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短編小説:予 知 夢

                                                                    岩間 清一                                      

山下幸喜警部補は○○○県高浜警察署の交通課指導係の係長である。
 
    警察署の刑事や交通課員などいわゆる内勤の警察官には週に一度当直がある。
 
山下がその日の当直に入る前の天気予報では、
 
― 今夜は、台風並みに発達した低気圧の通過にともない、大雨強風となる模様 ―
 
だった。
 
山下が当直に入る午後5時頃は、予想に反して雨は小降りの状態だった。
 
 「予報では台風並みに雨風が強くなるっていってたけど、外れたな。この状況では、自宅に帰っても大丈夫だな」
 
 帰り支度をした署長が当直員のところに来て、話しかけてきた。
 
 「そうですね、大丈夫だと思います」
 
立ち上がって答えた山下を見た署長は、
 
 「なんだ、今日は、山下係長が当直か。じゃあ、今日は家に帰らないで、 官舎に泊まるようだな」
 
 笑いながら、冗談とも本音ともとれる言葉を残して帰って行った。
 
 実際、山下が当直のときは、どういう訳か大きな事件、事故が発生して、署員の非常呼び出しをしたことが、一度や二度ではなく、署員の間でも山下が当直の時は、大きな事件事故が発生してしょっちゅう呼び出されると噂されていた。
 
 山下の勤務する警察署は、東京都と川を挟んで隣接し、江戸時代には船の渡し場があり、宿場町として栄えた地域である。
 
 警察署の内勤当直は、一般の事件、事故を取扱う事件当直と交通事故事件を取扱う交通事故当直に分かれていて、交通課員は交通事故事件当直に配置されていた。
 
 山下は交通課員だったが、当直主任を補佐する当直副主任として、当直員が取扱う事件事故全般の指揮にあたっていた。
 
 雨の降る夜は、交通事故が多発するといわれるが、今夜は予想に反して人身交通事故の発生も他の事件の発生もなく、当直員はのんびりと署内で待機していた。
 
 午後9時を過ぎた頃にも予報に反して風雨は強くならず、しとしとと梅雨のような雨が降っていた。
 
 山下は何事もないことから、仮眠をとるため休憩室に入った。
 
 「予想に反して雨も強く降らないし、事件事故もなくよかったですね。こんな静かな当直は初めてですね」
 
 後半一緒に勤務する菅田巡査部長が、電気を消して布団の中に入ると山下に話しかけて来た。
 
 「そうだね、このまま後半も何もなければいいな。署長が意味深なこと言って帰ったからね」
 
 「でも、どうして私たちの当直の時は色んな、それも大きな事件事故が発生するんですかね… 考えてみれば、係長がここの当直班に来てからですよ。係長がもってきたんじゃないですか?」
 
笑いながら、菅田巡査部長が言った。
 
 「巡り合わせだよ、たまたま我々の当直の時に起こるんだよ、俺のせいじゃないよ」
 
 山下は、苦笑しながら答えたが、内心は菅田と同じ考えだった。
 
他の当直員からも以前菅田と同じように、
 
 「係長が我々の当直に来てから、大きな事件事故の発生ばっかりですよ」
と嘆かれたことがあった。
 
 山下が、この警察署に異動してきてから、一年経つがこの間、当直中に殺人事件、ひき逃げ死亡事故、過激派ゲリラによる放火事件等重大事件の発生が高浜警察署管内で発生し、それらは何故か、山下の当直中に発生していた。
 
 色んな事件事故があったな、でも、今日はまだ何事もないしよかった。
 
 目をつぶってしばらくしてふっと目を開けると、電気を消して寝たはずなのに自分と菅田が寝ている姿を天井付近から眺めていた。
 
 どうしたんだ、これは?
 
と思った瞬間、周囲が真っ暗になり体がぐるぐるとものすごい勢いで回りだし、上へ上へと昇って行く感覚になった。
 
 すると、一点の光が見えてその大きさが次第に大きくなり、体が光に包み込まれたと思った瞬間、山下は色とりどりの花々が一面に咲きほこっているところに立っていた。
 
 遠くには小高い山が見え、光がさんさんと照っているが太陽は見えず、暑くも寒くもなく心地よい。
 
 身も心もなにか大きなものに包まれている安らかな気持ちになった。
 
 どうしたんだ? 今日は当直で署の当直室で仮眠をとっていたはずだが?…
 
 そうか、これは夢なんだ。そろそろ交代の時間だ。起きなきゃ。
 
 焦って起き上がろうとするが体が動かない。
  
 これは夢じゃないのか? と思った瞬間、ふわりと体が浮いた。
 
 きれいな花畑の上をゆっくりと体が流れていく。
  
 すると川の側に来た。
 
  川幅は50メートルくらいだろうか、川面に光が反射してきらきらと光り、水がゆったりと流れている。
 
 川の淵(ふち)から足を水の中につけようとするがどうしても水の中につかず、水の上に立った状態だった。
 
 すると、後ろから消防士の服を着た男の人3人とパジャマ姿の初老の男女2人、緑色のジャージを着た30歳くらいの男性がうつろな目をして山下の脇を音もなく通過すると、川の上を滑るように向こう岸に渡って行った。
 
