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第8話 お釈迦さまの手の上で計算していたという話

「陽菜、俺とつき合うてくれ!!」
 大翔は、清水の舞台から飛びおりる覚悟で頭を下げた。すると、彼女はニンマリと笑い、
「ええよぉ。ただし、これの数学の問題をぜんぶ解けたらな?」
と、2冊の本を渡してきた。どこかで見たことのある、ペーパーバックの分厚い赤いデザイン。
 その表紙には、「京都大学 理系」、「東京大学 理科」と書かれていた。

 ビクンとはねるようにして目を覚ますと、外はまだ真っ暗だった。
「夢か・・・。」
 大翔はだるい体を動かし、枕元のスマホの待ち受け画面を開いた。いわく、午前3時48分。
 まだ、土曜がはじまって4時間もたっていなかった。

 けっきょく、大翔が起床したのはその7時間後だった。
おそよう・・・・。」
「・・・・・・。おはよう・・・。」
 母親の軽い皮肉に、シンプルに返す。
 歯を磨いていると、宙に浮いた思考が自然と今朝の夢を思い出し始める。
 これ以上はないほどの悪夢だった。勇気を出して告白したら、究極の2強・・を突きつけてきた。しかも理系用。こちとら文系だぞ? どうせ振るなら、もっとストレートに振ってくれ。清水の舞台の下にまで数学を仕込まないでほしい。
「なんやお前、晩にまたゲームでもやってたんかい?」
 食卓で遅い朝食をとっていると、たまたま近くを通りかかった父親が大翔に話しかけてきた。
「いや。数学の宿題やっとった。1時くらいまで。」
「ほう! そら感心や。そやけど、そんなに難しかったんか?」
「・・・・・・。難しいし、量も多かったし・・・。」
 正確には、学校外の人間から出された余計な宿題・・・・・があったからてこずったのだ。しかも、とびっきりの難問である。
「ふうん。まぁ、がんばらなしゃあないなぁ。お父さんは数学苦手やし、教えてやれへんのは歯がゆいけど・・・。あんまり無理はすんなよ? なんやったら、叔父さんに教えてもろうたらええわ。」
「ああー。そやなぁ。」
 それだけ言うと、父親はどこかへ行ってしまった。

 朝食を終え、食器を片付けてしまうと、大翔は自室へ戻った。机に向かって座り、真ん中の大きい引き出しを開ける。そこには、1枚の絵馬が入っていた。普通なら願いごとを書く面に、数学の問題が1問、飾りっ気もなしに書かれている。

次の数を $${13}$$ でわったあまりを求めよ:
$${2^{2024}}$$

 最初にこの絵馬を見せられたとき、大翔と陽菜は衝撃のあまり、一言も言葉を発することができなかった。
「なんか言いなさいな、だまってへんでさ。」
 吉栄光比売がすこしシブい顔をした。
「いや・・・。$${100}$$ ケタの数ですらだいぶハードル高めやったんに、$${2024}$$ じょうって・・・。まずこいつ、何ケタあるんですか?」
「$${610}$$ ケタやな。」
「ろっぴゃ・・・っ。」
 しれっと、とんでもないことを言う。瞬時に $${610}$$ ケタとわかるあたりは、さすがに数学の女神である。
「えええ・・・。そんなん、仮に $${3}$$ でわるんやとしても、何百回もたし算しなダメやないですか。」
「例の公式を使つこたらそうなるやろなぁ。ここまで来ると、さすがに小手先の公式使うだけでは太刀打たちうちできひんよ。」
 前日と同様、吉栄光比売はニヤニヤ笑っている。
「先生! この2日間、講習ありがとうございました!! 失礼します!」
「待たんかい。」
 きびすを返して帰ろうとした大翔のエリを、吉栄光比売が後ろからむんずとつかむ。
「勘弁してください、先生。俺、もう疲れました! この2日でめっちゃ数字が嫌いになりました!」
「今までは好きやったんかいな?」
「今までの $${100}$$ 倍、嫌いになりました。」
「それも立派な数字や。」
「あ、しまったしもた!! ・・・いや、そうやのうて! さっきみたいな計算をまた、$${610}$$ ケタ分やるとか、考えただけで気が滅入めいるんです!!」
「心配せんでも、あれよりはるかに楽にできるて。」
「いやそりゃ、先生がやりゃそうでしょうよ!! それ・・が $${610}$$ ケタって一瞬でわかるヒトの言うことなんて、あてになりませんて!」
「あー・・・。」
 さすがの吉栄光比売も、返事に困っている。
 そこで、陽菜が大翔のソデを軽くつかんだ。
「なあ。もうちょっとだけがんばってみーひん? ほら、あの幻覚・・・。」
「ん? あー・・・。」
 前日に見た奇妙な幻覚。おそらくは、誰かの記憶。
 前日と違い、問題が解けてもそれらしき幻覚は現れない。あれがなんだったのかはいまだ謎なままだ。気にならないと言えば、ウソになるが・・・。
「・・・・・・。せやけどお前、$${610}$$ ケタやぞ? それを $${13}$$ でわるんやで? 行けるか?」
「う・・・。うーん。えっと、ヨシザカエ様。がんばってはみたいんですけど・・・。やっぱりさすがにこのままでは難しいです・・・。ヒントもらえませんかぁ?」
 陽菜が吉栄光比売に懇願した。
「んー。せやなぁ・・・。」

