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最後の日本生活

◆台湾行き決定
 今回は台湾行きが決定してから実際に日本を出国するまでのことを書きたいと思います。
 台湾に来たのは2015年の4月28日だと記憶してますが、いつ頃台湾行きが決定したかは1月か2月とかだったかなーくらいの曖昧な感じです。それからも明確な活動はあまりなく「もしかしたら行かないのかな」なんてバカなことを考えつつふわーっとした日々を過ごしていました。 
 台湾に行く行くと言って送別会を開いてもらいながら、その後数か月間日本にいるので『行く行く詐欺』なんて別れの悲しみが呆れに変わっていく顔を沢山見ました。
 その後4月の沖縄国際映画祭で正式に発表され、会見をしてる時に「あっ!本当に行くんだ」と急激に確信したのを覚えています。普通の会社ならありえないことな気がしますが、そんなふわっとした感じでも大丈夫な適当さが海外生活に向いていたのかもしれません。

◆家の引き払い
 台湾行く上で一番の問題は家の引き払いでした。何せ海外移住なので家にあるもののほとんどは持っていくことが出来ずその上日本に物を残していくことも出来ない。更に実家を売り払っていたので実家に送るなんてことも出来ない。
 悩んだ末家をそのまま友人に譲ることにしました。家電は一通りあるし家具や食器は実家から持ってきたものが多くて質も悪くない。うまくいけば初期費用0円で済む。その代わり漫画や服等処分できなかった物は置いていくから友人が処分する。そんな交渉が友人とまとまり、不動産屋さんに経緯を話したらすんなりOKをもらえました。本当今でもあの不動産屋さんには感謝です。
 結果本当に初期費用0円で一人暮らしが始められた友人は、今でもそこに住んでいるのでこの上ないウィンウィンな取引ができたと思います。
 海外移住をお考えの方は移住と引越しは違うということを強く頭に入れていただくといいのかもしれません。

◆母親との二人暮らし
 家の問題が解決したとはいえ出発日が明確でないのは家を譲る友人にも悪いと思い、4月頭に家を受け渡し最後の一か月間を母親の家で暮らすことにしました。台湾行ったらいつ帰ってこれるかも分からないし、親と二人で暮らすのは僕としては小さな親孝行くらいの気持ちでいたんですが、母親の家に行った初日に「こことここは彼氏が遊びにくるから帰ってこないで」と言われ、「青春してんなー!」と驚きつつ、それくらい軽い感じで思って貰ってるほうが楽だなとも思いました。

◆いざ台湾へ
 そんな緊張感ありつつめちゃめちゃダラダラした日々を過ごしていく中で出国日が決定。出国日前日に携帯を通話のみの契約に切り替えたりして「外でネットが使えないってこんな不安なんだな」と思いつつ羽田空港へ(いろんなところに無料Wi-Fiが出来たのは本当に助かります)。
 チェックインの時に重量オーバーという問題発生。海外生活に不安があった僕はとりあえず生活で必要そうなものから海外で手に入るか分からない物まで詰めに詰め込み合計で10キロ以上オーバーしてたと思います。
 結果昔作ったネタのフリップや液体系の物など重そうな物を見送りに来てくれていた母親や後輩に預けなんとか出国。正直今あの時の僕を今見たら「日本語のネタなんかやらないし、台湾には大体の物売ってるよバカ!」とイライラするくらい滑稽でした。
 台湾はかなり栄えていて便利なので、移住するとしても基本は最初の一週間分くらい凌げる準備があればその間にある程度必要なものは揃えられると思います。とは言え「このシャンプーじゃなきゃダメ!!」みたいなこだわりの品がある人はやはり日本からある程度持参しないと厳しいかもしれません。

 台湾の活動とは関係ないのにかなり長文書いてしまいましたが、次いつ戻ってくるか分からない状態で母国を出るというのはそれなりに不安や思うところがあったんだと思います。
 次回からようやく台湾活動編です。


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