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「愛してる」を愛したい

「愛してる」が似合う大人になりたい。

そう思い始めたのは高校生になってからだ。高校生になって初めて彼女ができたとき、「好き」と「愛してる」の違いを真剣に考えた。しかし、自分の中で明確な結論を出すことはできず、アニメやドラマでの「愛してる」という言葉にただただ憧れた。彼女に「愛してるが似合う大人になる」と宣言した時はなぜか笑われ、「愛してるの代わりに飽きるほど好きを伝えて」と言われてしまった。彼女は飽き性で、私が「好き」と言い飽きる前に、隣からいなくなってしまった。

人に好意を抱いたときに「好き」とは思うが、「愛してる」と思ったことはない。大学4年になった今でも違いが分からない。ただ一つ、「愛してる」の方が、大人っぽく、かっこいいということだ。もしかすると、この先の人生で「愛してる」という感情を持つことは一切ないのかもしれないとも思ってしまう。結婚したとき、子どもができたとき、孫ができたときなど、先のことまで考えすぎかもしれないが、「愛してる」ポイントはいくつか思いつく。その場での初めての感情が「愛してる」だった時、間違いなく涙を流す。

ここまでだと、「愛してる」に固執してると思うかもしれないがそんなことはない。「好き」と感じることのできる現在までにも大満足している。「好き」と伝えることも好きだし、相手からそれと同等、もしくはそれ以上の「好き」をもらったとき、計り知れないほどの幸せを感じる。
それほど「好き」は、私の大部分を占めている。

今、あの時の彼女にまた「愛してるが似合う大人になりたい」といったらどんな顔で何と言われるだろうか。昔からふざけるのが好きで、はっちゃけている私には似合わない言葉なのか。嘘でもいいから「似合ってるよ」と言って、あの時みたいに眩しすぎる笑顔で笑ってほしい。
そうしたら「愛してる」と思ってしまうかもしれない。


尾張


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