見出し画像

消化足らずな決意の山の跡

今日から頑張る。いつしかこの決意は明日になり、来週にもつれ込む。こんなことありませんか?

社会人となってそろそろいつ新人という免罪符が通じなくなるかに不安を抱きながらそれでも、した方がいいことを自分で設定し、やろうと決意したはずです。しかし、現実にはいつの間にか休日が終わっていき、仕事という名の明日が迫ってきます。

私はいったい何を間違えたのかと、つい自問自答をしてしまいました。これは単純な優先順位の問題だと気づいたのはやはり学生時代からの経験でした。

学生時代、勉強は非常に苦痛なものです。先生は勉強の字からして強いて勉めると書くのだから、イヤイヤやることが当然であると説明された時はなるほどと納得はしましたが、勉強ができるかどうかは別問題ですよね。誰だって苦しいことはやりたくありません。でも、学校は勉強をするところであると何度も耳にしました。やった方がいい、やるべき事柄に勉強がありましたが、その内容は多種多様です。内容を勧めてくれることはあっても選別してくれたことなどなかったのです。

ここでも出てくるのが自己責任という言葉です。責任という文字から過失のイメージが強くなりますが、あくまで結果の依存先が自己に帰結することを指します。間違えたという考え方、この根本から変える必要があるみたいですね。

良ければサポートをお願いします。どうか、卑屈で臆病な私に前を向く力を、明日に夢見る力をお与えください。自信がない、背中を押してほしいそんな時にあなたの助けは確実に力になります。私のことを馬鹿にしても憐れんでもかまいません。 形はどうであってもきっかけは貴重な財産です。