    その姿は川を渡るというより、水の上を滑って行くように見えた。
 
    山下は自分も同じように川を渡りたくなり、後ろをついて行こうとすると、
 
  「幸喜!こっちへ来るな!来ては駄目だ!」
 
と、川の向こう岸から山下の名前を大声で呼ぶ声が聞こえた。
 
    声のする方向を見ると、向こう岸に老人が立っていた。
 
     何処かでみたことのある人だなと、目を凝らして見ると、三十年前に亡くなった祖父に似ているが、確認できない。
 
   懐かしくなって向こう岸に行こうとすると、その老人がまた、
 
 「幸喜、こっちへ来るな!来ては駄目だ!」
 
と叫んだ。
 
   しかし、向こう岸がどうなっているのか行ってみたくなった途端、

  「幸喜ダメだ!」
 
   山下の名前を大声で呼ぶ声とともに、ものすごい力で後ろに引っ張られた。
 
   すると、一瞬で今までの景色が消えて、真っ黒なトンネルの中を体が真っ逆さまに落ちていく感覚に陥(おちい)った。
  
  ものすごい不安感から大声で、
 
 「うわっ!」
 
と叫ぶと、どこからか声が聞こえた。
 
  「係長、係長」
 
  隣に寝ていた菅田の声で目が覚めた。
 
  「係長、大丈夫ですか。だいぶうなされていましたけど」
 
  「 ああ…大丈夫。変な夢を見た…」
 
と答えたが、夢の内容は話さなかった。
 
   寝汗で体がびっしょりだった。
 
 時計を見ると間もなく交代の時間だった。
 
 「今日は、静かだったようだね。途中で起こされなかったな」
 
という山下に菅田が
 
 「そうですね、我々の当直で初めてですね」
 
と答えた。
 
   制服を着て当直室を出た。
 
 山下は、あれは夢だったんだ。
 
  でもリアルな夢だったな…自分の名前を呼んだ最後の声はどこか懐かしい人の声だったけど誰だか思い出せない。
 
  どうしてあんな夢を見たのだろうと不思議に思いながら事務室に入った。
 
 交代する今井係長は
 
 「雨は途中から強くなったけど、短時間に治まったので、今のところ雨に  伴う災害や事故の通報はなかったです。事件当直は一歩も出ることがなかったし、交通も小さな人身事故が一件だけだったです。こんな暇な当直は初めです。じゃあ、後お願いします」
 
   と、山下に取扱いの引継ぎをすると大きなあくびをしながら、他の当直員と一緒に二階の休憩室に上がって行った。
 
    山下が外に出てみると、雨は上がっていたが、真っ黒な雲が勢いよくうねりながら東のほうに流れていた。
 
   前線が通り過ぎているのか、でも、天気予報の言う大雨にならなくてよかった。
 
と思って、庁舎内に入った。
 
 交代して一時間近くが過ぎた頃だった。地域課の110番指令を受ける無線から、
 
 「○○○本部から高浜、110番。119番転送。がけ崩れで家が崩壊(ほうかい)したとの通報。現場、高浜PS管内樫ケ谷(かしがや)1479番地遠野方。
内容、裏山が崩れて家が流されがけの途中に止まっている。との消防からの通報。なお、消防隊によると家の中に生存者がいる模様。至急PCを派遣、現場調査の上報告せよ!」
 
