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特別への憧れ

私は、小さいころから普通とは違う特別に憧れていた。

小学生の頃は、サッカーが上手くて足が速いことに憧れていた。
中学、高校の頃は、とにかく勉強ができることに憧れていた。
大学生の今は、テレビやラジオに出演する仕事、ホストなどの普通とは違う職種に憧れている。

このように常に憧れてはいるものの、実際、それに近づく努力はしてこなかった。小学生の頃は、ずっと家でゲームをしていたし、中学、高校の頃も、友人と馬鹿なことをやって遊んでいた。就活が終わった大学4年の今は、地元の中小企業への就職が決まった。

このように振り返ると、憧れている特別な存在にちっともなれていない今までの人生であった。努力もしていないので当然の結果である。特別な存在になるには、努力や才能は必要不可欠である。テレビを見ていても、芸人さんの秀逸なコメントや一瞬の瞬発力には感心してしまう。

しかしやはり、人とは違う特別への憧れは捨てきれない。私は、歩いているときや、風呂に入っているとき、バイト中などに、自分がみんなから注目される特別な存在になった時の妄想をよくしている。そのときの発想力は小説でも書けるのではないかと思うほどである。それほど、何歳になっても普通とは違う特別になりたい自分がいる。

最近、この気持ちに気づかされてくれた出来事があった。それは、久しぶりに会った友人が、ホストをやっていたという出来事だ。私が憧れていた特別な存在に、友人がなっていたのだ。もちろん驚いたが、それ以上にうらやましいと強く思った。その日以降、私の特別への憧れの気持ちは増していく一方だ。しかし、大学も卒業間近で、就職先も決まった今、何ができるのだろうと考えてしまう。この感情への回答になっているかは分からないが、ルービックキューブを揃えられるようになったし、カリンバで1曲演奏できるようになったし、noteも始めてみた。

この行き場のない特別というものに対する感情をどう解消すればよいのかまだ分からないが、有名な「何かを始めるのに遅すぎるということはない」という言葉が脳裏にちらつく生活はまだ続きそうだ。

終わり

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