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今日こそが特別な日だと思う

 特別なにか書こうと思っているわけじゃなくて、今日はただ雑記を重ねるだけです。というのも、最近は心情は変化してるのにそれが身体的動作に結び付かないから、きょうもちょっとした流れの違いを理解できた気がしたのに、noteを書こうという気持ちにならなかったのです。
 だから今日はその反省の念を込めてただひたすらに思うことを書こうと思います。

 さて、来週は秋分で再来週は満月ですよ。まだ暑いだの夜は寝れないだの言っているとすぐに冷え込みますよ。暦は当てにならないとお思いでしょうが、体感が当てになる確信もそんなにないでしょう。自然は暦で回っているわけではないですが、暦は自然を正確に読み取っています。東アジア限定ですが。

 最近は数学の測度論の本と高校日本史の本を読んでいます。どちらも面白いです。高校では地理選択だったので、なかなか歴史を理解できなかったのですが、本を読んでからは歴史的人間として自分を規定しなおすことができたきがします。測度論もまったくの専門外ですが、興味深くて買ってしまいました。易しい解説書なので抵抗なく読み進めています。
 後期が始まったら哲学も掘りますよ。きっと。あと前から読みたかった『利己的な遺伝子』も買いました。

 脱力した世界も悪くはないと思います。べつに世の人全員が死ぬ気で生きているわけではない。力に支配されない人間は無力で孤独でしょうけど強いと思います。しかし力が世界を動かしてきたという側面を、日本史を通して悟らざるを得ません。
 時として権力、武力、支配力、財力など。私はそれを得たいとは思いませんが、それを抜きにして社会を語ることはできないと実感しました。(世界、社会、力なんていう言葉を哲学の授業で発言した日には、教授からするどい指摘が飛んでくるので、もの好きなうちの読者に教授がいないことを願いたい。)

 なんにせよ日常という日々がわたしの生活にしみこんできて、これが人生かと思い始めたころに、私が面白くない人間になってしまったと理解した。もともと面白くない人間で、今さら知った可能性は十分にある。面白い人間は飽きられたらおしまいで、面白くない人間は自分の真面目さに気が付いたらおしまいだと思う。
 おしまいの人間にはなりたくないと常々思っているけど、彼らの人生のなんと楽しそうなことか。他人の良い事柄をねたむことは人間の性の一つで、それをなくすのは僧にでもなる他あるまい。人の幸運をねたみながら自分の幸運を求めることはあまりにも哀れではないか。
 私は幸運を求めるのか。要らないのか。要らないなら死んだも同然ではないか。

 気づけばこのnoteを放り投げて皿を洗ってコーヒーを飲んでいました。きょうの日記はその程度のものです。

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