 吉栄光比売が出した“ヒント”は、事実上ヒントではなかった。
 それは電卓の解禁であった。
 ただし、電卓を使うだけでは短時間では解けないので、家に持ち帰って2人それぞれで考えなさい、とのこと。絵馬を持って帰ってきたのはそのためである。ちなみに、陽菜はスマホで絵馬の写真を撮って帰った。
 だが、電卓が使えるようになったところでどうしようもない。以前、陽菜がスマホにインストールした関数電卓アプリは、$${100}$$ ケタの数字までしかあつかえないらしい。$${610}$$ ケタの数字に太刀打ちできるはずもなく、ましてや普通の電卓アプリなど、まさに“地を這う虫ケラ”である。
 $${2^{2024}}$$ が計算できない以上、神社で知った $${3, 7, 11}$$ の公式のようなアプローチはとれない。肝心の、各ケタの数字が1つたりともわからないのだ。
 完全にお手上げである。
 昨日、陽菜にも状況を聞いてみたが、彼女も似たりよったりのようだった。

 けっきょく何の進展もないまま、2日たってしまった。
 イスの背もたれに背中をあずけ、絵馬を片手でかかげてぼうっと見つめる。

$${2^{2024}}$$

 ぶっきらぼうに書かれた数字。
 いくらながめたところで、それこそ幻覚が見えでもしない限り、これからはなんの情報も読み出せそうにない。

「2を2024回 かけたヤーツ」

 一瞬、なにか聞こえた気がする。じゃっかん腹立つ感じのヤツが。
 大翔は絵馬を机の上に放り投げると、スマホを手にとった。ネットブラウザの検索バーに "2^2024" と入力し、検索ボタンをタップしようとしたところでやめて、天を仰いだ。
「ネットは使用禁止や、言うてんねん・・・。」
 電卓の使用は許可されたが、ネットでの検索は御法度ごはっとのままである。この2日間、なんど同じことをやったか知れない。ネットで調べれば、何かしらの“答え”は見つかるだろうに、これでは八方ふさがりである。

