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プロ野球シミュレーション「最初から巨人江川」第9球「リリーフエース」

表題のフレーズが世間一般的に認知されつつあるのが、1978年からでしょうか。てか、このフレーズを私が認識し始めたのは「コロコロコミック」で連載されていた「リトル巨人くん」だったと思います。その、「童夢くん」がかなりメジャーになって、この「リトル巨人くん」が霞んでしまったんですが、このフレーズは確かこの頃あたりに出てきて、この漫画の主人公がジャイアンツのリリーフエースでどんな活躍をしてたかはよく憶えておりません。

今回は江夏投手の話をするので前置きがダラダラしてしまったのですが、南海ホークスが江夏投手を放出したのがあまりにも勿体ないと、いくらノムさんと揉めて親派の江夏を追い出したいという事情はあるにせよ、これがどれだけ弱体化につながり、広島カープの黄金時代を築いたか、まあ私がみた典型的な「後の祭り」ってのはこのことを言うのだろうと。

でその1978年、江夏は「金銭トレード」という形で広島カープに移籍したんですが、南海もカープから衣笠とか水谷とかもらってこいよと、いやいやその「リリーフエース」ってのをどうしてミスミス手放すようなことをするんだよと。まあ金城投手が引き継いでそれなりの活躍はされたんですけどね。

ノムさんの「革命」ってのが、投手と野手の分業化とか、データ野球とかがあるようなんですが、これらを発案したのは当時の南海コーチで後に阪神の監督もやったブレイザーさんではないのかという説もあるようですが、

確かにこの分業化が革命であることは間違いなく、それが証拠に広島カープが最初にセ・リーグで導入したおかげで2年連続優勝を果たしたというのがあります。

あ、でも1978のセ・リーグ優勝はヤクルトが球団創設29年目にして初制覇となり、日本シリーズも阪急に勝って日本一になっています。シリーズ最後の試合が上田監督の抗議で一時間半くらい中断したんですが、そこが歴代最高視聴率ということになっております。

広岡監督、森ヘッドコーチという「元巨人冷遇され組」で優勝したんですが、これが後年西武ライオンズの時よりもそんなに「管理野球」って感じはしませんでした。

そして、この年、一年「浪人生活」を過ごした江川投手が、例の「空白の一日」を使って巨人入りを画策し、これが連盟に認められず、巨人がドラフトをボイコット。で、コミッショナーの「強い要望」により、ドラフトで江川を指名した阪神と交渉し、当時の巨人のエースの小林投手とのトレードが成立という、ワイドショーがメシウマな話題で大いに騒がれたのか盛り上がったのか。

当時、中学生の自分への教訓として、「正義はひとつではない」ということを学んだということで、「正義は必ず勝つ」のではなく、「正義は必ず負ける」ということをさらに人生を重ねて確信するようになりました。

まぁ、1978年のプロ野球界の話題はヤクルトの初の日本一がこの「空白の一日」に全て吹き飛ばされた感じです。

私はこの件に関しては、そもそも「空白の一日」の拡大解釈をジャイアンツがやったというのに、というかむしろこれを一番やってほしくない球団がこういう「こじつけ」みたいなことをしたのが見苦しいと思ってました。

結果として、小林投手がトレードされた年に阪神で最多勝の22勝して、さらに江川も翌年は最多勝して巨人のエースになったので、まぁ上手い具合に収まってはいるんですけど、やはりこれは「やったらアカンやつや」と今でも思ってます。

しかし、野球選手は成績さえ残し続けていれば他はどうだっていい、というのも一方で思ってます。

では、1978年のシミュレーションに入ります。

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