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【岩手へひとり旅】久慈の薄明りの窓辺

市民薄明(しみんはくめい)という言葉を知ったのは、東北の一人旅で久慈のビジネスホテルに泊まった時だった。
 
初めて乗る三陸鉄道への期待で眠れない私は、真っ暗な部屋でベッドを起き上がり、なんの気もなしに窓のカーテンを開いた。4階のこの窓から見える景色はすぐそこの久慈駅と、ここまでつながる通りぐらいだ。

ところがその瞬間、私は外の世界が昼間のように明るいことを知った。
「うそでしょ!? こんな時間なのに??」

時計を見ればまだ3時半。夕方の市民マルシェで賑わった広場もオレンジ色の街灯の下で眠っている。その上には暗い夜の層がたなびいているのだが、上空ではもう朝焼けが始まっていた。

そういえば駅は東の方角で、線路の向こうは海岸のはず。大海原へ続く空がなだらかな稜線に朝日を隠しながら明るくなっていく。

「綺麗だなあ…」

壮大な景色に魅了された私はスマホの電源を入れて当地の日の出時刻を調べた。すると、6月の日の出はびっくりするほど早く、4時4分!!
同時に、このひとときが、灯火がなくても屋外で活動できる「市民薄明」と呼ばれることを知った。薄暮という言葉は知っていたけど、薄明という時間があることは知らなかった。
私は眠ることを忘れて窓辺にもたれ、完全な日の出まで刻々と変化する景色を楽しむことにした。
 

旅に出ると、想像もしなかった新しいことに出会うことがある。
一人旅をしていると、誰かと一緒なら通り過ぎる興味にも立ち止まらずにはいられない。
 
以前に群馬で電車の時間が空いて住宅街をぶらぶらした時に「曳き屋」という看板を目にした。

「変わった名前の店だな。何の店?」

日曜日のせいか店は閉まっていて、何を売っているのかはわからないが、その時、あることが頭に浮かんですぐにスマホで調べた。

いつかテレビ番組で観たことのある、家を解体せずに移動させる仕事。
いや、それよりもっと前、子どもの頃に漫画で知ったような気もする。
とにかく強い印象に残っていたことが旅先で急に目の前に現れたのだった。

「本当にあるんだ… へえ…」
私は懐かしいものに出会えた気持ちがしてしばらく看板を見上げていた。そして十分気が済むと、またゆっくり歩き出した。
 
そう、この気ままさが一人旅のいいところだと思っている。
大まかな日程は決めていても、中身はいつも自由。最低限今夜の宿に辿り着ける電車に注意しながら、ひたすら好きなように時間を使う。決めるのはすべて自分。すごくゆるいけどけっして気の抜けない世界。
自由と不自由とを、いつも同時に感じる世界――。
 
子どもは大きくなって家を出ていった。喧嘩ばかりしていた夫とは忍耐とあきらめが飽和状態に達し、適度な距離感のある関係になっていた。いつのまにか心にゆとりができ、これからは仕事も趣味も自分が本当に好きなことをしようと思った。

ずっとやりたかったこと。鉄道ひとり旅。

乗ったことのない電車を乗り継いで、日本中の知らない場所に行ってみたい。
それは子どもの頃から無敵の方向オンチで苦労したことの反動なのかもしれない。