 完全に投げやりな気分になった、ちょうどそのときだった。スマホがふるえだし、RINE電話の着信を告げた。しかも、ビデオ電話だ。
 叔父の豪からである。
「ええタイミングやんけ。」
 迷わず“受信”をタップする。スマホの画面いっぱいに、豪の笑顔が表示された。
「おお、大翔! おはようさん!」
「もう昼やって。」
「まあ、そうとも言う。今、電話大丈夫か?」
「ああ、ええで。なに?」
「オーケー、オーケー。で、この前こないだの話、けっきょくどうなってん? $${7}$$ でわったあまり求める話。」
「あー、あれな。」
 そのときの途中計算のメモも見せつつ、自分が求めた公式っぽいものの内容をざっと話す。あまりスマートには説明できなかったが、豪はあっさり内容を飲み込んだようだった。
「なるほどなぁ。$${6}$$ ケタ以下の数は力技になるんがタマにキズやが、まあまあオモロい話ではあるやんけ。」
「オモロいか、これ?」
「何もないよりゃマシやろ。」
「んー、そうかぁ?」
「規則性や法則性そのものに魅せられる、それが数学徒・・・というものよ。」
「数学徒って言葉は初めて聞くけど、俺はたぶん、それではないぞ。それよりさぁ。この前叔父さんが言うてたナントカの定理ってさ。けっきょく、ぜんぜん調べてないねんけど、なんか関係あるん?」
「フェルマーの小定理か? 大アリや。お前さっき$${1000000}$$ を $${7}$$ でわったらあまりは $${1}$$ になる、言うてたやろ? それ、どうやって求めた?」
「『どうやって』って・・・。$${10, 100, 1000, \dots}$$ って感じで、下から順番に $${7}$$ でわったあまりを普通に計算して行って気づいたんやんけど・・・。」
 それがきっかけで、$${7}$$ の倍数の公式(?)がわかったのである。
「フェルマーの小定理使つこたら、同じことが一瞬でわかるんやで?」
「は?」
 あの計算で、けっこうな体力と気力をそがれた覚えがある。それを、一瞬で?
「ええっと。ネット・・・は、今電話してるから使えへんか。ほな、紙と鉛筆出してな、今から言うこと書き写してみい。」
 大翔は豪に言われるまま、新しいルーズリーフに文章を書き写した。いわ
く、

$${p}$$ は素数
$${a}$$ は $${p}$$ でわり切れない整数
このとき、$${a}$$ の $${(p-1)}$$ 乗を $${p}$$ でわったあまりは $${1}$$

「これがフェルマーの小定理や。この式に、$${a=10}$$ と $${p=7}$$ 代入してみ?」
 今書いた文章のすぐ下に、数字を入れたバージョンを書いてみる。

$${10}$$ の $${6}$$ 乗を $${7}$$ でわったあまりは $${1}$$

「なあんやねん、それえ?!」
 思わず、シャーペンを机に放り出す。
「おお? まさかのリアクション。」
「怒るわ、そら! なんやねん、ハラ立つぅ・・・。」
 今ここでやった計算は、実質的には "$${7-1=6}$$" でしかない。完全に小1レベルの計算である。ショックのあまり力が抜けて、逆に笑えてきた。
「こないだのあの苦労はなんやってん、一体? これがわかっとりゃ、もっと楽に解けたやんけ。」
「はっはっは! 数学ではようあんねん、そういうことが。地道にドロくさく計算した結果を、意気揚々と数学詳しいヤツに見せたら、『そんなん当たり前や』て返されるねん。さながら、お釈迦さまの手のひらの上で世界を横断した気になっとった孫悟空やな。」
 そう言えば昔、絵本でそんな話を読んだ覚えがある。
「お釈迦さまも・・・、てか今の場合、叔父さんもイジ悪いわ。最初から答え教えてくれたらええんに。」
「あん? なんや、“答え”って?」
 さっきまで大笑いしていた豪の表情が急変し、大翔は面食らった。
「へ? いや・・・、だから・・・。ええっと・・・?」
 “答え”は“答え”だろう。なぜあらたまってそんなことを聞いてくるのか? 禅問答か何かか?
「んんー。今の返し聞いて思ったけど、たぶんあの場で定理のこと調べたとしても、大翔が $${7}$$ の倍数公式とやらにたどり着いたかどうか微妙やなぁ。」
「え・・・、なんで・・・?」
「まぁ、そう思う根拠はいくつかあるけど・・・。」
 いくつもあるのか。“答え”の一言だけで、そんなに墓穴を掘ったのか?
「1つ確認や。さっきのフェルマーの小定理に、今度は $${a=6}$$ と $${p=3}$$ 代入してみ?」
「?」
 言われた通り、代入して計算してみる。このぐらいはお手のものだ。

$${6}$$ の $${2}$$ 乗を $${3}$$ でわったあまりは $${1}$$(?)

