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きのこ

小さい頃、花火が開くときの大きな音が苦手だった。
しかし、ふと気づいた時にはそんなことどうでもいいくらい、花火が大好きになっていた。

苦手なものが平気になることは、大人になった、成長したということの表れなのだろうか。はたまた、ただ慣れただけなのか。慣れたということは成長したということなのか。正直よく分からない。

私は、ずっときのこが苦手だ。少しづつ食べていけば慣れていくとか考えられないほど苦手だ。そのため、今後も食べられるようになることはないだろう。これは、成長していないということにつながるのか。きのこが苦手なことに気づき、食べないと見切りをつけることも一種の成長とも捉えられるのではないか。しかし、これはただきのこが苦手な自分を正当化しているだけな気がしてきた。

最近、花火を見に行った際に、子どもが花火の大きな音に怖がっていた。そんなとき、いつか慣れてきっと花火が大好きになるよと高見の見物をしながら、その子の隣で花火を眺めた。ただ、その子がきのこを食べられるのなら、立場が逆転し、その子の存在が一気に大きくなる。
そんなことを考えながら見た花火は、いつもよりきのこに見えた。

尾張

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