見出し画像

第17話 RSA暗号の解き方 ~その0(ゼロ)~

千坂ちよざか、ようこそ文芸部へ! 君も晴れて、文芸部の部員や!!」
「残念ながら、帰宅部を辞めるつもりはないから、さっさと用件だけ言うてくれ。」
「用件? そんなん、文芸部への勧誘に決まってるやろ。」
「帰宅部を辞めるつもりはない、言うてんねん。」

 週が明けた月曜日の昼休み。
 大翔ひろとは昼食をさっさと終えて、uPadでネットの記事を読みあさっていた。普段なら、好きなオンラインゲームの攻略サイトやマンガの考察動画などを見るのだが、その日は違っていた。
「ああ〜もう、わからん!!」
 疲れて机に突っ伏す。周囲で話をしていたクラスメイトたちの何人かが、こちらを振り返る気配がした。
 まずい。思わず大声を出して注目の的になってしまった。

 恥ずかしいので、そのまま寝たふりを決め込む。こらえること数秒。クラスメイトたちの会話が再開される。その出だしに「クスクス」という笑い声が混じっているのにも気づかないふりをする。
 何ごともなかったかのように身を起こすと、突然後ろから抱きつかれた。
「千坂! 俺を助けてくれ!!」
「断る。」
「話ぐらい聞いて!」
 同じクラスの山田である。手には大翔と同じくuPadを持っている。
「5時間目の生物基礎、宿題ぜんぜんわからへん! 教えてくれ!」
「なんで理系オンチの俺に聞くねん? ググった方がマシやぞ。」
「どうやってググったらええかわかりません。」
「情弱街道まっしぐらやな。ご愁傷しゅうしょうさん。」
 適当に山田をイジってはいるが、大翔は顔色がんしょくをなくしていた。
「あん? 顔色悪いぞ? どないしてん?」
「いや・・・なんでもない。」
「ははん。さては千坂くん。君も宿題を忘れたのかい?」
「・・・忘れた・・・。」
 目は合わせずに答える。
 すると、仲間がいるとわかって山田のテンションが上がった。
「おうおうおう、お前もかい! こりゃあ、仲良く説教やな! なんやどうした? 昨日、おとといはゲームか? 動画か?」
「うっさいなぁ!」
 無意味にじゃれついてくる山田を大翔が押し返すと、その拍子に彼のuPadの画面が山田に見えてしまった。
「んんん?? なんや? ・・・数式?? ・・・数学?!」
 山田が、異形のものでも見るような目で大翔を見る。
「数学っちゅうか・・・。暗号を解くためのナニガシや。俺も内容はさっぱりわからん。」
「あ、暗号??? なんでまた?」
「親戚の叔父さんがそういうの好きでな。俺が『スパイ映画好きや』いう話したら、クイズみたいに問題出してよって、なんか解く流れになってもうた。」
「お前まさか・・・。それ解くんに必死で宿題忘れたんか?」
「・・・・・・。」
「ちなみに、6時間目の英語も宿題あったけど、大丈夫か?」
「・・・・・・。」
 もう一度、目をそらす。
「アホや、こいつ!! 俺が“情弱”なら、お前はトリ頭やんけ!!」
 山田が歯をむき出して笑う。彼の大声のせいで、クラス中に彼の失態が知れ渡る。
「うっせぇ!! お前も大して変わらへんやろ!?」

 彼らのやりとりを遠目にながめながら、女子のグループがクスクスと笑った。
「うわぁ、あいつら2人ともアホやん。」
「ちょっと、はーちゃん●●●●●。彼氏がピンチやで。宿題見せたったらぁ?」
「彼氏ちゃうって・・・。」
 陽菜はるなが困ったように笑いながら、トランプをパラパラときった。プラスチック製の、滑りがいいカードである。
「ちゅうかはーちゃん、トランプきるん、うまいなぁ。いつの間にそんなにうまなったん?」
「昨日、家でずっと練習してたから・・・。」
「ずっと、て・・・。ちなみに、はーちゃんは生物と英語の宿題は?」
 陽菜はにっこりと笑った。
「もちろん、ぜんぶやったよ。」

