋めたい心地でいっぱいになります。

そんなある日、形ばかりのメールボックスに一通のメッセージが届きました。私が書いたお話を楽しんでくださったようで、とても嬉しく思いました。そしてその後に「本は出されないのですか? 買いたいです」と続いていました。今の私がこれを受け取ったらパソコンの前で平伏して感謝を示すでしょう。ありがたやありがたや…

ところが当時の私ときたら「なぜ?」という気持ちが山盛りになっていました。これまで書いた小説はすべてネットにあげているので、いつでも読みたいときに無料で読めるのに、どうしてお金を払ってまで……?
なんということでしょう。これがどれほど光栄なメッセージなのかをまったく理解せず、私はX(旧Twitter)に流れていくのでした。

もちろんお返事には丁寧にお礼を述べ、今は本を出すことは考えていませんとお答えしました。あのとき、もし何か書けていたら「よし! これを本にしよう」と行動に移したかもしれません。ですがそのときは、もう推しカプの話を書き切っており、ネタが切れていたので本を出す出さない以前の問題でした。

そして、そのメッセージは数年経過してもずっと頭に残り続け、時が経つにつれて私は「紙媒体で手元に置いておきたい」という彼女(彼?)の気持ちをようやく理解していくのでした。感謝が遅い!
オタクは読者の反応を食べて命を繋ぐ生き物なのだから(少なくとも私はそう思っている)悪意以外の言葉はぜんぶ大切にしていこうと思いました。

Twitter時代、私に「本を出しませんか」「本を買いたい」「本を出す予定は?」と聞いたことのある方が数人いらっしゃいました。心当たりがありますか? ……えっ、あります? はい! あなたです。ありがとうございます!! 愛してます。

以上、他の方が発行した紙の本を手に入れてから、ようやく「本を出されないのですか?」という言葉の意味を知ったオタクの話でした。

あなた様のお陰で生まれて初めて自力で作った本が出せるかもしれません。ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?