有季定型と自由律
俳句には、有季定型と自由律がある。
正岡子規は前者である。
河東碧梧桐は後者である。
たしか、俳句の句会に参加していたとき、
自由律俳句をしていた河東碧梧桐は
俳句自体をやめてしまったと聞いた。
(記憶ちがいだったらすみません)
でも、教科書にはすばらしい俳句が載っている。
そのとき思った。
やはり定型がすばらしいと。
型をやぶるのではなく、
型の中で存分に自由であることがすばらしいと思った。
それは、様々なことでいえる。
型をやぶって自由になんでもする人がいるが、
型の中に収まるようにして自分はやりたい。
それを型と思うか、思わないかは、自己判断になってしまうのだが。
これは、個人の考え方なので、
他の人には言わない。
型にはめるというのは、
悪いほうにも使われる。
だが、
守破離という言葉があるように、
まず、先人のたどった型を身に付けたい。
型は、生き残ってきたものだから、
生き残ってきた価値が付随していると思う。
有季定型も大事にしたい。
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