 山田があきらめて自席に戻ったあと、大翔はあわてて生物の宿題をやり始めた。が、5時間目が始まるまでわずか10分。絶望的である。
「そこの問題、アデニンと対になる塩基はチミンや。そんでもって、グアニンの相方はシトシン。」
「ほう!」
 大翔が言われた通りの解答を打ち込む。
「ほんで、次の空欄がリン酸と2-デオキシリボースで・・・。」
「ふんふん・・・。」
 横に立った男の指示に従うこと数分、宿題はあっさり終わってしまった。
「さすが文系クラスのエース、高木やな。」
 提出ボタンをタップして、大翔は振り返った。彼の横には、文系クラスで常に学年1位の高木亮太が立っていた。
「フン。それほどでもない。」
 高木はメガネを中指でクイっと直した。
「珍しいやんけ。真面目なお前がカンニングさせてくれるとは。」
「どうってことはない。これは取引や。君に頼みたいことがあるねん。」
「は? 取引?」
「今日の放課後、国語準備室まで来てくれへんか?」
「ムリや。実は、英語の宿題も忘れてきとる。放課後、居残り確定や。すまんな。」
「宿題忘れて来て、どうどうとすんなよ。・・・それやったら、宿題が終わってからでええ。待っとるし。」
「・・・男子に『放課後、待ってる』言われてもトキメかへんが?」
「安心したまへ。そんな用件ではない。ほなな。」
 それだけ言うと、高木は返事も聞かずに立ち去った。
「・・・・・・。宿題終わるんが6時くらいになったらどうすんねん?」

 予想に反し、宿題は30分ほどで片付いてしまった。なんでも英語教師がこの後用事があるとかで、かなりたくさんヒントを出して、早く終わらせてくれたのだ。
「・・・まぁ、宿題教えてくれたし、行くだけ行くかぁ。」
 隣で同じく居残っていた山田が、カバンに荷物をしまいながら言った。
「千坂! この後どっか行かん? カラオケとか。」
「すまんが先約あるし、パス。」
「今日の千坂は、ずっとつれないぜぇ!」
「また明日〜。」
 大翔は廊下に出ると、国語準備室へと足を向けた。
「なんか今日は、やたらと男にキモいこと言われるなぁ・・・。」