 本部からの指令に、今まで署内に漂っていたのんびりムードがいっぺんに吹き飛んだ。
 
山下は、地域課員に、
 
 「俺と菅田部長は現場に行くから、当直員全員を起こして、署長と警備課長に連絡、全署員の非常招集!」
 
と指示して、パトカーの後部座席に飛び乗った。
 
   現場に向かうパトカーの車窓から、思いもかけない光景が目に飛び込んできた。
 
 何事もなかったと聞いていたのに、あちこちで街路樹が倒れ、マンホールから行き場のなくなった水が噴出(ふんしゅつ)して道路はいたるところで冠水(かんすい)していた。
 
   隧(ずい)道(どう)の低い位置では、水没し動けなくなった車が放置されている。
 
  道路沿いの急斜面地では、崖が崩れて、道路に土砂が散乱し、くずれた崖上の駐車場から車の車体半分が宙ぶらりんとなって、今にも落ちそうな状態になっていた。
 
 山下は、パトカーの乗務員に、
 
 「なんだこの状況は… 何もなかったっていう引継ぎと全然話が違うじゃないか。これまで警察に通報はなかったのか」
 
「1時間半ほどバケツの水をひっくり返したような、ものすごい雨が続いて、パトカーも走れる状況ではなかったのは確かで、署で待機していました。まだ、雨が上がって間もないんです。今まで何の通報もありませんでした」 
 
   短時間に急激に降った大量の雨が地盤に染み込み、その雨水によって地盤が緩み急傾斜地ではがけ崩れが起こり、街中では下水の排水処理が間に合わず冠水したのであろう。
 
   真夜中で豪雨のため外に出ている人が少なかったことから、被害を知ることもなく通報がなかったのかと思われた。
 
 車内から見えている状況を無線で警察本部と署に報告しながら現場に近づくと、現場付近の道路には何台ものレスキュー車、消防車が駐車していた。
 
 パトカーを空き地に駐車し、走って現場に向かった。
 
 現場は急斜面を造成して宅地化した場所で、すでに到着していた消防隊によって投光器があちこちに設置されており、周囲は昼間のような明るさだった。
 
   現場の斜面の上には雑木が生い茂っていた。
 
 がけの中腹付近には真新しいコンクリートの土台があり、そこに建っていたであろう、白亜の西洋風の瀟洒(しょうしゃ)な家屋が約15メートル押し流されて、屋根を下にして転がっているような状態だった。
 
 すでに救急隊員が逆さまになっている家屋の一階の部分を切り開いて家屋内部に入って救出作業を行っていた。
 
 山下は菅田を伴い家屋内部に入った。
 
 家がひっくり返っているので山下が入った場所は屋根裏付近である。
 
 救出作業を指揮している消防隊長に状況を聞いた。
 
 消防隊長の話では、
 
 ― 逆さまになっている二階の天井付近で天板を叩いている音がしていた ので、声をかけるとこの家の主人と言っている。家族は奥さんと息子さんの3人暮らしで奥さんと主人が一緒にいて、息子さんが一階部分にいるそうです。これから天井部分を切り開いて救出する予定です―
 
