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アイドル50年史⑤1979、1980年

「石野真子とヤングマンと江夏の21球と」

1979年、高校受験を控えた中学3年となった私は、一向に身体は成長せず、なんと3つ年下の小学生の弟に身長を抜かれてしまい、変声期も迎えられず、しかしながら学力だけはクラスの男子ではトップという、そして競馬とか叡智の知識もさらに抜きん出てるという、客観的みて私は恐ろしい子供なので、まぁ周囲はここぞとばかりイジメるんだなと。

ただ、イジメる連中のレベルの低さも見透かしていたし、まぁ、これも「レクリエーション」の範疇ということで、よく全裸にされて嗤ってました。まぁさすがに5、6人に襲われたら抵抗はできませんが、弱い者を集団でイジメることを楽しいと思う人って、潜在的に割合は多いかもしれません。そもそも祖先が弱いものイジメして生き残ってきてその遺伝子を受け継いでいるなら、「そういうもの」なのかもしれません。

人を100%信じることは、身内でもできませんが、逆に信用度0%って人もいません。「腹減った」と「金くれ」くらいは信用できると思ってます。他者の信用度を数値化するクセとか、私の人格なのか性格なのか性癖なのか、まぁ確立されたのはこの頃でしょう。

ん?アイドルの話をせねば。

山口百恵は三浦友和と交際宣言をし、そしてその後婚約から結婚&引退のレールが引かれることとなり、森昌子は完全に実力派の演歌歌手に転身。桜田淳子も歌手ではなく女優業にシフトし始め少なくともアイドルの面影は無くなりました。ピンクレディーのブームは去り、キャンディーズも解散して居なくなり、天地真理、麻丘めぐみ、南沙織はどこに行ったのか?浅田美代子もこの時期は吉田拓郎夫人で燻っていたか。小柳ルミ子と岩崎宏美と太田裕美は実力派歌手で出世していました。伊藤咲子と松本ちえこはいつの間にかいなくなり、アグネスチャンは留学してしまいました。

というわけで、この年、アイドルとして紅白歌合戦に出たのは、石野真子と榊原郁恵ってことになるかな。高田みづえもアイドルでは無くなってたかな。

翌年、アイドル界は新しい風が吹き荒れます。そして、石野真子と榊原郁恵もこの風に持ち応えることが出来なくなるのですがね。

ただ、この年に限ってはこの2人がツートップだったと思います。

しかし、このお二方、今でも芸能界に第一線で生き残っておられるのは、大変素晴らしいです。

この年のレコ大はジュディ・オングの「魅せられて」。西城秀樹の「ヤングマン」は、当時は洋楽のカバーバージョンは対象外ということで、レコ大ではなく「日本歌謡大賞」の方を受賞しました。最優秀新人賞は桑江知子の「わたしのハートはストップモーション」が竹内まりやの「September」を抑えて受賞しました。

私が選ぶこの年の「アイドル代表曲」は、石野真子の「ジュリーがライバル」です。翌年、高校の弓道部の新歓コンパの時に「愛の水中花」とともに歌って見事に笑いを取れたので、代表曲とさせて頂きます。石野真子は今の方が私は結構好きです。年を取ってからの方がいいなと思うアイドルはこの人と原田知世かな。年を取って「も」いいなと、思うのは岡田奈々と南野陽子です。

野球界は「江夏の21球」で広島カープが初めて日本一になった年かな。実は半分「自作自演」のような気もするのですが、でもなぁ佐々木恭介、初球の甘い球には手は出なかったのかな。福山雅治の嫁の父も当時ベンチにはいたか。

高校野球は箕島高校の春夏連覇の年でしたかね。浪商のドカベン香川も話題になりました。投手のグラブをかすめてバックスクリーンに突き刺さるホームランが印象的でした。にしても星稜高校、ファールフライ落としたのはその前の「隠し玉の呪い」かもしれません。

