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目標の再認識

よく子供のころ、勉強をしようとしない私を見て親は目標を立てなさいと言いました。初めの数回は目標を立て、実行に移すのですが、なかなか習慣化いわゆる継続して行えてはいませんでした。この時、続かない理由の考察として目標の立て方やモチベーションについて調べたこともありました。それは例えば「高すぎる目標はやる気の継続が難しいので、簡単なところから始めましょう」ということであったり、「作業を行う前に黒い点を5秒ほど見つめてから目を閉じ、瞼の裏から黒い点の残像が消えたとき集中状態に移行できる」というようなものもありました。しかし、どれも今一つ効果はありませんでした。当時は失敗が重なると目標を立てること自体を毛嫌いするようにまでなっていました。

ですが、今考えるとあの時とは違う解釈が見えてくることがあります。社会人になって自己管理という面で改めて振り返るとひどく単純なことに気づきます。それは、目標はあくまで目的をかなえるまでの手段でしかないということです。当たり前のことですが、目標は自身の体現したい理想像を実現するための現実的なプランであり、それ以上ではないのです。それを子供のころの自分は勉強をしなければいけないという雰囲気に対して、やった方がいいと聞いたものを列挙して目標であるとしていたのです。目指す先すら明確でなく、ましてや、やりたくもないことをする。到底続くはずはありませんね。しかし、当時はそのことが分かりませんでした。

物事にはどんなものにもその成り立ちや理由というものが必要となります。前述の簡単な目標から始めましょうということであれば、難しい目標に対して、細分化を行い、最終的には難しい目標へのアプローチを行う。いわば、階段をスロープに変えてあげる作業を指していたはずです。しかし、私は説明にあった「小さい課題を解決することでまず達成できるという実績や自信を付けましょう」という一文からを見て関連性のないものを設定してしまいました。また、黒い点を見つめるという作業では雑念の多い思考をクリアにするという目的があり、目的もなく目標設定を行い、続かないと嘆いている私には当然効果などあるはずもありません。0には何を掛けても0であるのです。であればこそ、私に必要だったのは動機の後付けでなく、最初の理想像の設定からのウォータフロー形式の目標設定であると分かりました。

良ければサポートをお願いします。どうか、卑屈で臆病な私に前を向く力を、明日に夢見る力をお与えください。自信がない、背中を押してほしいそんな時にあなたの助けは確実に力になります。私のことを馬鹿にしても憐れんでもかまいません。 形はどうであってもきっかけは貴重な財産です。