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一人ひとりが覚醒すれば地方スーパーは甦る

 もうチェーンストア理論を祭り上げることをやめませんか。最後の牙城・ヨーカドーも“物言う株主”から、スーパー部門を売却もしくは分離することを突き付けられています。チェーンストア理論はすでに破綻しているのです。地方スーパーが目指すのは、会社の中に会社を作り、“強い個店”を作ることなのです。

 チェーンストア理論は元々、アメリカで生まれた経営手法です。あらゆる企業活動を本社に集約させ、店舗はオペレーションに専念することで、経営効率の最大化を目指します。この理論を活用すれば、仕入れをコントロールし、お客のニーズにマッチした商品や適正なコスト、品質の維持などが実現すると考えるからです。

 ところが、アメリカと日本では事情が異なります。アメリカの一般的なスーパー売場には農産物とミート、グロサリーがメインで、高級スーパーにしかシーフードはありません。デリカテッセンはレストランで購入するもので、デリカテッセンを扱っているスーパーは少数派なのです。また、農産物は、プロデュースと呼ばれ、効率化のためには、遺伝子組み換え種子と化学肥料、農薬が規制の範囲内であれば躊躇なく使われます。農産物は、畑という工場で作られる工業製品なのです。

 日本では、農家が丹精込めて作った多種多彩な農産物が並びます。食べる人が笑顔になるように農薬は最小限に抑えながら手をかけ愛情をこめて栽培しています。果物は、ギリギリまで樹や畑で完熟させたものを出荷することを心掛けている農家も多いのです。高級ブドウ・シャインマスカットはもはや芸術品です。

 精肉売場には、かつては高級割烹でしか扱われなかったA5和牛が並び、鮮魚売場では養殖の本鮪に加えて天然本鮪、ハタ、甘鯛などの高級魚、ブランド牡蠣が並びます。惣菜売場では、インストア加工の揚物、焼物、弁当に加え、立ち寿司や割烹の寿司に引けを取らない寿司が並びます。グロサリーはナショナルブランド(NB)の扱い比率を低め、御当地メーカーの商品がゴールデンゾーンに並びます。

 「五行(ごぎょう)思想」に例えると、青果を「木(もく)」、精肉を「火(か)」、グロサリーを「土(ど)」、惣菜を「金(ごん)」、鮮魚を「水(すい)」になります。「五行思想」とは、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説です。

 「木」は、春の象徴。木の花や葉が幹の上を覆っている立木が元となっていて、樹木の成長・発育する様子を表します。瑞々しい葉物、カラフルな果菜がイメージされ、青果の象徴でもあります。

 「火」は夏の象徴。光り煇く炎が元となっていて、「火」のような灼熱の性質を表します。肉は「火」を通して食べます。だから精肉の象徴でもあるのです。特に「火」の象徴・赤は、羊肉のイメージに直結します。

 「土」は、季節の変わり目、「土用」の象徴。植物の芽が地中から発芽する様子が元となっていて、万物を育成・保護する性質を表します。牛から牛乳、バター、豚からはソーセージ・ウィンナーなどが加工されます。したがって、「土」は一次加工品・グロサリーの象徴でもあるのです。

 「金」は秋の象徴。土中に光り煇く鉱物・金属が元となっていて、金属のように冷徹・堅固・確実な性質を表します。野菜や肉を調味料などグロサリーで2次加工したものが惣菜です。「金」は惣菜の象徴でもあるのです。

 「水」は冬の象徴。泉から涌き出て流れる水が元となっていて、これを命の泉と考え、胎内と霊性を兼ね備える性質を表します。動物の骨(「金」)を削ってできた釣り針で魚が釣れます。「水」は鮮魚の象徴でもあるのです。

 「木」から「火」が生まれ、「火」から「土」が生まれます。さらに「土」から「金」が生まれ、「金」から「水」が生まれます。そして「水」は「木」を生むのです。この関係を「相生(そうせい)」と言います。

 一方で、「水」は「火」を虐め(水が火を消す)、「火」は「金」を虐め(火が金属を溶かす)、「金」は「木」を虐め(斧が木を切る)ます。さらに、「木」は「土」を虐め(木の根が土に割り込む)、「土」は「水」を虐める(土塁が水を堰き止める)と言うのが「相克(そうこく)」です。

 青果店(「木」)が肉(「火」)を販売し始め、食用油やパン粉、小麦粉、ソース、玉子などグロサリー(「土」)を扱う。さらにコロッケやメンチカツ、ポテトサラダなど惣菜(「金」)を手掛ける。さらにお客の要望から魚(「水」)を取り扱うのです。

 「五行」が揃うことでスーパーが日本型のスーパーが完成します。なぜ日本型かというと、アメリカのスーパーは食料品と雑貨(グロサリー)のチェーンストアが発祥だからです。日本のスーパーの発祥は個店です。祖業である青果店、精肉店、鮮魚店がラインロビングとしたものです。乾物店、酒店、洋品店、雑貨店などから派生したものもあります。

