美術講師Y

なんも属さない画家になりたい。 あんた、勇気あるのね と言われたい。

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最近の記事

母と洋服とわたし

母とむすめというものは洋服で繋がっていたりする。 私が高校生の3年生くらいのときDCブランドと呼ばれたお洋服たちが流行ったのですが、当時おしゃれとは無縁の生活。それじゃヤバいらしいと気がつき、おかーさんと一緒に地元の西武デパートや松菱デパート、丸井にいったりしました。堅実すぎる、おかーさんのアドバイスなんか聞かず、迷いに迷ってトンチンカンな服もいっぱい買った。 おかーさんは懲り懲りといいながらいつも一緒でした。 その母の服を私は今、着ている。 ダサいと思い込んでいた母のダ

    • スケッチが好き

      イラスト作成の仕事を10年くらいして、さあ、自分の絵を描こうとすると、描けなくなっていた。 周りのアート系の知り合いが合同展や個展をしてたけど、私は日々忙しく過ぎていて、描くパワーがでなかった。 父と母が天寿をまっとうした後、描きたかった絵は父と母の絵。 描きたい衝動にかられ、父を、母をと、鉛筆やボールペンでトレースしたスケッチたち。 展覧会は開けないけど、、、。まあいいや^^

      • ギャングウェイを聴きながら

        ギャングウェイをすり切れるまで聴いたのは二十代のころ。ギャングウェイの音楽は、とにかくキラキラしていて、たぶん自分もキラキラしていた時期だったんだろうな。いろんなことがキラキラしていた。 それは稲垣足穂の本だったり、たむらしげるの絵本だったり、夜のドライブだったり、自分が描くイラストだったりした。 ギャングウェイのライブに25歳の時行った。当時やたらつるんでいた友達3人で名古屋まで観に行った。ライブでは鳩も出てきて、これまたキラキラしていた。 今はキラキラはしてなくて、あ

        • モスモス…

          好きな絵描きさんは谷内六郎さん。 小さい頃、母と行った地元のデパートで展覧会をしてました。母は六朗さんの本のなかから「絵本歳時記」を買ってくれました。家には父が読んでいる週刊新潮がたくさんあった。そういう時代でした。 美術で模写の授業があり、私は先生に谷内六郎さんの絵を選んだのですが、それはダメといわれまして、そんならと、シャガールの青い絵を水彩絵の具で描きました。小学校のころかなぁ、、、。

        母と洋服とわたし

          秋野不矩

          近くなので秋野不矩美術館によく行きます。 去年、油絵を描いていたんですが、まずい時期に秋野不矩観ちゃったなあ、、、自分の絵が頓挫しました、、、。うーん、比べたらいかん! いかんが、自分の絵が稚拙すぎて描けないよ〜ん。

          畳がスキ!

          訳あって、もうすぐマンションに引っ越すのですが、住み慣れた家をとりこわさなきゃいけなくて、、、。引っ越すうきうきより、とりこわす悲しみのほうが強いです。持病で不眠があり、枕が変わると寝られないとゆ〜のも不安要素のひとつ。 しかし、オシャレな部屋って眠りにくいです。少し散らかった部屋が落ち着きます。いや、オシャレかつダラダラできたら最高なんすよね。 今の家は平成の日本家屋で和洋折衷なんす。畳とか縁側とか障子とさよならするのは辛すぎる〜(p_-)

          畳がスキ!

          無銭飲食じゃないっつーの

          おととい、私はオムライスやさんに行ったんだけど、、、。 お正月でお金が無くなっちゃったんす。下ろすのも手数料かかるし。 で、カードなら使えるので、まず、お店の入り口のほうで、カードがokかどうかと、オムライスの中にマッシュルームが入っちゃってるか、その2点を聞きたかったのですが! マスターらしきひとが、真剣な顔?で、まず入っちゃって!と言った。話はそれからだー、みたいな。 ?! えー、すげ強引。で、私はカードのことは忘れた。 あとはおわかりであろう、支払い時、カードはう

          無銭飲食じゃないっつーの

          のろしのような年賀状

          はじめまして。 2023年になりました。めでたいのかなー。 2年前にいろいろあって縁が切れた友達から年賀状をもらいました。元旦。 なんの一言もない裏表刷っただけの年賀状。 ええーなんでぇ?なんか書いといてよぉ〜。 お返事の年賀状書きましたわよ。お返事書くの立場としては、なんか一言いるじゃん、大人だしぃ〜。 ほんとに友達いないので、2年前のお別れした時もかなり落ち込んだんだから〜。 何かの間違いなんじゃないのぉ〜 ( ´Д`)

          のろしのような年賀状