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リーダーシップとは「やり方」ではなく「在り方」

 組織は、トップひとりで99%で決まると言われます。ほとんどの経営者は「トップが全知全能のゼウスになる」ことだと勘違いしています。ゼウスは、ギリシア神話の主神たる全知全能の存在。ローマ神話のジュピター、中国神話の天帝、キリスト教やイスラーム等の唯一神です。

 創業者はすべて自分で決め、自分で実行してきたから「ゼウス」ですが、「二世」は「ゼウス」ではないのです。生まれたときから、お店があり、番頭さんがいて、お店の「信用」もあります。ペコペコと頭を下げてくれる取引先もいるのです。「二世」がいなくても会社そのものは回ります。ところが、「トップは全知全能でなければならぬ」というプレッシャーから、自らの思い付きや研修講師などの受け売りでトップダウンで指示を出します。

 現場は混乱をします。古参の番頭さんは、「若(二世)には言いたいこと言わせておけ。どうせやるのは俺たちなんだ。そのうち諦めるさ」と若手を諭します。某老舗家具店の父娘ように職人の技を活かした高品質家具の会員制販売を継続しようとした父親に反旗を翻し、ニトリやイケアなどSPA企業と同じ土俵で勝負する「低価格路線」をとった娘は会社の業績をさらに悪化させます。その後、すべての役職を辞任し、会社を追われます。

 「二世」に求められるのは、「やり方」ではなく、「在り方」なのです。「在り方」とは何か。それは、「素直」で「勉強好き」であることです。「素直」とは、自分の知らないことを否定しないことです。「勉強好き」とは、知らないことを知ることが好きになることです。

 「素直」でない「二世」は、自分の知らないことを否定し、時流の変化に後れを取ります。「そんな商品売れるわけがない」「食糧危機がくる。それは陰謀論だ※陰謀と陰謀論は違います」という類です。リーダーの「在り方」が業績の明暗を分けます。これは私の経験から得た真理です。

 「勉強好き」でない二世は、本を読まないことです。「人生の目的は何か」「なんのために働くのか」「なぜ人間は生まれて死ぬのか」答えを出す必要はありませんが、いろんな哲人の考えに触れることが、人格を高めます。人格は「相」に出ます。「社長のそばにいると温かくなる」「社長の姿を見ると安心だ」と言われるようになるのです。

 トップの意向に反したことは、うまく行きません。それは、トップが「成功しないことを望んでいる」からです。成功したら、自分の存在が否定されるというちっぽけな虚栄心からです。そういった企業は、優秀な従業員から去っていき、時流からも取り残されて消えていくのみです。

 リーダーシップとはリーダーシップとはリーダーシップとは、「やり方」ではなく、「在り方」なのです。「やり方」は、優秀な従業員に任せればいいのです。「在り方」とは、従業員の精神的な支柱になることです。欧米型マネジメントは、「やり方」を追求します。結果が出せなければ、トップは退任させられます。会社は株主のものであり、従業員は株主のために利益を生み出す「奴隷」なのです。

 一方で、日本型経営は、会社はだれのものでもありません。株主だけでなく、従業員、取引先、地域、社会のものなのです。そして従業員は「奴隷」ではなく「家族」です。「家族」だったら、リストラや解雇はあり得ません。困っている家族がいれば、皆で助け合うのです。過去にどんなことがあっても許し合うのが家族です。

 このところ、地上波のCMは転職サイトとM&Aを斡旋する会社がほとんどです。金融機関も無理やりM&Aを取引先に強いります。コロナ禍とあらゆるコストアップで企業が疲弊しているときに、「新陳代謝」を促す輩(やから)は「国賊」です。

 日本的リーダーシップの要諦は、リーダーの「在り方」です。リーダーが部下の精神的支柱になることが部下の発奮を促すのです。トップダウンで指示を出しておきながら、うまく行かなかった場合、リーダーは頬被りしてその場を立ち去り、責任を部下に押し付ける。二階に上げておきながらから梯子を外されたのでは部下は一瞬にしてやる気を失います。部下一人ひとりを「見守る」ことこそリーダーの「在り方」なのです。

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