見出し画像

読書#9-1「21 Lessons」著:ユヴァル・ノア・ハラリ

どんな本?

その目的は、さらなる思考を促し、現代の主要な議論のいくつかに読者が参加するのを助けることにある。

21 Lessons

 「サピエンス全史」、「ホモ・デウス」というベストセラーを書いた歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ。その次作が「21 Lessons」だ。

 などと煽ってみたが、私はどちらも読んだことがない。「サピエンス全史」は買ったというのに、まだ開いていない。どうせならばそちらから読めばよかった。しかし、先に手をとったのが、こちらの本だったのだから仕方がない。本との出会いとは往々にしてそういうものだろう。

 ただどんな本かと問われると、返答に窮する。というのも、作中には結論らしい結論はない。書かれているのは、現代社会における問題と、その考察。

  1. テクノロジー面での難題(幻滅、雇用、自由、平等)

  2. 政治面の課題(コミュニティ、文明、ナショナリズム、宗教、移民)

  3. 絶望と希望(テロ、戦争、謙虚さ、神、世俗主義)

  4. 真実(無知、正義、ポスト・トゥルース、SF)

  5. レジリエンス(教育、意味、瞑想)

 本の中での章タイトルだが、正直、タイトルからだと何が書かれているのかわからないだろう。そもそもテーマがざっくりとしていて、何か、こう、きっちり分類したというかんじではない。宗教と神が、別の章タイトルに含まれているのも意味わからない。

 何か、気になることをつらつらと連ねていって、この話になんて名前つけようかな、ってかんじで考えたタイトルな気がする。テーマがあって、そのテーマについて語ったかんじではない。

 だからだろうか。書かれている内容はあまりに濃い。知識と思考の濁流といったかんじだ。話が時間と場所を越えていろんなところに跳んでいき、過去と未来がどのようにつながるのかを解いている。

 読む分にはおもしろいが、この本に書かれている内容を理解するには、私は無知過ぎる。そう思うことを予め知っていたかのように、第4章で、無知という項目が出てくる。

もうたくさんだ、とても手に負えないという執拗な思いが頭に残ったとしたら、あなたはまったく正しい。すべて処理できる人など、いるはずもないのだから。

21 Lessons

 あら、そう。なら、いいかしら。

 そうやって思考を放棄してしまいたくなるくらいに、この本の内容は濃い。ただ、だからこそ、知りたいという欲求も同時に沸いてくる。二度三度と読んで、著者と問題意識を共有したい。

 少なくとも私はそう思った。

 頭がパンクするような体験をしてみたいという方にはオススメの一冊。

気づき(テクノロジー面での難題)

 分量が多いので分割する。5個くらいかな。

AIによる雇用の喪失

たとえば、自動運転車が人間の運転者よりも安全で安上がりであると判明した後でさえ、政治家と消費者は、自動運転車への移行を何年も、ひょっとすると何十年も妨げるかもしれない。

21 Lessons

 仕事には肉体労働と知能労働がある。肉体労働は、ロボットによって多くが置き替えられた。これからもさらに置き換えられていくことだろう。さらに、唯一独占してきた知能労働が、今、AIに置き換えられようとしている。

 まだそのときではない。ただ、2050年という中長期のスパンで見れば、肉体労働がロボットに置き換えられた際の再現が見られることだろう。

 既に単純な事務などは自動化されつつある。さらにその範囲は広がるだろう。もしかすると音楽や絵画などの創作にまで及ぶかもしれない。そうしたとき、大量の雇用が失われることになる。

 人は、その対策を行っているか?

 今のところ、どこの誰も解答を持っていないだろう。

 おそらくありそうな解答は先延ばし。章の頭に引用したように、AIの有用性が明らかになった後であっても、AIの導入を妨げ雇用を守る。日本などは間違いなくこの方向性に違いない。uberが日本に導入されなかったのは、まさしくこの実例だ。

 しかし、弊害がある。AIを導入した国に対して技術レベルが大きく後退してしまうことだ。日本はAIを鎖国することによって、また世界に取り残される未来が容易に想像できる。黒船は、いったい何になるのだろうか。

国民投票は感情にまつわるものだ

アインシュタインが代数学的な処理をきちんとこなしていたかどうかを全国的な投票を行って決めたり、パイロットがどの滑走路に着陸するかを乗客に投票させたりするようなものだ

21 Lessons

 これは私も勘違いしていたのだけど、国民投票とは合理性を問うものではなく、感情を問うものだったのだ。

 納得いかない人もいるだろう。そういう人は、ちょうど引用のような不満をもっているのではないだろうか。引用は、国民投票を批判する際に使われた言葉だ。

 たしかにずっと不思議だった。どうして、政策の決定権が政策の素人にあるのだろうか、と。これは国会議員のことを指している。彼らを非難しているわけではない。そもそも制度として、政策の素人が立候補できるようになっているのだから、政策の素人を政策の決定者に選ぶ仕組みなのだ。

 合理性を追求するのならば、政策を勉強した者、つまり専門家が担うべきである。しかし、民主主義では合理性よりも意思決定を重視した。そこで、感情を問う投票がシステムとして用いられている。

神ー>人間ー>AI

 間もなく、権限は再び移るかもしれない――人間からアルゴリズムへと。

21 Lessons

 主導権は、神から人間に移り、同じようにAIへと移るだろう。というのが著者の見解だ。主導権というより、人を支配するシステムが移行したと考えるべきか。昔は神で、次は民意で、そしてAIがへと。

 アルゴリズムが人を支配するというと恐怖を感じるかもしれない。しかし、実際には感じることなどないだろう。私達が気づかないように、賢く、私達の行動を誘導してくれるからだ。

 既にその兆候はある。アマゾンなどを使用する際に、オススメで出てきたものを購入しないだろうか。NETFLIXで映画を見るとき、自然とピックアップされたものを見ていないだろうか。

 私達のデータは収集され、そしてカスタマイズされた商品が選ばれる。このとき、私達は自分で選んだのだろうか。それとも選ばされたのだろうか。もしも選ばされたのだとしたら、既にアルゴリズムに支配されている。

 今はまだ収集されるデータは些細なものだが、この先、バイオメトリックデータは多くなっていくだろう。そのとき、私達はもう何も自分で決めることはなくなっているかもしれない。

 この未来は、もはや止められないと私は思う。それは止めようがないからだ。国が規制を入れようがない。そもそも気づかないかもしれない。ただただ、技術の進歩によって達成される。

 そのことに気づかない方が幸せなのではないと、密かに思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?