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第38回、友人と自分について語らせてもらいました

自分はこれから多分、言ってはいけない事を口にします。
それは、どうしても言わなければならない物ではないですし、
自分の心の中に、とどめておけばいい物なのかもしれません。

世の中には、例え悪意がなくても、口にしてはいけない事があるのかも
しれないですし、これを読んだ後に、自分への嫌悪の念を抱かれる人が
出てくるかもしれません。

これを投稿した後は、お前はどういうつもりで、まだ投稿をしているの
だと、怒りをあらわにする人も、いるかもしれないです。

それでも投稿をしようと思うのは、友人への贖罪の念と、もしかしたら
理解をしてもらえる事もあるかもしれないという、一途の甘い期待から
なのだと思います。

それは自分が友人を、人生の死へと導いてしまった事に対する話です。

自分が20代の頃に、自分にとっては人生の中で、数少ない友人と呼べる、
一人の男性がいました。
職場の同僚で、今ではブラック企業と呼ばれる様な、連日職場に泊まり
込みの仕事をしながらも、深夜の職場で、クリエーターとしての将来の
夢を語り合う、自分にとっては、正に人生の青春その物でした。

共に夢を語り合いながら、しかし人生を真剣に生きてこなかった自分は、
心のどこかで、夢物語として割り切っていた所があったのだと思います。

ですが友人は自分との語らいの中で、子供の頃から抱いていた、漫画家に
なる夢を思い起こして、夢を実現する為の行動を実際に起こし出しました。
彼は自分より、遥にクリエーターとしての才能がありましたが、それでも
漫画家になるのは難しく、日に日に精神が衰弱をしていくのが感じられて、ある日、彼がこの世からいなくなったのです。

自分ははっきりとした彼の死因を家族から知らされていませんが、当時の
彼の精神状態を考えると、自殺をしたのではないかと思っています。
彼は同性の自分が見てもほれぼれする様なイケメンでしたし、彼女もいて、仕事もできる、どちらかと言えば、人生の勝ち組側の人間でした。

本来なら自分と人生が重なる瞬間など、あるはずもない様な人間でしたが、一時自分と関りを持ったばかりに、人生を大きく変えてしまったのです。

自分が他人の人生を左右させる程の影響力を与えられると考えるのは、思い上がりなのはわかっていますが、あの当時、共に夢を語り合った出来事が、
彼のその後の人生に影響を与えた事は、間違いない事実なのだと思います。

彼がどんな思いであの世へ逝ったのかは、自分にはわかりません。
夢が叶えられない事に絶望をしていたのか、やれるだけの事をやりきって、
人生に思い残す事がなくなったのか。

どんな思いであれ、残された家族にとっては、その後の人生に癒える事の
ない大きな悲しみを残してしまった事は、間違いない事なのだと思います。

彼が漫画家の夢を思い描かなければ、多分、普通に家庭を持ち、世間的な
幸せの人生を歩んでいたでしょう。

自分が許されない事を口にするのは、それでも自分は、彼が自身の夢に
向かって突き進んだその人生を、否定できない事です。
もし自殺なのならば、その行動を選んでしまった事は、いけない事なのは
十分にわかっています。
しかし、死の結末を選んでしまう程に、人生に全力を注いだのだとしたら、
自分は、彼のその短い人生を、意味ある物だったと肯定をしたいのです。

誤解しないで欲しいのは、決して過重労働を肯定しているのではないです。
死ぬほど辛い事からは、死を選ぶ事よりも、逃げる事を選択するべきだと
思っていますし、彼のケースは、多くの自殺者のそれとは、根本的に異なる
物だという事を、考慮しておく必要があるのかもしれません。

それを考慮した上で、非難されるのを覚悟して口にすると、人生の価値は、生きた年数や社会的な功績で決まる物ではないのだと、考えたいのです。
例え短くても、社会的な功績がなくても、人生は思う様に生きられれば、
その人にとって意味のある物だと信じたいし、死という結末が待ってても、必ずしもバッドエンドだとは、言い切りたくはないのです。

いえ、例え思う様に生きられなかったとしても、そう生き様としたならば、
その人生は、意味のある物だと言っていいのではないでしょうか?

自分は彼の本意をしらないですし、自分の罪の意識から逃れたい為だけに、もしかしたら彼の意志に反する事を、口にしているのかもしれません。

いい年して、死の意味を理解しないで、中二病のような戯言をのたわって
いる、痛い人間だと思われても仕方のない事かと思います。

この文章を読んだ事で、一人でも死を選ぶ人間が現れる様な事があっては、絶対にいけない事も、理解はしています。

やはり口にしては、いけない事だったのかもしれません。
自分でも納得のいく着地点が、見出せません。

ただ自分の人生で言えば、いつか自分が死んだ時に、今は亡きその友人に、「お互い大した人生ではなかったけれど、悔いのない人生を生きたよな」と笑って言い合える人生でありたいと、考えているのです。

過ぎ行く夏の日の少女

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