見出し画像

第2話 算額

 次の数字を $${11}$$ でわったあまりを求めよ:

「え。なんすか、これ?」
 大翔は吉栄光比売を見た。
「数学、いや算数の問題や。」
「いや、見たら分かるて、そのくらい!」
 大翔が無遠慮にツッコミを入れた途端、吉栄光比売の目尻が釣り上がった。慌てて陽菜がフォローを入れる。
「ええっと、そうやなくて、なんで絵馬に算数の問題が書いてあるんですか? 絵馬って、願いごと書くためのもんやないんですか?」
「ああ。“算額”、言うてな。数学の問題を解いた者が、それをわらわに報告するために奉納したもんや。普通はもっと大きい板に問題と解答を書いて奉納するんやが、こうやって絵馬に書いて奉納することもある。」
「え・・・。でもこれ、解答は書いてないですよ?」
 絵馬の裏側を見たりしながら陽菜は言った。吉栄光比売がくすりと笑った。
「そういうお茶目な真似をする輩もいるねん。わらわへ報告しながら、ほかの参拝者には謎かけをする。すると、それを見た者が解答を書いて返答する。場合によっては、さらに謎かけ返しをする。そうやって、神社で知恵比べをしよるんや。寛政から文政の頃にかけてが一番盛り上がっておったな。そのおかげで、この国の数学は大きく進歩したわけよ。」
 女神は肩をすくめて苦笑した。
 陽菜は女神のそんな表情を見つめた。数学の守護神から見れば、数学徒たちのそうした知恵比べは、たかだか子供同士の腕相撲にすぎないのだろう。それでも、その表情はどこかしら誇らしげに見える。
「へええ、知らんかった。でも、こんなん今日初めて見ましたよ? ほかの神社でも見たことないし。」
 大翔が絵馬をしげしげと眺めながら言った。
「まあ一時のことを思えば、だいぶ数は減ったしな。最近は、また少しずつ増えてきてはいるが・・・。」
「それでも、おるにはおるんですね、奉納する人。」
「ああ、いるよ。以前、異国の者が奉納したこともあったぞ。ちゃんと日本語と英吉利えげれす語を併記してな。」(※)
 陽菜は小声で大翔に聞いた。
「なあ。今、『エゲレス語』って言わはった? 何、“エゲレス語”って?」
「ああ、“イギリス語”の古い言い方や。ようは英語よ。」
「はあー。さすが、日本史通。」
 吉栄光比売は陽菜の方に歩み寄り、絵馬を受け取った。
「こやつは先週にも奉納してくれたんや。わざわざこの神社に奉納するとは酔狂なもんや。初めてやで、直接算額を受け取ったのは・・・。」
「え?」
 2人が声をそろえたので、吉栄光比売は両眉を上げた。
「なんえ?」
「いや、今まで受け取ったことない、て・・・。数学の神様やのに?」
「なんや、わらわをうたごうてるんか? 言うておくが、算額が初めて出てきてからこっち、わらわはすべての算額に目を通してるぞ?」
 吉栄光比売はムキになっているのか、頬がいささか赤くなっている。
「でも・・・、この神社には納められたことないんですよね・・・?」
「どこの神社に納められようが、その内容はわらわの元に届くんや。ほかの神は、数学なんぞ最低限のことしか分からん。頼まんでも送ってくれよるわ! 算額だけやあらへん。他の神社で『数学ができるようになりますように』みたいな願いごとがされたら、それも全部わらわに回されるんや。」
「はあ・・・。ほな、菅原道真・・・公もです? 学問の神様ですよね?」
道真公北野はんなら数学もある程度分からはる。そやけどあのお方は学問全般の神やから、叶えなあかん願いごとがほかにもぎょうさんある。そやから数学がらみの願いごとは、わらわに全部委託してくれたはるんや。」
「外部委託?!」
「下請け?!」
「そうや。あかんかえ?」
「いえ・・・、別に。」
 大翔は、なかば呆れた顔で境内をあらためて見渡した。
「なるほど? 神社が寂れに寂れきってんのに、当の神様はピンピンしとるから『おかしい』おもたら、間接的に信仰はされとるわけか。」
