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第301回、ウィッシュのマグニフィコ王を称賛してみた


自分がそういう動画を選んで見ているからかもしれませんが、ユーチューブでは今、ディズニー映画、ウィッシュのヴィラン役であるマグニフィコ王を稀代の賢王と称賛して、主人公のアーシャを、平和なロサス国を転覆させたテロリストのヴィランだと酷評している動画が、数多く投稿されています。

自分は最初、アーシャの事が好きにはなれないまでも、マグニフィコ王にはそれなりの問題があったのだと思おうとしていたのですが、正直な所、今はマグニフィコ王は、やはり賢王だったのではないかと思っています。

そこで今回は、ユーチューブで見た他の人達の意見と、自分の考えを元に、マグニフィコ王が称賛をされて、アーシャが非難をされている理由を、検証してみたいと思います。

マグニフィコ王が称賛される理由

その1.一般市民の中から、自分の後継者を育てようとしていた。

マグニフィコ王は、側近を一人も持たずに、自分一人の力だけで国の運営を行っていた、ワンマン国王である事が、独裁体制であるかの様に描かれているのですが、当時の慣習に囚われない、革新的な国家を一から建国する上で自分と意識を共有できる相手が、いなかったのではないかとも思われます。

その証拠に、国が安定期に入っている映画では、主人公のアーシャを、将来国を運営する側近候補として採用をしているのですが、まさか最初に雇ったその相手に、国の運営ノウハウを教える間もなく、国を滅ぼされる事になるとは、王自身も思っていなかったでしょう。
マグニフィコ王からしたら、アーシャの様な自分の考えを理解できない人間しかいないから、今まで側近を持てなかったのです。

その2.預かった国民の願いを、きちんと保管している。

ロサス王国では、18歳になると誰もが自分の夢を国に預ける決まりがあり、預けた人は自分の夢を忘れる事になっているのですが、アーシャはこの制度に対して「国王が国民を騙して、人々の夢を奪う非道な行為」と非難をして国を亡ぼす動機になっていきます。

しかしこの行為は、預けた夢を忘れる事を含めて、国民全員に知らせてある事であり、ロサス国の人達は、その事をきちんと理解した上で、国に自分の夢を預けているのです。
なまじ預かっている夢の中から、年12個の夢を叶えている為に、アーシャが「王が人々の夢を叶えると偽って夢を奪っている」と勘違いをしていますが本来、国民が叶えられなかった自分の夢を忘れる為の制度であり、国に預ける夢も自分で選べる為、本当に叶えたい夢は自分で所有をしたままにして、忘れたい又は忘れる必要のある夢を、自分の意思で国に預けているのです。

マグニフィコ王は、そうして預かった人々の夢を、心と連動をしている為、大切に保管をしているのですが、どういう訳か、アーシャにはいくら説明をしても、その事を理解して貰えずに、反乱を起こされてしまいます。

その3.国民ファーストの政治姿勢。

マグニフィコ王の歌う歌詞にも書かれている様に、休日はボランティアをしている程、国民の幸せを第一に生きて来た人間であり、その見返りも大切な何かを頂くという事ではなく、僅かな感謝の気持ちだけでいいという謙虚さぶりでした。アーシャの様に「人々の夢を奪っているじゃないか」と思われる人もいると思いますが、あれは国の制度であって見返りではありません。
夢を預かるのは平和な国を運営する為の手段であり、見返りに夢を頂く為に国民に尽くしている訳ではないのです。

アーシャが批判される理由

その1.身内の願いを優先しようとする浅ましさ。

アーシャが王の側近になろうとしたのは、真剣に国政を考えての事ではなく100歳になる祖父の願いを、優先的に叶えて貰おうとしたからなのですが、王が叶える願いの選別をしていた事を知り、祖父の願いが叶えられない事を知ると、それは理不尽だと騒ぎ出します。
何万とある他の人達の願いをさしおいて、身内の願いを優先させようとする自分の行為は、どうやら理不尽だとは思っていないようです。

しかもご丁寧に、祖父の願いを叶えられない理由を王がきちんと説明をしているのにも関わらず、アーシャは聞く耳を持たず、国民の意識を先導して、国を滅ぼしてしまいます。
「人々の心を動かす音楽家」というアーシャの祖父の夢は、人々を先導して国を亡ぼす革命に繋がりかねないから叶えられない。という国王の理由が、アーシャの行動によって、奇しくも正しかった事が証明されているのです。

