プライベートライアン

つい先日プライベートライアンという映画を観た。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦が舞台。ライアン四兄弟の内三人が戦死し、残る末っ子を戦場から引き上げさせるために8人が部隊を組んで救出するという内容。

印象的だったのは、冒頭20分にも及ぶオハマビーチの戦いだ。血飛沫が飛んでくるところや、実際に視点も揺れることで視聴者が実際に戦場にいるかのような臨場感を味わえた。更に容赦なく戦争のグロさを表現しており、圧倒された。兵士が吹き飛ばされた自分の腕を撮りに行くシーンがあり、本当の戦場を経験した者でなければ、そのような描写はできないだろうと思った。
さて内容だが、ここでもグッとくるセリフがあった。主人公のミラー大尉はたった1人の見ず知らずの二等兵を助けるために危険な戦場に向かうのである。「部下1人を殺すことになるが、そのことによって10倍、20倍の人間を救うことになると考えて、割り切るしかない。そう正当化するしかない。」というミラー大尉の言葉は心に刺さった。戦争で犠牲になった人たちは少なくとも、自分たちの死が無駄死で終わってほしくないと思っているはずだ。未来の人間が活躍することで、自分たちの犠牲が報われることに期待してると気付かされた。

太平洋戦争の犠牲者の上で自分たちは生きているのだから、彼ら彼女らが捧げた命に答えられるような生き方を自分はしているのかと思うと苦しさを感じた。そんなことをずっと考えて生きると生きづらいかもしれないが、たまには考えることも必要かもしれない。

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