ぬかるみ
7月5日
最近noteを書けていなかった。それはきっと不幸な気分にならなかったから。不幸な気分でないというのは楽なもので、難しいことは考えず、今日の昼ごはんのことと友達に話したいことくらいぼぉと考えて、たまに仕事の愚痴とか頭の中で小さく軽く呟いて、それで満足になるみたい。不思議なものだ。あれほど何かを憎んでいた時もあったのに。今では世界の全てを知ってその全てを否定してやろうといった思いもどこかへ行ってしまった。今の私はあの頃の私からみて、きっととても腑抜けた面をしている。かつての誓いは余りにも簡単に解けてしまった。情けなくて仕方がない。
7月6日
出来れば誰とも話したくなんかないけれど、集団に適応できている素振りを演出する癖が染みついているから、薄ぺっらい笑顔を貼り付けてコミュニケーションを図ってしまう。終いには誰かと話したいような可笑しな欲求に駆られている。自分で映し出した虚像に錯覚を覚えている馬鹿な私。だけど自分だけを信じるには自分は余りに弱すぎるから、そんな愚かさを否定はできない。いつかはそんな本来どうでもいいことから抜け出して、何処か遠くで静かに暮らしたい。
7月7日
公共施設の玄関ホールに飾ってあった、七夕の短冊に記された願いを見ていたら、夢を追う少年少女たちの姿が浮かんできて微笑ましい気分になっていた。私がガールだった頃って七夕には何を願っていたんだろう。本気で焦がれた夢とか希望って今までの人生で何一つない気がする。夢を持たない私は前に進む理由なんて何にもなかった。未来を託す何かをいつも求めていた。それは今でも変わらない。
7月8日
自分が大嫌いな人ほど人に好かれているから、つくづく私は人から好かれる要素を持っていないんだなと思う。まぁいいけど。
7月9日
自分を肯定できたのはあなたがいた時だけだったと思う。あなたは私があなたにとってどのような存在であるのか教えてくれた。それだけが私にとって生きる意味であり、卑屈な自分を肯定する唯一の材料だったことを後になって知った。
人は結局他人との繋がりの中でしか自分の存在意義を見出せないものなのだ。19の頃の私のようにどれだけ強がろうとも。愚かな私はそれを知っているからあの頃よりは少しは愚かじゃないと思う。
世間知らずな19歳の脆さとか、向けられた愛情のこもった視線とか、今ここにないものばかりに強く思いを馳せて今日も床に就く。美しく感じるのは失くしたものばかり。
7月10日
ぬかるみのような日常へ戻る。
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