ベトナム人しかいない職場に就職した韓国人の話

就職日記?1週目
 茹だるような熱気、飛び交うベトナム語、吹き出す炎。
 残念ながらFortunate Sonは流れていない。
 1970年のベトナムのような環境であるがここは日本、足立区に程近い町工場である
 足立といえば在日韓国人にとって言わばパワースポット、人類発生の地ソウル、もしくは柳洞寺である。
 そんな場所でこれから金属加工を学び、、鍛冶職人としてのレベルをあげ、日本刀の起源を取り戻す。
 偉大なる大韓民国の男としての誇りを胸に入社した。
 しかしこの会社、やはり日本人が経営してるというだけのことはあり問題が多い。
 その一番の問題というのが大量のベトナム人である。
 社員の6割ほどがベトナム人であり、飛び交う言葉もベトナム語。
 工場内の熱さも合間って青い作業服がブラックパジャマに、紺の帽子がノンラーに幻視する。
 さしずめ俺は捕虜なのだろう。
 初期のクレベル・コイケ以下の、小学生の英語以下な日本語で不明瞭な指示をされながら延々と考える。
いや、コミュニケーションを取るためにベトナム語を覚え、入社してすぐだと言うのに指示を出すなどのことを考えると彼らはヤードで俺はグリーンベレーなのだろうか。
 こんな劣悪な日本らしい環境で働きはじめたわけだが会社にいる数少ない日本語話者、そして大卒ということも合って次期課長の座は確定していることだけは救いであると感じていた。
 しかし、それすらもうまく行かない。
 まず、ベトナムはこの世でもっとも劣った思想である儒教の文化が強いのである。
 そんな彼らの前にポッとで23歳が現れ、研修期間であるというのに現場の仕事ではなく役職に就くための勉強をメインで行っている。
 少なくともいい評価は受けられない。
 あるベトナム人には「貴方日本人だから優遇されてる。私は10年働いてると言われ、あるベトナム人にはクレーンを何度かぶつけられそうになるなどゲリラ戦が展開されている。
 明らかな嫉妬。妬み。
 チョッパリ並みの劣等人種。
 なぜ我らが祖先はベトナムでベトナム人全員を殺さなかったのか、アメリカは核を落とさなかったのか、考え続けながら鉄を運び、金属のバケットにいれ、焼き終わった鉄を出荷用の箱に詰める。
 ルーチンワークによって確保された思考時間でこの果物を盗みそうなベトナム人に天罰が下るよう主に祈る。
 熱中症で死ぬのが先かベトナム人に殺されるのが先か。
 少なくとも一週間たった今、まだ生きている。

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