「えっと、$${6}$$ の $${2}$$ 乗は、$${36}$$ やから、$${3}$$ でわると・・・。ん? わりきれる・・・・・やん。あまり $${\textbf{0}}$$ や、 $${1}$$ ちゃうで。どういうこと?」

$$
\begin{equation*}
\begin{split}
6^2=&36 \\
36\div3=&12\cdots\textbf{0}
\end{split}
\end{equation*}
$$

「ありがとう。今ので確定や。」
「うぜぇな。なんやねん、一体?」
「最初に写してもらった定理の前半部分、よう見てみ?」
「前半?」

$${p}$$ は素数
$${a}$$ は $${p}$$ でわり切れない整数

「・・・・・・。これが?」
 豪がすこしずっこけた。
「お前もなかなか手強てごわいな。今さっき代入した数字、その文章にも代入してみぃや。」
「??」

$${3}$$ は素数
$${6}$$ は $${3}$$ でわり切れない整数 ←!

「あ・・・。」
「ようやく気づいたか。$${\textbf{6}}$$ $${\textbf{3}}$$ の組み合わせは、定理の前提条件を満たしてへん。ゆえに、定理の結論部分も成り立たん。」
「そんなん聞いて・・・。聞いてはいたか・・・。」
 ルーズリーフにばっちり写しているのだ。「聞いてない」は通用しない。
「そやなぁ。仮に、さっき $${6}$$ と $${3}$$ を出した時点で、大翔が『前提条件満たしてへん』とでも言うてくれたら、叔父さんもここまでは言わなんだがなぁ。」
「・・・・・・。せやけど、こないだ必要やったんは $${10}$$ と $${7}$$ の組み合わせやろ? それは別に間違えてへんやん。」
 $${10}$$ は $${7}$$ でわりきれない。前提条件は満たしているはずだ。
「もちろん、それはうてるで。実際さっき見た通り、あまりはちゃんと $${1}$$ になる。で、お前が知りたかったんてそれ・・か?」
「・・・・・・。いや・・・。」
 知りたかったのは $${7}$$ の倍数公式(?)だ。もっと言えば、$${100}$$ ケタの数を $${7}$$ でわったあまりである。フェルマーの小定理は、それに関連はしていても、直結はしていない。
「さっきの大翔の受け答えから想像するに、たぶん、『$${10^6}$$ を $${7}$$ でわるとあまり $${1}$$』を正しく出せても、『だからなんやねん!』って言うて、捨ててもうたんちゃうか?」
「・・・・・・。」
 ぐうの音も出ない。なんならそのとき、実際にそう言った気すらする。ではなぜ、そんな彼が $${7}$$ の倍数公式(?)にたどり着けたかと言えば、それはケサランパサランが助け舟を出したからだ。
 ふたたび、胃がキリキリと痛み始める。
「まぁ、なにか情報が見つかったから言うて、うかつな使い方はせんことやな。“情報”はあくまでも“情報”であって、“答え”とは限らんということや。手がかりになるかどうかすら、普通はわからん。そやから『情報の精査をしましょう』てみんな言うねん。」
「・・・・・・。マジで、うぜぇ・・・。」
「はっはっは。ほなまぁ、説教はここまでにするかい。」
 ここ数日、どうもおもしろくないことばかりが続いている。それもこれも、ぜんぶ数学のせいである。しかもそれは、まったくもって酔狂な謎かけに付き合わされているせいだ。
「てかさぁ。正直、こんな話の何がオモロいんか、まったくわからへんわ。そもそも、これが一体なんの役に立つねん?」
「出ました! 子供が聞きがちな『これ、なんの役に立つの?』。」
「うっさいなぁ。身分的にはまだ子供やっ。不満ぐらい言わせろや。」
「まぁ、ええ歳こいたオッサンでも同じこと言うヤツおるけどな。」
「なおさら、ええやんけ!!」
「はっきり言うけどなぁ。すくなくとも、このフェルマーの小定理はめちゃくちゃ社会の役に立っとるぞ。」
「はあ? この『わったの、あまったの』の話が??」
「おう。叔父さんとしては、あんまり『役に立つの、立たんの』いう話はしたくないけどな、ケチくさい感じするから。ただこの定理がなかったら、今のネット社会は確実にひっくり返る。学校の情報の授業で、暗号て習わなんだか?」

To Be Continued…


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