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第5話 仕返し

 夜の9時すぎ。
 大翔は自分の部屋で、ベッドの上にうつ伏せになっていた。胸元に引き寄せた枕にアゴを乗せ、口は半開き。手元には充電中のスマホ。
「そろそろ明日、ボス討伐行こうぜ。9時集合な。」
 最近ハマっているオンラインゲームのグループで、昨日、そんな約束が交わされた。
 だがいざ集まってみると、メンバーのテンションはいずれも異様に低かった。
- はあ、なんでか全然やる気出ないわー
- 俺も 今からダンジョン入っていくとかムリ ダルい
- 今日数学の補習があって まじウザかったわ しかも宿題ありやがんの
- うわー、なえるわ、それ
 “数学”の文字を見て、大翔はどきりとした。自分も何か書き込もうかと一瞬思ったが、まさか「数学の神様に会った」などと説明するわけにもいかず、沈黙を決め込んだ。
 彼にはお構いなしに、チャットは続く。
- 学校の帰りに急に雨降ってきてさぁ 傘持ってなくて まじで凍えるかと思ったわ
- ホットミルクでも飲んどけ
- 飲んだ飲んだw
 不意に流れてきた“雨”のキーワードに、大翔は思わず身ぶるいした。
「・・・・・・。俺もホットミルク飲みゃよかったかな・・・?」
- ごめん 今日ちょっと体調悪いねん 明日にしてええか?
- えー、今来たばっかりーw
- 体調悪いならしゃーないでしょ おつかれー
- お大事にー

 アプリを閉じるとスマホを放り出し、彼は仰向けに寝転がった。
 夕方、脳内に急に流れ込んできた情景。
 左右にそそり立つ木々と岩肌。そこへシトシトと降り落ちる雨。雨の勢いはさほど強くないのに、シトシトという音はおろか、雨の匂いまではっきり感じられた。あまりにもリアルすぎて、幻覚が治まった瞬間、自分の服が濡れていないか思わず確認していた。もちろん濡れてなどいなかったのだが、全身が濡れたような寒気が妙に印象に残ってしまっていた。
「謎かけがどうの、言うてたな・・・。」
 一度目から間をおかずして見えた、二度目の幻覚。その中で、どこかの誰か・・・・・・が口走っていた。

“ソスウ”とはなんだ!?
これすら分からないで、どうしてあの謎かけ・・・・・が解けようか!

 “謎かけ”とやらがどんな問題かは知らないが、どうやら数学の問題のようだ。
「どいつもこいつも数学でなやんどるなぁ。難儀なんぎな話や。」
 おもむろに寝返りを打ち、ひじを立てて頭を支える。
 自分はもとより、幼馴染もネット上の友人も、さらにはどこの誰かも実在するかどうかも怪しいナニモノかまでもが数学で苦しんでいる。なんと罪作りな学問か。
 もっとも、その中で抜けがけ・・・・を働いた不届き者が現れたのだが・・・。
 大翔は慌てて咳払いし、思考をリセットした。
 あの幻覚に現れた人物が実在するかどうかは不明である。だが、五感すべてを刺激するあのイメージが誰かの作り物などとは、大翔にはどうしても思えなかった。仮に作れる者がいるとすれば吉栄光比売だが、幻覚が消えた後に彼女に詰問してみると、
「はあ? なんでわらわがそんなことせなあかんねん? 第一、数字ならともかく幻視や幻聴を引き起こすやなんて、ようせえへんよ。」
と即答されてしまった。円周率 $${10}$$ 万ケタをこちらの脳内にねじ込むことはできて幻覚はムリ、というのもよくわからない話だ。だが仮にそれが嘘だったとしても、あの場・あのタイミングで吉栄光比売が自分たちに幻覚を見せる意味は、確かになさそうに思える。
 あれはおそらく、実在した誰かの記憶。
 そんなファンタジーめいたこと、大翔も普段なら本気にしないのだが、円周率 $${10}$$ 万ケタ攻撃をその身に受けたものとしては、もはやそれを荒唐無稽と切って捨てることはできなかった。たとえ吉栄光比売は無関係だったとしても。
 それに、あれが誰かの記憶だと信じるもう1つの理由が彼にはあった。
 その“誰か”の感情
 それがまるで自分のものであるかのように、頭の中に立ち現れてきたのである。
 ぬかるんでもいない地面が沼に感じられるほどの絶望。
 なんとしても謎かけを解かないといけないのに、まったく打開策を見出せない焦り。
 そして何より、それらの背後に見え隠れする感情。
 大翔にはそれを言語化するだけの語彙力がなかったが、どことなく身に覚えのある感情だった。
「・・・・・・。」
 ガラにもなく、物思いにふける。
 その時だった。

