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子供たちに教室を掃除させる理由。そこには、日本文化の粋がある。

数年前、ニュース番組で、日本の給食制度を海外の教育関係者たちが視察した、と紹介されていた。

子どもたちが給食を食べ、そのあとに片付けをし、掃除をする。
そこで視察団から質問が上がる。
「なぜ、子供たちに掃除をさせるのですか?」
彼らにしてみれば、掃除をさせるのは罰を与えているように見えるらしい。

それに園長先生はどう答えたか。
「えー、それは、自分が使った場所を掃除するのは当たり前だからです。なぜかって…うーん、なぜなんでしょうね?」

その答えを聞いて、とても日本人らしいな、と思った。
そして、説明できないのは損だなとも思った。
日本人には当たり前のことなので、理由や背景を意識していないのだ。
食事の時に「いただきます」「ごちそうさま」と言うのも同じだ。

なぜ、自分の使った教室を掃除するのか。
それは、日本文化に染み込んだ八百万の神信仰と、仏教の禅宗が関係している。

そもそも八百万の神信仰とは何か。
それは、全てものものに魂すなわち神が宿るという考え方、いわゆるアミニズムである。
ネイティブアメリカンや。オーストラリアのアボリジニなどをはじめとして、原始宗教として文明の発達途上で普遍的に見られるものだ。

日本のそれが珍しいのは、それが神道という形で発展し、現在でも山岳信仰など生活の隅々、人々の感覚の奥底にまで根強く残っているという点だ。

海外で思わぬ形で広がった、MOTTAINAIキャンペーンの源泉である『もったいない』と言う感覚もそこから来ている。

あるいは、メジャーリーグの人たちを驚かせたイチロー選手が自分のバットを自分で磨く、という行為もその表れのひとつだ。

禅宗が中国で生まれ、日本でだけ残っているのはそういった価値観の下地があったことによるだろう。
あらゆるモノに対する敬意と、禅宗の食事や掃除を含め生活の全てを修行ととらえる禅の考え方がうまく合致し、長く日本人の精神に強い影響を与えてきたのだ。

子どもたちに掃除をさせるのはなぜか。
それは、自分を育ててくれている場所や物に感謝し、掃除をすることで教室だけでなく自分自身を磨く、その感覚を教えるため。

そうやって育ってきた子どもたちが、サッカーの観戦の後でゴミ拾いをする。
世界がそれに驚いたのは、その価値観は日本特有のものだからなのだ。

そしてこれから大切になっていくのは、その価値観がどこから来ているのかを意識し、説明できるようにすることかな、と思う。

なんだかわからないけど礼儀正しい不思議の国ニッポン、ではなく
仏教と八百万の神信仰の国日本、という理解を深めてもらうこと。

意識せず身につけるのもいいことだけれど、自覚することでしっかりと、子供達にも世界にも伝えていくことができる。

自分を知ることは即ち、他を理解することでもある。
その上で美風は残し、悪風は排する。
それだけのことを続けていく。
微力でもそこに加わっていきたいと思う。

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