で、私は高校受験を控えていて、「オールナイトニッポン」聞きながら勉強していたっけなあ。

「新時代到来と、ボイコットと王貞治引退と」

大場久美子が「歌手引退」して女優業に専念することになった1980年。これを機にアイドルの勢力が塗り替わり、いや、そこではなく、山口百恵の引退した年ですね。

大場久美子にもし、「歌唱力」があったらこの時代のアイドルの頂点に立てたかもしれませんが、浅田美代子しろ、この「歌唱力度外視アイドル」って、結構侮ることはできず、その後の女優業などでかなり活躍されています。つまり、歌唱力なんかなくても輝ける要素が非常に多いのではないかと。

「ポスト山口百恵は誰だ?」と、囁かれている中で、一気に天下統一したのは松田聖子でした。

石野真子は長渕剛との結婚を控え、榊原郁恵や高田みづえはアイドルというよりお茶の間人気って感じになってきて、いわゆる松田聖子の「先輩」にあたるアイドルは一気に居なくなってしまった感がありました。

そして「聖子ちゃんカット」とか「元祖ぶりっ子」とか、いわゆる社会現象ってところまで行きついたのかなあと。またその「青い珊瑚礁」って曲は、最初の出だしの「アー」でファンの心を掴んだと思います。この年の同期デビューは、河合奈保子と柏原芳恵がいます。

この年のレコ大は八代亜紀の「雨の慕情」、最優秀新人賞はたのきんトリオの田原俊彦の「ハッとしてGood!」でした。松村和子の「帰って来いよ」もいい曲でした。

男性アイドルも、「たのきんトリオ」が全ての先輩アイドルを飲み込みました。郷ひろみだけがトップで残ったのかな。西城秀樹と野口五郎の勢いは無くなってきました。が、この方々は歌が上手いとかタレントのクオリティが高いのでまあむしろ「大御所」に向かって行ったような気がします。気の毒なのは、太川陽介、渋谷鉄平、川崎麻世、草川佑馬あたりでしょうか、「レッツゴーヤング」の常連の黄金時代が近いかと思った矢先に、「たのきんトリオ」に持っていかれました。女性歌手も、北原佐和子、天馬ルミ子、倉田まり子、西村まゆ子、甲斐智恵美あたりが、松田聖子世代にとって代わってしまったかなあと。

この年、我が国においては、モスクワオリンピックへの選手派遣をボイコットしてしまい、男子マラソンの瀬古利彦がもし出ていたら私は間違いなく金メダルだったと思っています。チルピンスキーが連覇するんだったら、瀬古と宗兄弟で表彰台独占もあったんじゃないかと。あとは女子バレーボールも、日立最全盛期のメンバーを中心に、危なげなく金メダル取れたんじゃないだろうかと。

そして、王貞治引退。通算本塁打は868本で打ち止め。通算打率3割にこだわらなければ、あと2年くらいやって、なんならロッテか日本ハムあたりに移籍してくれれば900本は越えたんじゃないかと。最後の年も30本打っているし、パリーグなら指名打者とかあるしって、まあそれはないだろうな。

あ、当時の私は高校1年生で、なんか知りませんが弓道部に入ることになってしまい、そのことで無職の父親に執拗に嫌がらせをされていた時期でもありました。で、そんな私の心を癒してくれたのが岩崎宏美の妹の岩崎良美のセカンドシングル「涼風」でした。デビュー曲の「赤と黒」とか、レコ大の新人賞にノミネートされた「あなた色のマノン」も好きでしたが、この「涼風(すずかぜ)」の「優しい人、心に涼風そよいでる」のフレーズが刺さり、「いつも心に涼風を」と念じで日々を過ごしておりました。が、高校生活も心に「涼風」どころか「暴風」しかありませんでした。大人になって「風俗」という最高の「風」に巡り会えたこととは一切関係ありません。

ただし、この年のというか前年またぎになるんですが、私の代表曲は石坂智子の「ありがとう」です。どんなことがあっても「この時代にありがとう」って、今は言えています。歌詞も好きなんですが、この歌詞にはこの人の声しかマッチングしません。そうですね小坂明子の「あなた」は他の人が歌っちゃダメというような感じで。

松田聖子の登場で、アイドルのカラーも何となく変わったんじゃないかという感じもしたんですが、それは自分もだんだんと成長してきたから捉え方とか違ったきたのかなと。高校1年生の後半でようやく身長が伸び始めてきました。

GOOD LUCK 陽はまた昇る
くずぼしいってつ






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