「よう、大翔! 邪魔するでぇ!!」
 突然部屋の引き戸が勢いよく開き、身の丈180cmを超える大男が入ってきた。
「お、叔父さん! ノックぐらいしてぇや!」
「お? なんや、あかんのか?」
「仮にも思春期の少年の部屋にずかずか入り込んでくるなや!」
お父さん・・・・にはちゃんと許可もろてるで?」
「親父ィィィィィィィィィ!」
 大翔の叫びに対し、階下のリビングから「おーう」というのんびりした返事が返ってきた。警戒感はゼロ、援護射撃は期待できなさそうである。
「まあそうカリカリすんなや。あんまり普段しゃべる機会ないし、ゆっくり語らおうやないか。」
「語らいたいんやったら親父としたらええやん! 兄弟、水入らず! 積もる話もあるやろ!?」
「ざーんねん。積もった・・・・話は昨日の晩に全部サバいた・・・・。」
「ポケットティッシュかビラ撒くバイトしとるんちゃうねん! 積もる話はもっと丁寧に、『こちら、つまらないものですが』言うてそっと差し出さなあかんやろ!」
「おお〜。以前にも増してツッコミボケがするどくなったやんけ。ええっこっちゃ、ええこっちゃ。で、ときにオヌシ、彼女はできたんかい?」
「あああああ、もう!」