「千坂、ようこそ文芸部へ! 君も晴れて、文芸部の部員や!!」
 ミュージカルに出て来そうな、体を大きく使った身ぶりで高木が言う。
「お前、そんなキャラやったっけ?」
 大翔から見た高木のイメージは、教室では常に気配を消していて、授業で先生に当てられたときやテストが返却されたときだけ脚光浴びるヤツ、であった。こんな芝居がかった言動をとる人間ではなかったはずだが。
「人間誰しも、裏の顔の1つや2つはあるものさ。」
「そのセリフがすでに芝居じみてんねん。思いっきり標準語やし。てか、文芸部ってどういうことやねん? そもそもこの学校に文芸部なんかあったんか?」
「もちろんあるよ。正確には、僕が立ち上げた。1年のときにな。」
「ふうん? ぜんぜん聞いた覚えないけどなぁ。ほかに部員ておるん?」
 大翔は準備室を見わたしたが、部屋には2人以外誰もいない。
「残念ながら、僕以外にはまだおらへん。立ち上げてからずっとや。」
「ちょっと待て。それは“部活”とちごて、“同好会”とちゃうんか?」
 学校の規定では、メンバー5人以上の状態を1年以上続けないと、部活として認められないはずである。それまでは同好会と名乗らなければならない。
「それは大した問題やない。言葉のあや、いうヤツや。」
 高木はメガネを中指でクイっと直した。
 前のめりになりすぎて言い間違えたようにしか見えなかったが、話が面倒になりそうだったのでツッコむのは思いとどまる。
「ぜんぜん興味はないけど、一応聞いたる。文芸部ってどんな活動しとるん?」
「よくぞ聞いてくれた! 文芸部の活動はズバリ、創作活動や!」
「“ズバリ”・・・。」
 微妙に言い方が古い。
「言語を使った創作ならなんでもかまへん! 詩でも和歌でも俳句でも小説でも、なんなら戯曲でもありや!」
「ほーん、幅広いなぁ。ほんで、高木はその中の何をやってんねん?」
 面倒くさそうに言いながら、大翔は荷物をテーブルの上に置き、イスに腰かけた。それを見て、高木もイスに座る。
「推理小説や。推理小説が書きたくて、この部を立ち上げた。」
「そんだけ? 立ち上げ人なのに?」
「甘いな。美術部員かて、水彩と油絵と彫刻をぜんぶやってるヤツはそうそうおらんやろ。推理小説オンリーより、文芸全般にして門戸広くしといた方が、部員は集まりやすいんや。」
 高木はメガネを中指でクイっと直した。
 この男、なかなかにしたたかである。もっとも、1年かそこら活動しているのに部員は集まっていないようだが。
「ふうん、そんなもん?。あと、そもそも推理小説って“文芸”なんか? どっちかっちゅうと、娯楽作品みたいなイメージあるけど。」
「失敬な!! 推理小説かて立派な文芸や! そもそも、文芸には大衆文芸と純文芸といふものがあってだな・・・。」
「ああ、すまんすまん。推理小説も文芸なんやな、わかった。」
 スイッチが入りそうになった高木をあわててとめる。
 くわしくは知らないし知る気もないが、どうやら文芸の世界にもいろいろあるらしい。数学とは別次元の面倒くささである。
「まあそれで、や。僕が今構想を練っている作品に、暗号を扱ったものがあんねん。そのために、最近暗号についてかなり勉強したんや。どうや、興味ないか?」
 ようやく話が見えて来た。どうやら、昼休み中に山田と暗号の話をしているのを耳ざとく聞いていたらしい。
「僕が頼みたいのは、暗号理論作成の手伝いなんや。知識はそれなりにたまったけど、自分でゼロから考えるのは難しいてな。できれば、議論しながら創作できる仲間が欲しい。どうや? 面白そうやと思わへんか?」
「・・・・・・。」
 残念ながら、生まれてこの方、一度たりとも暗号を自分で組みたいと思ったことはない。むしろ、今は暗号を解く方で悩んでいる。
「悪いが、暗号やらミステリーやらサスペンスやらは、見る・聞く・読む専門や。自分で書く気はない。ほなな。」
 大翔は机に置いた荷物を持って立ち上がった。彼がドアの前に立ったところで、高木が背中に問いかけて来た。
「RSA暗号についてもわかるぞ。なんなら、自分で問題を作ったこともある。それでも興味ないか?」
 高木はメガネを中指でクイっと直した。
「な、なんで俺がRSA暗号で悩んどるの知ってんねん?」
「ああ、当たりなん? 数学を使った暗号がどうとか言ってたからカマかけてみただけなんやけど?」
「腹っ立つわぁ!!」
 大翔は思わずうなだれた。おとなしい真面目くんだとばかり思っていたが、けっこういい性格をしている。
「当たりなら重畳ちょうじょう。叔父さんから暗号解読の宿題を出されてるんやろ? 手伝えるで?」
 大翔は見上げて考えた。
 暗号解読を手伝ってもらうだけなら、近所の神社にいる数学の女神と面識があるのだから、そっちに聞けばすむ話である。興味もない文芸部に引きずり込まれるリスクをわざわざ背負ってまで高木こいつに手伝ってもらう必要はない。
 ただその女神 ––– 吉栄光比売よしざかえひかるのひめ ––– が暗号解読を手伝ってくれるかどうかは不明である。どちらかというと、大翔や陽菜が数学徒Xと算額のやり取りをしているのを見て楽しんでいるだけように見える。こちらから投げた算額を数学徒Xが受け取ったかどうかもわからない状況で、算額とは無関係の暗号の問題に興味を示してくれるだろうか。
 そのとき、大翔のスマホがブルっと震えた。RINEの着信である。開いてみると、春菜からだった。

