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邪宗抄[短編小説]


 都の中で中納言の藤原通家様ほど信心深い貴族がいらっしゃいましょうか。
 毎年何があろうと必ず出雲国の杵築大社まで足を運び、家は六角堂の裏に構え、毎日のように通っては六角堂の前に立つ地蔵菩薩に帰命の心を示す程でした。
 夏頃だったと思います。都の商人を中心にとある地蔵菩薩の話が流行り始めました。地蔵菩薩と言っても普通の地蔵菩薩ではありません。なんと、歩く地蔵菩薩が実際にいらっしゃるなどと言うのです。
 日が経つにつれそのうわさは、商人から平民へ伝わっていき、平民の中には歩く地蔵菩薩を探し出す者や実際に見たと言う者まで現れ始め、数ヶ月の間にうわさは都中に広まっていきました。
 もちろん私も初めは信じておりませんでしたがうわさが広がると通家様から歩く地蔵菩薩を探すように命じられ、うわさの元となった商人などに話を聞いてまわりました。すると、多くの商人は声を揃えて丹後国で歩く地蔵菩薩を拝む事ができるというのです。
 早速私は通家様に事を話し、丹後国へ向かう準備を始めました。きっと地蔵菩薩が見つかったらご自身も丹後国へ向かうつもりなのでしょう。私が報告した途端、普段の落ち着いた様子とはうってかわり目を輝かせながら「本当か!」と言った通家様の様子はこの先見れるものではないでしょう。
 丹後国について数日、何か情報の無いものかと夜更け前に宿の周りをうろうろとしていると、年老いた尼と博打打ちが話しているのが見えました。
「尼様、尼様。こんな寒い中何をするおつもりですか」
「夜明け前に地蔵菩薩様がお歩きになってらっしゃると聞いて、ぜひそれはお会いしたいと思い、こうして歩いているのですよ」
「地蔵菩薩が歩いている道は私が知っていますよ」
「本当ですか。あぁ、嬉しい。ぜひ私をそこまで連れて行ってください」
「お礼に何かください」
「ええ、もちろん。もちろん。この来ている着物を差し上げましょう」
 そう言うと尼は着物を渡し男のあとをついて歩いてゆきました。私はこれで通家様に喜ばしい報告ができると思い、嬉々として尼のあとをついて行きました。
 歩いて数分、みすぼらしい家に着くと男は家の中に向かって
「じぞうはどこにいる」
と声をかけると家の中から出てきた女性は煙のようなものを吐き出しながら
「今は遊んでいますよ」
と返しました。
 その時私はじぞうという名前の子がいるだけか、と思い宿に戻ろうとしましたが、その後がどうなるのかが気になり、その場で見続けることにしました。
「さぁ、地蔵様がいらっしゃるところはここです」
「ああ、ありがとうございます、ありがとうございます」
 尼は何度も男に頭を下げ紬も男に渡しました。
 きっと家の親は尼が地蔵を見たいと言っていることの意味がわからず、どうして自分の家の子が見たいのだろうと思っていたでしょう。
 数分後、十歳くらいの男の子が家に帰ってきました。
「これが地蔵です」
と男が言うなり、尼は地面にひれ伏し子供を拝みだしました。
 子供は手に木の枝を持って遊んでいましたが、なんと子供が木の枝で顔をかいた途端、ずるんと子供の顔が裂け、中から本物の地蔵菩薩が現れ始めました。
 尼はそれを見た途端涙を流し動かなくなってしまいました。一方男と母親はと言うと、何も言わずにただにやにやと笑っているだけでした。
 その景色があまりにも恐ろしいので私はその場から逃げ出して、一目散に宿に帰りました。
 ……それにしても、あの恐ろしい光景は一体なんだったのでしょうか。禁止されている博打を打っていた男と、煙を吐く女と、中から地蔵菩薩の出てきた子供、そしてそれを都へと伝えた商人達。きっとあれは、隣の国の宋から来たと言われている景教の者なのでしょう。もし仏教を信仰してるものならば人の信仰心を使い物を取るなんてことをするはずがございませんから。
 こんなことを通家様に報告する訳にはいきません。歩く地蔵菩薩はただのうわさだったと言いましょう。

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