 千坂ちよざかごう、38歳。大翔の父方の叔父である。
 生まれも育ちも関西だが、大学に進学してからは関東に住んでいる。ほぼ20年あちらに住んでいるわけで、もう少しぐらい標準語を話してもよさそうなものだが、関西弁が抜ける気配はまったくない。本人いわく、「関西弁は無敵やねん」だそうだ。
 聞くところによると、「豪放磊落ごうほうらいらくな人に育ってほしい」という願いから、大翔の祖父が彼に“豪”の名前をつけたのだという。名は体を表すというが、彼の場合、もはや名前がそのまま服を着て歩いているも同然である。ついでに、酒“豪”でもある。彼の本当の肉体は、名前にとって食われてしまったのだろうか?
 実のところ、大翔はこの叔父のことがあまり好きではなかった。大翔が多少遠慮のないもの言いをしても冗談で片付けてくれるので、その点に関しては接しやすいと感じていたが、いかんせん、型破りな言動で人を笑わせようとするところがあり、そこが苦手な要因だった。大翔にとっては、スマートな話術でとった笑いこそ至高、叔父の笑いのとり方は邪道であった。ところがどういうわけか、仕事で営業に行った時でも彼の言動は好評らしく、海外でも仕事を取りまくっているらしい。世界は驚きに満ちている。
 だが、彼が叔父を嫌うもっとも大きな理由はこれではなかった。
「大翔たしか、女の子の幼馴染がおるんとちごたかいな?」
「・・・・・・。そんなもんは・・・おらへん。」
「んー。名前は確か、“陽菜ちゃん”やったっけな?」
「何で知ってんねん?!」
おかん・・・から聞いたで?」
「おかああああああああああん!!」
 階下のリビングから「あいよー」というのんびりした返事が返ってきた。この家に大翔の味方はいないのだろうか。
「なんや、可愛らしい上に気立てのええ子らしいやないか。付き合わへんのかい?」
「・・・・・・。陽菜とは、今日ちょっとケンカになった。」
「ほうほう。てことは、大翔君的には彼女とお付き合いしたいわけやな?」
「何でそうなんねん?!」
「『付き合わへんのか?』って聞かれて、付き合う気がないんやったらそう答えたらええねん。ケンカになってようがなってまいが関係ないやろ?」
「・・・・・・。」
「以上、証明終了Q. E. D.♪」
 これこそ、大翔が伯父を嫌うもっとも大きな理由であった。この男、さんざん理屈に合わない言動をとっておきながら、何かの拍子にこうして理詰めで追い込んでくるのである。そして、締めくくりのQ. E. D.勝利宣言
 叔父は実は、根っからの理系・・・・・・・なのである。
 大翔から見ると、理系の人間というのは良くも悪くも冷静沈着で、問題の分析には長けている(のだと思う)ものの、言動が冷たく、相手の感情の機微に疎いというイメージがあった。
 叔父の場合、型破りな言動のせいで「あまりまわりのことを気にしていないのか」と思えてしまうのだが、そうして油断している間に、実はしっかり分析している。そして分析が完了するや否や、論理でめった切りだ。相手の感情の機微に疎いところは典型的な(?)理系であり、要するに最悪の御仁なのである。
「ほんで? ケンカって何があってん?」
「・・・・・・。まあ、ケンカって言うほどのもんでもないけど・・・。放課後に一緒に数学の宿題やってんけどさ。」
 大翔は夕方にあったことを、キモの部分だけ要約して叔父に話した。もちろん、吉栄光比売のことは話さない。
「はあ、なるほど。2人とも解けんと思ってた問題を、陽菜ちゃんだけが独自のやり方で全部証明してもうたと。そしてその間、大翔は手も足も出ず、さながら地を這う虫ケラが空を舞う鳥をうらやむがごとく、その様子を眺めとったわけやな?」
「後半のディスり・・・・が余計や。あと、虫ケラは鳥が天敵やから、うらやんではおらんやろ。」
「天敵をうらやんでしまうアンビバレンスにこそ悲哀があるねん。」
「俺はラノベか何かの主人公か?」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「最後のはイマイチやな。」
 計らずして始まった即興漫才のラリーは、観客席に飛び込む特大フォールトでゲーム・セット・アンド・マッチとなった。
「まあ冗談はさておき、それ、そんなに気にすることか?」
「何でやねん。女子に数学で負けてんぞ?」
「数学に勝ち負けなんぞあるかい。器の小さい男やな。」
 ついさきほど、“Q. E. D.”と勝利宣言したのはどこの誰か。
「それとお前、TIMSSて知っとるか?」
「へ? いや、知らんけど・・・。」
「国際教育到達度評価学会って国際団体がやってる学力テストでな。小4と中2が対象やねんけど、それの2019年の数学のテストやと、少なくとも中2のテストではほとんどの国で男女がほぼ互角やったんや。小4では男子の方が結構優位やったけどな。ちなみに日本に限って言えば、小4・中2ともに、男女差なしや。」(*1)
「・・・・・・。」
「よって少なくとも、日本人女子である陽菜ちゃんが大翔より数学が得意やったとしても、何ら不思議ではない。」
「・・・いや。そやけど、実際に数学のテストやったら、毎回俺が上やねん! それどころかあいつ、『1回も50点超えたことない』言うてたぞ!」
「陽菜ちゃん、独特な方法で証明したんやろ? ほな単純に、普通の数学のやり方が肌に合わへん、言うだけの話ちゃうんか? 数学のセンスの有無とテストの点の良し悪しは別の問題やと、叔父さんは思うてるで。」
「・・・・・・。」
 神社で問題を解いていた時、数字を絵に描いた途端、陽菜のカンが良くなった。あれはそういうことだったのか?
 悲惨な気持ちになり、大翔はベッドの上にあぐらをかいたままうなだれた。
「まーまー、そうしょげるなや。大翔かて、案外数学のセンスはあるかもしれへんぞ? 陽菜ちゃんと一緒で。」
「そんなん話出来すぎやろ。“地を這う虫ケラ”やってるほうが、まだ絵になるわ。」
「わからんぞぉ? 陽菜ちゃんかて、どんな問題でもセンスぶち抜いてるわけやないやろ。何か1つでも大翔の方が得意やて言えるもんが出てこりゃ、おあいこにはなるやろ。」
「・・・・・・。」
 大翔はおもむろに、スマホの充電器を外した。充電は終わっていた。
「叔父さん。ちょっと話変わるんやけど・・・。」
「ん?」
 スマホのメモアプリを起動し、適当に数字を打ち込む。
「これって暗算で解ける?」

$${1215213854}$$ を $${7}$$ でわったあまりは?