「今ヨシザカエ様から聞いてんけど
数学徒Xが大翔の算額持って帰ったみたい」

 大翔は眉をひそめた。
 前回と違い、数学徒Xは算額を持ち帰ったのか。どうやら、算額を見たその場で解くのはムリと判断したらしい。これは当分、回答が来ないかもしれない。

 “了解”のスタンプだけ返すと、大翔はふたたびイスに腰かけた。
「聞くだけ聞く。まずはお前がRSA暗号にどんだけくわしいか見せてくれ。」
 大翔は数日前のRINEのメッセージを表示させ、高木に見せた。

公開鍵:$${N=2077, e=283}$$
暗号文:$${1189, 465, 1500, 190, 907}$$

「ネットでいろいろ調べてみたけど、RSA暗号って$${N}$$を素因数分解できたら解読できるんやろ?」
 大翔はさらに、カバンからメモを取り出し、それも高木に示した。メモには$${2077}$$を素因数分解するための計算式がびっしりとならぶ。その一番下に、叩きつけるように$${2077=67\times31}$$と書かれていた。
「昨日さんざんがんばって、$${N=2077}$$の素因数分解はなんとかできたわ。せやけどその先、どうやったら元の情報が復元できるかがわからへんねん。」
「“元の情報”て・・・。平文ひらぶんな。」
「カナブン?」
ひ・ら・ぶ・ん!! 平らな文章と書いて、平文。暗号化する前の文章のことを、暗号理論ではそう呼ぶんや。」
「そ、そうなんか? 初めて聞いたけど・・・。」
「ウソ言え。その叔父さんからのメッセージ、次のヤツ読んでみいな。」
「あん?」

「それと、平文(=ひらぶん、暗号化する前の元の文章な)は、
ひらがなを上杉暗号使って数字に直したモンや。
最後、日本語に戻すときは、例の対応表使ってくれ。」

「お、おおお・・・。」
「ご丁寧に、読み仮名まで書いてくれてるやん。ちゃんと読まなあかんて。」
 ぐうの音も出ない。
 黙り込む大翔に、高木がさらにツッコミを入れた。
「それと、さっき『元の情報を復元する』みたいな言い方してたけど、まだるっこしいな。普通は“復号する”、もしくは“解読する”って言うで。」
「2通りあるんかい。どうちゃうねん?」
「平文を復元するときのアプローチの仕方が違う。

  • 復号:専用の鍵を使って暗号文を平文に戻すこと

  • 解読:専用の鍵を知らずに暗号文を平文に戻すこと

図に描くと、こんな感じ。」
 高木が大翔のメモに、図を描きたした。

暗号に関する用語の整理

「今回の叔父さんからの宿題の場合、大翔は復号のための鍵を知らんまま平文を復元しようとしてるから、“解読”ってことになるな。」
 大翔がアゴに手を当てて考える。
 たしか鍵というのは、上杉暗号のひらがなと数字の対応表のように、暗号化や復号化のキモになるもののことであった。“解読”という場合、それが手元にない状態で、暗号文とにらめっこして平文を復元することだけを指すということか。
「復号って言葉はマジで初めて聞いたし、解読が鍵が手元にない場合だけ、いうのも初めて聞いたわ。」
「RSA暗号がどうとか言う以前に、基礎がわかってへんやん。」
「悪かったなぁ。言うとくけど別に、俺が暗号の問題出してくれってせがんだわけちゃうからな。」
「『その辺の基礎はググって調べろ』ってことなんちゃうん? 知らんけど。」
「ぬぐぐ・・・。」
 ネットは使うなと言われたり、情報を精査しろと言われたり、基礎はググれと言われたり、忙しいことである。
「まぁ、ええわ。で、RSA暗号の話をしてる以上、公開鍵暗号の説明くらいはしてもらってるよな?」
「あー、それは一応。トランプの切り方で、リフルシャッフルってのがあってやな。」
「ちょっと何言ってるかわからへん。」

To Be Continued…


参考文献
[1] 「現代暗号のしくみ 共通鍵暗号、公開鍵暗号から高機能暗号まで」 中西透 著 コーディネーター 井上克郎 共立出版 1章

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?