人類が宇宙に出るために進化は必要か?/映画「2001年宇宙の旅」を観て
1969年7月20日、アポロの矢に乗った人類は、宇宙開発の大きな一歩となる月面到達を成功させた。それから50年余り経ち、宇宙空間での活動で一定の実績を得ることができた人類が次に目指したのは、宇宙開発の最前線となる月面基地の開発。人類は次にアルテミスの矢に乗り、かつては降り立つだけだった場所に活動拠点を築き上げようとしている。
映画「2001年宇宙の旅」が公開されたのは、1968年4月11日。人類が初めて宇宙空間に飛び出した1961年から7年経過し、翌年には人類が初めて月面に降り立つという、世界中が宇宙空間への進出に熱狂していた時代にこの映画は公開された。映画の中では既に月面基地が完成しており、人類は月と地球の行き来を日常の一部として実現している。
そんな近未来を描いたこの映画において、地球外知的生命体の証拠となるモノリスを月面基地近くの地中で発見したことにより、人類は木星を次なる目的地とし、宇宙船ディスカバリー号を発進させる。というのが大まかな映画の筋書きだ。映画の中では人工知能の反乱や人工冬眠など示唆的なテーマがいくつかあるが、何よりも大きいテーマは人類の進化についてだろう。木星へ到達したディスカバリー号のボーマン博士は、月面にあったのと同じ形のモノリスに遭遇し、人類から進化した生命体へと姿を変える。地球を飛び出し宇宙で生きるためには今のまはまではいけない、というメッセージを観客に投げかけるかのように。
現実の宇宙開発が、人類の月面到着から50年を経てようやく月面基地の開発に着手できるようになったことからもわかるように、人類が地球外(国際宇宙ステーションは地球の重力下だから、まだまだ地球から出たとは言えない)に活動範囲を拡げることは本当に大変。安全性を無視した開発はできないし、進んだ先に安息の場所がある保証は無いから、常に帰り道のことも考えなくてはいけない。これらの諸問題をクリアした上で宇宙へ出るにはとんでもなく長い時間がかかる。劇中の様に人類が木星へ到達するのは何年後になるのだろう。
そんなことを考えると、人類が宇宙を活動範囲にするためには、生物として何か進化が必要という考えもあながち間違っていない気がする。人類の祖先であった類人猿が、森から平野に出たときに2足歩行になったように、魚類が陸へ上がるために胸びれを前足へ進化させたように、今の人類が宇宙で生活するには決定的な何かが足らないのかもしれない。それが2001年宇宙の旅で提示されたものであるか、それともガンダムのニュータイプ的なものであるか、はたまた全然違うものであるかはその時が来るまでわからない。ただその時が来るまでは、人類最大の武器といえる科学力を使い宇宙に挑戦し続けることになるのだろう。
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