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第35回、自分語りをしてみた


自分の家には、エアコンがない。
数年前に壊れて動かなくなってから、そのままずっと放置をしている。
毎年夏が来ると、後少しの辛抱だからと思って、修理を先延ばしにする。
今年はさすがにヤバいと思いつつ、水風呂に浸かって、毎日をやり過ごす。

自分の家には、洗濯機がない。
数年前に壊れて動かなくなってから、風呂場で洗濯をしている。
洗濯機がある方が楽だとは思うが、買うに至るまでの関心が向かないのだ。

自分はここ数年、床屋に行った事がない。
自分の髪の毛に、何の興味も湧かないからだ。
こんな物は、百円のハサミで、自分で切ればいいだけの事だ。

お金が惜しいわけではない。
ただ行動をするに至るまでの、関心が湧かないのだ。

自分は興味のある事は、とことん執着を示すが、興味のない事には1ミリも思考が働かない。

調べた事はないが、自分はいわゆる発達障害と呼ばれる人間かもしれないと思う事がある。
しかしそれを調べる程の関心が、自分に対して働かない。
正直、自分が発達障害であってもなくても、どちらでもいいのだ。

自分は、アニメや映画が好きだ。
これにかけては、人並み以上に関心があるのだと自負をしていたが、SNSやユーチューブ等で、自分よりも遥に強い情熱と知識量を持って、情報を発信している人達を見て、自分の情熱も知識も、それ程ではないのだと知った。
どんなに頑張ってたくさんの映画を観ても、彼らにかなう事は到底ない。

いや人と比べて、自分が上な事を求める事自体が、あれなのかもしれない。
映画の感想をSNS発信している人の中には、登録者が数十人の人もいる。
自分は心のどこかで「この発信、する意味あるのか?」と思ってしまうが、
発信すらしていない自分は、映画への情熱が、彼らに比べ遥に劣っている。

自分が人と比べずに、劣っていても発信をしたい物は、何かあるのだろうかと考えた時に、一つだけ思い当たる物があった。

それに関しては、自分のブログを見ていただければわかると思うので、ここでは、述べずにおこうと思う。

自分は社会への関心がない。
できる事ならば、自分の好きな事だけに浸って、人と一切関わらずに生きていきたい。
社会への不満も一切なく、こんなに無害な人間なのに、しかし社会はそれを許す事はなく、いずれ自分の社会への関りを再び求める事だろう。

自分は社会への恨みがない。
子供の頃からいじめに合い、登校拒否をして、自分の居場所を一切見つけられなかったが、多分人間はそういう生物なのだから、考えても仕方がない。

自分は十分な幸福を受けて来た。
自分はこれまでの人生の中で、生まれて来て良かったと思えるだけの十分な幸福を、映画などの創作物から受けて来た。
例えそれが自分の人生ではなくても、幸福な思い出である事に違いはない。

この先、自分の人生がどんな物であっても、自分は世界を憎む事はない。
自分の頭の中には、様々な創作物から与えられた、十分すぎる程の幸せの
記憶が、蓄えられているからだ。

それだけで、この世界に生まれて来た価値は、十分にあったのだと思う。

こんなにも残酷で美しい世界の少女

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