「それでも、お願いごと一部を受託してるんやったら、・・・その・・・、お賽銭とかも一部受け取ったりせえへんのですか?」
「? 受け取ってるよ。」
 陽菜の質問に、吉栄光比売はこともなげに答えた。
「え? ほな、なんでこんなに神社が荒れ放題なんですか?」
「銭があっても、管理する人間がおらなんだら荒れるわさ。」
「管理する人間て、神主さんとかのことです? なんでいないいーひんのですか? お金はあるんですよね?」
「いてもすぐに出て行きよるんや。どいつもこいつもヘタレばかりでな。」
 吉栄光比売は、「困ったものだ」と言わんばかりに肩をすくめた。
「おおかた、神主さんとかに数学の勉強を強要したせいで逃げられてもうたんとちゃうか?」
 大翔が陽菜に冗談混じりに言うと、吉栄光比売は一瞬だまった。
「まあそんなこんなで、今日も算額が来てへんかいな、思て見に来たんや。」
(図星か。)
 2人は口には出さずにそう思った。それに気づいているのかいないのか、吉栄光比売は2人の方を見て言った。
「どや? せっかくここまで来たんやし、この問題解いてみたらどないや?」
「えええ・・・。解け、言われても・・・。」
 2人は顔を見合わせた。
「えっと・・・。ごめんなさい。私ら、あんまり数学は得意やのうて・・・。」
「多少、時間かかってもかまへん。どうせ暇やろ? なんやったら、助け舟も出したるし。」
 苦手以前に嫌いなのだ、ということを察して欲しかったが、この女神には通用しないようだった。
「えっと・・・。とりあえず、$${11}$$ でわったらええんですよね? でもこれ・・・、$${100}$$ 桁の数ですか? こんなん、暗算じゃ絶対無理ですよ。ひっ算するにしても、場所取りすぎますし・・・。」
 陽菜はあきらめて、とりあえずの見解を言った。あいさつもなしに境内に乗り込んできて、暖房すらつけて(?)もらっているのに、にべもなく断るのも気が引ける。
 すると、大翔が陽菜に向かって「チッチッチッ」と人差し指を振った。
「おいおい、陽菜。お前のその胸ポケットに入ってんのは何やねん?」
「? スマホやけど?」
「おうよ! そんな文明の利器があるねん。使つこたらええやんけ!」
 そう言って、大翔は自分のスマホの電卓アプリに数字を入れ始めた。・・・が。
「あれ、あれ、あれ?? $${17}$$ 桁しか入らへんやん。なんでや?」
そりゃそらそやろ。電卓かて、なんぼでも大きい数を扱えるわけやあらへん。わりと常識やぞ?」
「マジでか・・・。」
「まあ、たしか $${100}$$ 桁の計算もできるあぷり・・・もあるけどな。ただし、日本語には対応しとらへん。英吉利語のみや。」
 それを聞いて、陽菜がおずおずと手を挙げた。
「私、英語・・・あ、エゲレス語得意なんで、たぶん使えます。」
「ほう?」
「そうや、ナイス! それで一発やん!」
「ええっと・・・。あ、これかな?」
 アプリをダウンロードして開くと、陽菜は目を丸くした。
「え・・・。ちょ、何これ・・・?」
「なんや? ・・・は? なんやこれ? どうやって使うねん?」
 そのアプリはデフォルトの電卓アプリと異なり、意味のわからない言葉の書かれたキーが画面の半分近くを占めていた。
「どないした? さっさと計算しぃな?」
 吉栄光比売がニヤニヤとしている。
「全然、使い方がわかりません・・・。」
「そやろなぁ。“関数電卓”ていう、理工系の研究者が使うゴツい電卓があるんやけど、そのあぷり・・・はそれを再現したもんなんや。」
「なんか、見たことない・・・関数?・・・のキーとかありますけど・・・?」
「あるやろなぁ。“関数”電卓やし。」
女神はいたずらっぽく笑い、さらにたたみかけた。
