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囲碁を題材にした短編小説をどうぞ。「まなざし」約2,000字

まなざし


「じゃあ、まずは道具から説明するね」
 武瑠たけるはわくわくした気持ちで、目の前の女性を見つめていた。今日の学童保育は囲碁教室と聞いていたのでとても楽しみだったのだ。武瑠はこういったゲームがとても好きだった。トランプやオセロ、将棋など。将棋は父親から教えてもらったことがあったが囲碁は初めて触れるゲームだった。
 テーブルの上には小さな碁盤と蓋付きの箱が2つ。それが6人いる児童の2人に1セット用意されている。
「囲碁は碁盤と碁石を使います。目の前の箱の蓋を開けてみて」
 講師の香里かおりの言葉に子供達は我先にと蓋を開ける。武瑠が開けた箱の中には白い駒がたくさん入っていた。正面に座る女の子が開けた箱には黒い駒が。
「そう、それが碁石ね。いい物ははまぐりという貝とか石で作られてるけど、今回はプラスチックです」
 武瑠は白石をつまみ上げる。思ったよりもすべすべして軽い。
「囲碁はこの白と黒の碁石で陣取りをするゲームです」
 香里は今回の囲碁教室のためにボランティアで来ている大学生だった。教室は今日から4週に渡って開催の予定だ。
 香里は慣れた様子でルールを説明していく。石は線の交わる所に置くこと。白と黒交互に着手すること。そして囲った石は取れること。
 子供達はホワイトボードに貼った碁盤を使って陣地の数え方を説明していくのを熱心に聞いていた。
「まずはみんなでやってみようか」
 白と黒の石が交わる世界。武瑠はその日から囲碁に夢中になった。

「香里先生、お願いします!」
 前回の囲碁教室のあと、家に帰った武瑠は両親にお願いして囲碁の入門書を手に入れた。今日までには一通り読み終えるほどの熱心さだ。あっという間に他の子供達よりも強くなった武瑠は、香里に何度も相手をしてもらっていた。
「もう一度かい、武瑠くん。返り討ちにしてあげよう」
「今度こそ勝つぞ!」
 武瑠は黒石を4つ置いた。これはハンデだ。香里のほうが強いため、先に4手連続で着手したことになる。
「おねがいします」
 4つも先に置いているので、どこに打っても勝てる気がするのだが、これが簡単にはいかない。先着していた陣地も次第に切り崩されて、いつの間にか劣勢になっていく。
「うーん……」
 お互いに着手するところがなくなり終局。陣地を数えると、香里の10目勝ちだった。
「ちきしょー、また負けた」
「あはは。強くなってるけど、まだまだ負けないよ」
 悔しがる武瑠に、香里はさっと碁盤の石を崩し、先程の対局を最初から並べる。
「ここの黒が良くなかったね。こっちだとこの陣地は安全だったよ」
 すべての手順を覚えている香里に対して、すごいと思いながらも悔しさのほうが勝るのだった。
「武瑠くん、囲碁楽しい?」
 香里の言葉に武瑠は大きくうなずいた。
「どんなところが面白いかな?」
「石を取るのが楽しい! あとどこに打っても良い所!」
 ニコニコと話す武瑠を見て、香里も笑った。

 囲碁教室はもう4回目を迎えていた。今回が最後だ。
 武瑠はあれからも何度も香里と対局したが、そのすべてで負かされていた。いい勝負になってきているものの、まだ勝つことができなかった。
「お願いします」
 これまでのように、4つの黒石を置いて対局を始める。ハンデ分のリードはじわじわと詰められていく。
 ある局面で、武瑠はじっと考え込んだ。
 こっちに打つと、ここの陣地がボロボロになる。でもここも狙われてる。どうすれば──。
 正座した膝に手を押し付けて、盤面を見つめる。ふとひらめいて、黒石を置いた。
「うん、いい手だね」
 香里はうなずいて、応手を続ける。結果は、武瑠の2目勝ちだった。
「参りました」
「やった……勝った……」
 嬉しさよりも信じられない気持ちだった。
「ついに負けちゃった」
 武瑠は顔を上げて、香里の表情を見た。負けたというのに、なんとも言えない柔らかい表情で武瑠を見つめていた。
「負けたのになんで笑ってるんだよ!」
 武瑠は少し恥ずかしくなって、そんな風にこぼすのだった。

 武瑠は白石を静かに盤上に置く。ローテーブルに置かれた九路盤。その向こうには小学生に上がったばかりの娘の優花ゆかが盤面を見つめていた。小さな膝を揃えて正座をしているのが、なんとも可愛らしい。けれど、そのまなざしは真剣そのものだった。
 形勢は優花のほうが少し有利だった。この一連の攻防を間違えずに打つことができれば、彼女の勝ちだ。
 黒石を掴みかけるが、また離して考え込む。
 さて、どうだろう。
 武瑠は静かに娘の姿を見守っていた。じっと考え込む娘を愛おしそうに。
 やがて、優花は黒石を置いた。正しい位置だった。
 白、黒、白、黒。
 武瑠の応手にも即座に打ち返してくる。もう彼女には正解が見えているのだ。
「参りました」
 武瑠はそう言って頭を下げ、自ら負けを宣言した。ゆっくりと顔をあげると、そこには弾けるような優花の笑顔があった。
 ああ、あのときの香里先生はこんな気持だったのだろうか。
「なに笑ってるのよ、パパ」
 優花の声が愛しく響いた。

 完


その他、囲碁を題材にした小説をいくつか書いています。


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