 数字は単に、現在の日付と時間を書きならべただけのものである。
「何や、これ? こんなもん、暗算ではよう解かんぞ?」
「暗算で解けへんてことは、簡単に解ける公式みたいなんはない、いうことやんな?」
「少なくとも、叔父さんは知らんで。これが何やねん?」
「いや、なんでもない・・・。」

 翌日。
 昨日と同様、大翔と陽菜は夕日の中を歩いていた。
「なあ。今日も神社、行く?」
 陽菜が遠慮がちに聞いて来た。どうやら、昨日大翔が終始不愉快そうだったので、気を遣っているらしい。
「俺は別にどっちでもええけど。なんや? そんなに大福が食いたいんかい。」
「違うてっ。・・・あ、まあそれもなくはないんやけど・・・。」
 あるのか。
「ほら。昨日最後に、なんか変な風景見えたやん? あれ、気にならん?」
「ああ、あれな。」
「『苦しい』っていうか、『悲しい』っていうか・・・。焦ってる感じもしたし。あれなんなんやろうって。なんでそんな気持ちになってるのかな、て。」
「ん? うん、まぁな。」
 大翔は曖昧な返事をした。
 言葉にすることこそできないが、彼にはその理由が何となくわかっていた。だがどういうわけか、陽菜はそうではないらしい。
「まあ、ええで。行こうや。俺が出した問題・・・・・・・がどうなっとるかも気になるし。」
 大翔はニヤリと笑った。
「いや。あれ、もし回答来てたらどうするんよ? 大翔答えわからへん・・・・・・・・・のやろ?」

 昨日、幻覚について一通り話し合った後、“返事”をどうするかという話になった。もちろん問題に答えるだけでもよかったのだが、江戸時代の風習だと、さらに問題を投げ返すこともあるらしい。それに習うか、という話である。
 その時大翔は、新しい絵馬に適当に・・・問題を書き殴ったのである。

次の数字を $${7}$$ でわったあまりを求めよ:

「お主・・・。それ、答わかって書いてるんか?」
 吉栄光比売が呆れたような顔をした。
「もちろん、わからんっすよ! わかるわけないじゃないですか!」
「ええ、あかんやん! だって・・・。」
 陽菜があわてて止めようとすると、吉栄光比売がそれを制止した。
「まあ、ええんちゃうか? やってみなさいな。」
「ええ?!」

「万が一、答え返って来てたら、私らで答え合わせせなあかんのんよ?」
「返ってうへんやろ、絶対。だって、$${\textbf{7}}$$ の倍数の公式なんてないんやから。」
 中学の数学で $${3}$$ の倍数の公式を習った時、他にもいくつか同様の公式を習ったが、$${4,\ 5,\ 6}$$ と来て、次が $${8}$$ の倍数の公式だったのである。それらの内容はほとんど覚えていないが、$${7}$$ の倍数の公式がないことだけははっきり覚えていた。念のため、数学に詳しい叔父に確認してみたが、やはりそういう公式はなさそうだった。
 相手が答えられないであろうと見込んだ上でのイヤガラセ。幼馴染の前でさんざん恥をかかされたことへの仕返しであった。
「まあ、ええやん? 算額奉納するくらいに数学好きなんやったら、ちょっと難しいぐらいの問題の方が楽しめるやろ。」
「性格悪いなぁ・・・。」

 自転車を入り口にとめ、境内へ入ると、絵馬殿の前に吉栄光比売が立っているのが見えた。
「ちゅーっす!! 今日も来ました、先生。あの問題、どうなってます?」
 部活の顧問相手にでも言うように大翔が挨拶する。
 吉栄光比売は2人を振り返ると、何も言わずに絵馬殿の新しい絵馬・・・・・をはずし、2人に見せた。
 絵馬には、中央に一文字だけ

$${2}$$

と書かれていた。
「・・・・・・。は・・・?」

To Be Continued...


*1: TIMSSの結果などについては、以下のサイトの該当ページを参照のこと。

豪の言っていることは、このサイトでダウンロードできる下記のドキュメントに基づく:

  • 1-6_achievement-gender-trends-M4.pdf

  • 3-6_achievement-gender-trends-M8.pdf

  • TIMSS-2019-Highlights.pdf

なお、TIMSSの最新のテストは2023に行われたが、2024年5月18日時点で、結果はまだ発表されていない。

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