 日本は多民族国家です。もともと魚を獲って暮らしていた海人(うみんちゅ)である縄文人に、稲作で食料を自給し、集団で定住する弥生人、北方の騎馬民族と一緒にやってきて、土木工事や製鉄を主な職能とする古墳人、さらに発酵と醸造の知識と技術をもったシルクロード由来の渡来人などです。

 聖徳太子は争って支配層と被支配層に分断化するのを懼れました。「和をもって貴しをなす」とは、これら価値観や信仰、生活様式の異なる多彩な民族が列島で暮らしていくには、武力衝突して勝ったものが支配層、敗れたものが被支配層と階級を作るのではなく、天皇のもと、すべての民が平等で、争わず、和を大切にすること、お互いに納得がいくまでしっかりと話し合いをおこなうことを国造りの根幹にしようとしたからです。

 放っておくと、青果(「木」)はグロサリー(「土」)を虐め、グロサリー(「土」)は鮮魚(「水」)を虐め、鮮魚(「水」)は精肉(「火」)を虐め、精肉(「火」)は惣菜(「金」)を虐めるからです。

 青果とグロサリーはともに店舗の中でも広いスペースをとる分、スペースの奪い合いになります。グロサリーは仕入れたものを並べるだけで作業工程数が少なく生産性が高いのですが、鮮魚は魚をおろして刺身にするなど作業工程数が多い分生産性は悪くなります。

 晩ごはんのメインディッシュが魚と決まると肉は出る幕がなくなります。精肉は惣菜にスライス肉やミンチの提供を拒みます。手間がかかり面倒だからです。

 チェーンストアは部門別管理を原則とします。店舗は、本部が仕入れた商品を、本部が指定したマニュアル通りに商品化して、指定した売価で販売することを強いられます。店独自の企画に変更したり、店が勝手に仕入れることは許されません。

 どの店舗も金太郎飴と同じ。これはチェーンストアのメリットでもあり、デメリットでもあるのです。スーパーの成長期ならそれでよかったかも知れません。日本の食品スーパー1号店は、1953年(昭和28年)11月に開業した紀ノ国屋(東京都)といわれています。あれから69年。チェーンストアの役目は終わり、スーパーは「進化した専門店の集合体」となって新しい生命を得るのです。

 チェーンストアでは本部と店舗の関係は、「作」と「演」です。優秀な「作」と優秀な「演」により、商品と販売の関係は一体となり素晴らしい売場が完成され、数値効果を高めます。ところが実際は本部が書いた駄作の台本(「作」)を店舗という大根役者が「演」じているのです。

 「進化した専門店の集合体」で重要な役割を演じるのが「店長」です。「店長」は「ミニ経営者」として、採用や人員配置を含めた「大幅な裁量権」が与えられます。従業員にも、「お客が喜ぶことであれば、上司の決裁を得ずとも何をしてもよい」という裁量が与えられます。

 それが、従業員のやる気を引き出し、新しいことにどんどん挑戦する土壌を築きます。新しいことをすれば、新しいお客を引き寄せます。そのお客がその商品や接客に感動すれば、必ずリピーターになってくれます。リピーターが増えることによって、結果として、数値効果が高まるのです。

 部門長は、店長の要望に応じて仕入れ先の開拓や商品の開発を行います。成功事例ができたらそれを横展開し、情報を共有化するのです。部門長は店長のスタッフに徹します。

 「店長」は、青果(「木」)は精肉(「火」)を思いやり、精肉(「火」)はグロサリー(「土」)を思いやり、グロサリー(「土」)は惣菜(「金」)を思いやり、惣菜(「金」)は鮮魚(「水」)を思いやり、鮮魚(「水」)は青果(「木」)を思いやるという「相生」の流れを潤滑化します。

 そして、鮮魚(「水」)が精肉(「火」)を虐めること、精肉(「火」)が惣菜(「金」)が虐めること、惣菜(「金」)が青果(「木」)を虐めること、青果(「木」)がグロサリー(「土」)を虐めること、グロサリー(「土」)が鮮魚(「水」)を虐めることが「相克」ですが、「相克」を超えて「調和」させるのが「店長」の責務なのです。

 会社の中に小さな会社を作ることをアメーバ経営とか「PC(プロフィットセンター)化」と呼びます。他部門を活かすことが自部門を活かすこと(「共生」)、異質なもの同士が一体不離となって新しい価値を作り出すこと(「調和」)、すべての人に見返りを求めない無償の愛を注ぐこと(「絶対愛」)こそ、地方スーパーを甦らす「キーワード」なのです。

 そう、地方スーパーは、「愛と調和の時代」に向かっているのです。

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