うとくが、『$${100}$$ 桁の計算ができる』て言うても、$${100}$$ 桁の数字をいっぺんに全部表示できるわけやあらへん。何回か改行せなあかんやろな。面倒くさいえ?」
 そのアプリの画面上端には、数字を表示する窓が小ぢんまりと開いている。広告のバーと大して変わらない大きさだ。おそらく、2行程度しか表示できまい。
「もっと言うと、なんも考えずにそのままわり算したら、小数点以下まで律儀に計算しよるぞ。あまりがいくらかは答えてくれへん。あまりが知りたかったら、もう一手間いる。面倒くさいえ?」
「・・・あまりを直接計算する方法はないんですか?」
「あるよ。そやけど、それをわらわが教えなあかん理由はないな。知りたかったら、ぐぐって・・・・みたらどないや?」
 女神はどこまでも楽しげである。大翔と陽菜は口をへの字に曲げた。
「まあ実際のとこは、ちゃんと調べたらおぬしらでも5分くらいで解けるやろ。それでも、どうや? せっかくやから電卓なしでやってみぃひんか? 少なくとも、この絵馬を奉納したヤツは電卓なんぞ使うとらんはずやぞ?」
「? 知り合いなんですか?」
「まさか。絵馬には署名もあらへん。どこの誰やも、顔も知らへんよ。考えてみぃ? 存在すらほとんど誰にも知られとらん神社に、わざわざ算額を奉納してるんや。電卓で計算しただけの問題をいちいち持ってくると思うか?」
「たしかに・・・。」
「・・・。ふむ、そうやな。おぬしら、この絵馬に返答してみぃひんか?」
「え?」
「おぬしら2人がかりでええ。問題の解答を別の絵馬に書いて、また絵馬殿にぶら下げてみなはれ。たぶん、さらに返答してくれるやろ。」
 2人は押し黙った。
 正直、面倒くさい。
 SNS で新しいコミュニティに参加するときですら、多かれ少なかれ緊張する。そこにどんな人がいるかは分からないのだ。
 それなのにこの絵馬の差出人ときたら、署名すらしていないのだ。アカウント名くらい書いたらどうなのか。それに、もしさらに返信が来たら、おそらくこれより難しい問題を出されるだろう。プラットフォームのルールがやばすぎる。沼る。
 2人のそんな思考を察したのか、吉栄光比売は落胆した表情を見せた。だが陽菜の方を見て、ポンと手を叩いた。
「陽菜。これが何か分かるか?」
 彼女が右掌を上にして手をかざすと、その上にハムスターの形をした大福が現れた。
「!! ・・・それはもしや・・・、アテナ製菓のハムスター・フルーツ大福!!」
「なんて??」
「だから! アテナ製菓のハムスター・フルーツ大福!! 今年の前半に大ヒットしたお菓子! 知らへんの?! 期間限定発売で、再販も未定! なんで女神“様”がそれを??」
「いや、“様”づけ・・・。」
「おぬしらが算額の知恵比べに挑戦するなら、こいつをくれてやろう。」
「食いもんで釣ろうとしとる!?」
「さてどうするかえ? 別にやらんでも、待ってたら再販されるかもしれへんな? でも、もしそれで値上げされたらどうする? 今、フトコロが寒いんやろ? なんなら、これ以外の甘味も出してやれるぞ?」
「いや、なんでそこまで・・・」
「超やります!!」
 大翔のツッコミを遮り、陽菜が叫んだ。
「え、それ食べられるのって今日だけですか? それともひょっとして、この先問題に答えるたびにスイーツ食べられたりして?!」
「いや、ちょっと待ってくれ・・・。俺、甘いの苦手・・・」
「ええよ、ええよ。任せときなはれ。」
「やったぁ!!」
 大翔の都合を完全に無視し、交渉が成立してしまった。
「あかん・・・。これ、完全に沼るヤツや・・・。てか、俺のメリットは・・・?」
 
 
※:http://www.wasan.jp/kyoto/kitano3.html

To Be Continued…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?