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「死の恐怖」

再開

2023年1月。
年が明けて間もないと言うのに、死の恐怖とのセカンドコンタクトを果たしてしまった。

と書くと、なんか大したことないように見えるが、実際のところ私は「死の恐怖」にひどく悩まされたし、なんなら今も「死」について考えてしまう時が1日の中で必ずある。

現在は当初よりだいぶマシになったが、初めは、死んだらどうなるのだろう、死んだら好きな人たちに会えなくなる、今楽しんでいる趣味もできなくなる、そして自分という存在がなくなるのが怖い、、などと考え、胸がキュっとして食事も喉を通らないし、何事にも集中できないし、熟睡もできなかった。

しかし、このまま死に怯え続けるのは苦しい、どうにかしたいと考え、死の恐怖(タナトフォビア)や死生観について色々調べた結果、自分なりの死生観(これを死生観と呼べるのかは分からないが)を見つけ、死の恐怖を抑えることができた。なので、それを共有することで誰かの死の恐怖が軽減されればと思い、ここに残すことにした。


 拒絶・受容

 

 まずなぜ死にたくないと感じるか、その原因として

・現状に不満があり、このまま死ねない
・今までの経験や得た知識が無駄になるのがいや
・死んで無になるのが怖い
・友達や家族、恋人と会えなくなるのが辛い


の4つが私にはあった。おそらく多くの人ように考えているだろう。とにかく、この4つに対して納得のいく考えができれば死の恐怖はマシになると思い、思考を巡らせた結果、以下のような考えに辿り着いた。


・現状に不満があり、このまま死ねない
→そう思ってるなら、いますぐ行動するなり、変わるなりしろ!!といっても行動できないのは知ってる。だから、まずどうやったら行動できるようになるか、考えられる一番簡単な行動の2つを考えて、それをやれ!!


・今までの経験や得た知識が無駄になるのがいや
→それはケチなだけ。勿体無いお化けだ!
(岡田斗司夫さんの発言を参考)

→やらなくなったゲームと一緒じゃね?あれだけアイテム集めたり、攻略法考えたり、時間を費やしてたゲームもやらなくなって、無駄になったな。


・死んで無になるのが怖い
死んだら無になるってなんで分かるの?死んだら無になるって誰にも分かないはずのに、なんでそう思うの?(ひろゆきさんの発言を参考)

死んだら全てチャラ。どんな困ったことになってもチャラだし、大抵のことは死ぬことよりマシ(ひろゆきさんの発言を参考)


・友達や家族、恋人と会えなくなるのが辛い
→確かに辛い。でも、それは皆同じ、自分に限ったことではない。そう思っているならたくさん会って、色んなことしたり、たくさん気持ちを伝えてあげよう。そんな時間ないとか、恥ずかしいとか言ってると「現状に不満があり、このまま死ねない」で苦しむだけ。

と、こんな割と普通の考えで私は死の恐怖を軽減することができたわけですが、この考えで皆が皆恐怖を軽減できはしないだろう。
なので、あくまでこういう考えもできるという参考にしてもらって、あとはひたすら考えて、自分の納得のいく考えを見つけてくれたらと思う。


共生

 最後に、死の恐怖は軽減させることはできるが、なくなるものではない。むしろ恐怖を感じること、死というものを害がない程度に認識していること、つまり上手に死と共生することが重要であると私は思う。現に、私は死の恐怖を感じたことで、なるべくやりたいことをやるようになったし、勉強したり、こうやって自分の考えを記録に残すことをするようになった。

言うなれば、” 死を利用してやった ”のである。

これからも私は死の恐怖と上手く付き合って、良い人生を送れるよう一生懸命毎日を生きようと思う。



- あとがき-

ちゃんと書いた文章がこれってなかなか重いですよね。自分でも思いますよ。でも、同じように苦しんでる人がこれを見て、楽になれば良いなと本気で思ったので頑張って文字に起こしました。

いや、それにしてもだよ、初めの導入とか、最後の文章とか、ですます使わないところとか、なんか小説とかの影響受けてるよな、、恥ずかし!!とてもじゃないけど、知り合いには見られたくないし、これ書いてるのが私だとバレたくないな!!

まぁバレたら「死んだらすべてチャラ」の精神で乗り切るとします。
(ん、そういえばファーストコンタクトの話書いてないけど、いっか)


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