忘却

日曜日の昼下がり、午後の眠りを抱いた街で小学生の息子とともに青信号をまっている。向かい側には動物園の敷地とみられる林があり、灰色のコンクリートで埋め尽くされた街を彩っている。普段は息子と二人で出掛けることなどないのだが、最近なぜか妻の疲れが酷く、それを見かねて息子を連れだし、妻に休みの時間をつくったのだ。息子は静かに私の横で赤いヒトと見つめている。

動物園に入り、出店や触れあいコーナーなどを颯爽と駆け抜け、コンクリートの舗装に沿ってどんどん進んでいった。すると羊やらペンギンやらがちらほらとでてきた。こいつらには休みがあるのだろうか。そんなことを考えていると、息子が繋いでいた手を離して、何かを指さした。

パパ、あれはなに?

息子は少し奥まった所にいる動物を指さしていた。
それは金色の毛を纏い、目を奪われるような瞳を観客に浴びせていた。

あれはね、「財欲」だよ お金をたくさんもちたいという生き物だよ

それは輝く毛並みとは裏腹に酷く肥えていて
そのせいか身体を自由に動かせずに、足取りがとても重かった
そして風に揺られた毛の隙間に、万物を吸い込むようなどす黒い肌が見えた。

パパ、あの小さいのはなに?

息子は隣の檻に佇む、赤い動物を指して言った。

あれはね、「愛」だよ 愛はとっても大切だから大事にしなさい

アイってなに?

子供の何でも質問してくる態度にときどきうんざりする。
この世は意味などないもの、言葉にしなくてもいいことが沢山あるっていうのに子供はそれがわかっていない。だから時々馬鹿々々しいことを聞いてくるのだ。だから早く大人になってほしいと日々思っている。

実はね、パパも愛のことはよくわかっていないんだよ
でもみんなよく知っている
パパも知っている
おまえもいずれ知ることにだるだろうよ

おかしいよパパ、それは知らないってことだよ
知らないってことはちゃんと知らないって言いなさいってママも言ってたよ
わからないことはわかるようにかんがえなくちゃいけないって
わからないことを知った風でいるのはいけないことなんだって学校の先生も言ってたよ

私は何と言ったらいいのか分からなかった。
息子の言う通りだとも思った。でも生きていれば分からないことなど数えきれないほどある。それこそ幾つあるのか分からない。一つ一つに悩んでいたらキリがないし、疲れる。そもそも答えなどないものばかりではないか。学校のテストみたいに、正解が用意されているわけではないし、解き方を教えてくれることもない、方程式だってない。だから多くの人が考えることを諦めるのではないか。そのうちわかるからって、それを探すのが人生だって、そんな適当なこと言って誤魔化しているのではないか。

パパ、だからね
いつも答えをだしつづけなくちゃいけないよ
ただしいとかまちがってるとかはどうだっていいんだ
明日にはかわってていいんだ
答えをだすってことは、逃げていない証だから

小学生の息子が急に子供と思えなくなった。
驚きのあまり固まっていた頭を高い空に向け、息を吸った。
これからはもう少し考えて、生きていこうと思った。
ありがとうと感謝の気持ちを伝えるため、下を向いたとき、先ほどまでそこにいた身体はなくなっていた。

あたりを見渡しても息子の姿は見当たらず、焦って走り出そうとしたその時、ふと視線を感じた。
その方向をみると、息子はいた。
ただそこは、先ほどまで愛がいた場所と似た、動物園の檻の中だった。
そこには息子だけがいて、柵の外にいる人の目を引き付けている。
それは心配の目ではなく、羊やペンギンのように動物を見る好奇の目だった。
何がなんだかわからずに、唖然としながらなんとか歩み寄っていくと
柵の前には動物の名前を記した看板が立っていた。そして、そこにはこう書かれていた。

「手遅れ」


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