と話した。
 
 隊長の話を聞きながら、あれっ?この人とは何処がで会ったことがあると思った。
 
 しかし、何処で会ったか思い出せない。
 
 消防と警察は同じ交代制なので、高浜警察署管内で起こった事件や事故の現場にお互い出動しており、何れかの現場で会っていても不思議ではない。
 
 どこかの現場で会ったんだろうと思った。
 
 このまま屋内に残って救出の状況を見ていようとしばらく消防隊員の活動を見ていたが、心の中に言葉では言い表すことのできない不安感というか胸騒ぎを感じていた。
 
 そのとき、
 
 「幸喜ここを出ろ!」
 
という声が山下に聞こえた。
 
 山下は思わず周りを見回したが、現場の状況からそのような声を出すものがいるはずはないし、山下の名前を消防隊員が知るはずもなかった。
 
 起きる前に見た夢といい今日は何かおかしいと思わず首をかしげた。
 
 消防隊長が山下に向かって、
 
 「ここは、我々に任せてください。警察の方は周りを警戒していただけませんか。救出しましたら、私が外に出て手を上げますのでそのときに担架を運んできてください」
 
 と声をかけてきた。
 
 普段は現場にいるなといわれてもいるような山下であるが、この時は、心の中に広がっていた不安感と、狭い場所にいては、救出作業の邪魔になるだけだと思い外に出た。
 
 外に出ると、救出のために消防隊や消防団員、警察の機動隊員が続々と集まってきていた。
 
 山下は、到着していた当直員の横山巡査部長と新川巡査長に周りの状況を撮影するよう指示して、周囲を見回っていた。
 
 山下が屋外に出て1時間くらいたったころ、周囲を撮影していた横山と新川が近寄ってきて、
 
 「係長、写真を確認して下さい」
 
 と声をかけてきた。
 
 山下の右側では消防隊員の一人が中腰になってチェンソーのエンジンをかけようとしていたが、エンジンがかからず手間取っていた。
 
 山下は、カメラの画像を確認しながら何気なく現場の方に顔を向けた。
 
 すると、消防隊長が外に出てきて大きく手を上げた。
 
 打ち合わせ通り、担架の前を消防隊員、後ろを警察官が持って走って行った。
 
 良かった。救出できた。
 
とホッとした。
 
 その時、
 
 「逃げろ!」
 
と、また、さっき聞いた声が上から聞こえた。
 
 山下は、驚いて声のした方向を見上げると、暗い中で頂上付近の一本の樹木がゆさっと揺れたのが見えた。
 
 山下は本能的に危険を感じ後ろを振り返ると同時に、
 
 「逃げろ!」
 
と大声を出しながら、横にいた横山を突き飛ばした。
 
 横山はどうして突き飛ばすんだ? というような怪訝(けげん)な顔をして山下を見たが、轟音(ごうおん)とともに崩れ落ちてくる土砂に気づいて走り出した。
 
 山下も走り出したが、体が思うように動かない。
 
 いや、動いて走っていたのだが、崩れ落ちてきた土砂の動きが速すぎて体の動きがスローモーションのように感じていた。
 
 被っていたヘルメットの後ろに、ビシッ!ビシッ! と土砂が容赦なくあたり、足元には水のようになった土砂が流れてきて両ひざの付近まで埋まった。
 
 とうとう動くことができなくなった。
 
 山下は、もう駄目だ、これで土砂に埋まって死んでしまう…
 
とあきらめた瞬間、土砂の動きがピタっと止まった。
 
 振り返ると、今まで投光器の灯りで昼間のように明るかった周囲が真っ暗になっていた。
 
 発動機のエンジン音や救出作業で騒々しかった現場が一瞬シーンと静まり返った。
 
 次の瞬間、あちこちから
 
 「痛いー」
 
 「助けてくれー」
 
と叫ぶ声が湧いてきた。
 
 山下は土砂に埋まった両足を何とか引き抜くとパトカーまで駆けて行って本部に応援要請を行った。
 
 パトカーにあった懐中電灯を片手に現場に戻ると、先ほど山下の足元でチェンソーのエンジンをかけようとしていた消防隊員が上向きで胸まで土砂に埋まって唸(うな)っていた。
 
 胸の上を土砂が約1メールほど覆(おお)っていた。
 
 顔が埋まっていないのが幸いだった。
 
 難を逃れた横山、新川と一緒に、
 
 「頑張れ」
 
   と声をかけて励ましながら土砂を取り除こうとするが救助に使っていたスコップなどの器材は土砂に流されて見当たらない。
 
 両手を使って土砂を取り除こうとするが、思うように取り除けない。
 
 両手は血だらけになったが、気が張っていたせいか痛さは感じなかった。
 
 応援に駆け付けた機動隊員とともに何とか救出することができた。
 
 周りでは難を逃れた警察官や消防隊員が土砂に埋もれた人たちを救うため、同じように必死になって素手で土砂を取り除いていた。
 
 そのとき、山下はふっと思い出した。
 
 一旦署に帰って資器材を持ってきた菅田が家屋の横に立っていたことを。
 
  菅田が立っていた場所には、先ほどのがけ崩れで上から流されてきた大木が埋まっている。
 
 泥土に足を取られながら埋まっている木のところに駆けつけ、
 
 「菅田! 菅田!」
 
と必死になって木をどかそうとするが、泥土に埋まっている大木はびくともしない。
 
 そこへ、横山と新川が駆け付けてきて、
 
 「係長、どうしたんですか?」
 
と怪訝(けげん)そうに声をかけてきた。
 
  「何を言っている!菅田が埋まっている! 早く手伝え!」
 
と怒鳴る山下に、新川が
 
 「係長、菅田さんは資器材が足りないからって、さっき署に取に帰りましたよ」
 
といった。
 
 「えっ、本当か。よかった」
 
安堵(あんど)してへたり込んだ。
 
 気が動転していて、菅田を見た時間とがけ崩れが起こった時間が一緒だったと勘違いしていた。
 
 その場所にいれば間違いなく大木の下敷きになり大けがをするか亡くなっていたに違いなかった。
 
 間もなく、続々と到着した応援部隊により機材を使った救出作業が始まった。
 
 周囲が明るくなったころ、消防隊員たちが泣きはらしてまっ赤になった目をして運んでいく担架の上には、変わり果てた消防隊長を含む3人の消防隊員の姿と屋内にいた家族3人の姿があった。
 
 山下はその姿に手を合わせて目をつぶった。
 
 すると突然脳裏に浮かんできた。
 
    消防隊長に会ったのがどこだったのかということと、今まで聞こえていた声の主が誰だったのかということが…



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