劇中アーシャが、国民を先導して、城に攻め込む描写がありますが、それは本来「美女と野獣」では、ヴィラン側の方がしている行為なのです。

その2.自分の考えは、絶対に間違えていないという思い込み。

アーシャは「王が叶えない人の夢を預かったままにするのは間違えている。
叶えない人の夢は返すべきだ」と主張をして、強行的にそれを実行しますがそもそも預けた夢は、王が叶える為ではなくて、国民がその夢を忘れる為なので、叶えない夢を返すべきというアーシャの主張は、根本的な考え違いをしているのです。

「夢を預けた人は、何だか人が変わってしまう」とアーシャは主張をしていましたが、世間ではそれを大人になるというのであり、いつまでも夢を持ち続けるのはダメな事とは言わないまでも、決して誰もがそうすべき物だとは言えないのです。

アーシャが自分の夢を持ち続ける分には、否定するべき事ではありませんが他の人が自分の夢を国に預けてその夢を忘れる事に対して「そんな生き方は間違えている。誰もが夢を持って叶えるべき」だと言うのは、自分の考え、価値観を、他人に強制する行為に他ならないのです。

小説の方では、祖父によってアーシャがたしなめられている様なのですが、それでもアーシャは、自分の考えを曲げなかったようです。

アマヤ王妃が批判される理由

ウィッシュは、アーシャに加えて、マグニフィコ王の妻である、アマヤ王妃に対しても、批判の声が絶えません。
ロサス王国の建国以前から王のそばにいて、国王の苦しみや頑張りをずっと見ていたはずにも関わらず、手のひらを返した様に、マグニフィコ王を鏡の中に封印したのは、実質アマヤ王妃の様な物だからです。

国王を鏡に封印した後は、ちゃっかり自分が王の座についているのですが、劇中、王妃自身が国政に関わっていたシーンは、特にありませんでした。
国王に恨みを抱いている様な過去エピソードの設定があるのならともかく、劇中の流れだけで見ている分には、なぜ王妃が突然手のひらを返したのか、納得のいく理由が見当たらなく、偏りながらも、その気持ちや行動に対する動機がきちんと描かれていたアーシャに比べて、内面性が一切見えてこないアマヤ王妃は、ある意味、アーシャ以上に不気味な存在であり、この映画の真の黒幕は、アマヤ王妃ではないかという意見もある程です。

スターが批判される理由

そもそもこの謎の星型妖精?の、スターが現れさえしなければ、アーシャが自分の考えを強行的に実行する事もなかったので、全ての元凶は、スターにあるという意見も多く聞かれます。

この作品のテーマが「夢は他人(国王の魔法)ではなく、自分で叶える物」という事ならば、そもそも自分の力で国を築いて来たマグニフィコ王が討伐をされて、アーシャが妖精の魔法で革命を起こすのは、テーマに反しているという意見もあるのです。


まとめ
今回の文章を読んで、皆様はこの映画に対して、どう思われたでしょうか?もちろん文章を書いている自分の印象操作も含まれているとは思いますが、本来ヴィラン役のマグニフィコ王がいい役で、それ以外の全ての登場人物がイカれている様に、思いませんでしたでしょうか?

それ故、日本ではこの映画は、マグニフィコ王が本当の主役で、その主役がヴィランに負ける、悲劇の作品なのだと、受け止めている人達も少なくないようです。

自分もその一人ではあるのですが、日本では観客によるそうした自己解釈により、この作品が批判されながらも、奇跡的に受け入れられているのですが海外では、そうした観客による擁護的な解釈は行われない様で、ただ普通にできの悪い作品として、受け止められているようです。

日本では、マグニフィコ王の声優を務めた、福山雅治の人気や、織田信長の様な、王様が謀反を受ける悲劇的なエピソードを好む国民性も、この作品の相性と、偶然あっていたのかもしれません。

今の時代、自分の頑張りを称える事も、許されないようです。
ほんのちょっとの感謝の気持ちだけでよかったのにです。
ネットでは今、ウィッシュのネタで、大盛り上がりです。
様々な作品検証が行われ、
マグニフィコ王の人気だけが、爆上がりしています。
革命(国家テロ)を起こした、アーシャいじりも止まりません。
ネットでは連日、ウィッシュのネタで、大喜利状態です。
善良なアーシャの祖父も、とばっちりで、悪者扱いされてしまっています。

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