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読書#24-1「世界の起業家が学んでいるMBA経営理論の必読書50冊を1冊にまとめてみた」著:永井孝尚

どんな本?

私たちがビジネスで出会う悩みの多くは、世の本にすでに解決策が書いてある。

世界の起業家が学んでいるMBA経営理論の必読書50冊を1冊にまとめてみた

 要約本である。

 題名を読めばそんなことは明らかだ。しかしながら、表紙はやたら頭よさそうに作られており、なんかすごいとっつきにくい感じになっている。

 だが、繰り返すが要約本である。つまるところ、小難しくて長々と書かれているビジネス書を読むのがめんどくさい、けれども、そのエッセンスだけは知っておきたい、また、知ったかしたいという怠け者向けに書かれたわかりやすい本なのだ。

 と、まぁ、ややディスっているような書き方になってしまったが、決してこの本の評価を下げようというものではない。上記は、読みやすい、ということを言いたかっただけだ。

 実際、要約本として、この本はよく書かれている。カテゴライズされているし、アイテマイズされているし、何より図がわかりやすい。

 あぁ、なるほど、こんなかんじのことが書かれているのかとざっくりと理解するにはちょうどいい。詳しく知りたければ紹介された本を読んでみたらよい。

 ちなみにMBAとは、おそらくMaster of Business Administrationのことで、経営学修士のことらしい。なぜこのタイトルなのかは謎だ。

気づきは?

マズローの欲求について

自己実現の欲求は、自分の存在価値のために脇目も振らずやり続ける。そもそも欠乏やモチベーションとは無関係なのだ。

世界の起業家が学んでいるMBA経営理論の必読書50冊を1冊にまとめてみた

 モチベーションとは欠乏欲求から生じるものだ。欠乏欲求とは「腹が減った」とか「褒められたい」とかの足りない欲求のこと。

 そうではなく存在欲求である自己実現の欲求は、ありたい自分を実現するために実行されるものだという。

 ふむ。わからん。

 字面だけ見ると、なるほどなー、自己実現だよなー、すばらしいよなーと思うけれど、実際のところ、自らの中にある数ある欲求を取り上げたとき、それらがどちらに分類されるかと聞かれると怪しい。というよりも、できない。

 それは、私の中にあるのは基本的に欠乏欲求だからだ。生理的な欲求と承認欲求。そうではなく、ありたい自分を達成する欲求。何それ?

 言い換えると自己満足ということだろうか。誰かに認められることではなく、自分で承認することができること。それが自己実現の欲求。

 自己満足というのは、しばしば貶し言葉として使われる。私もこの言葉にいい印象を持たない。なので、ポジティブな言い方にして、存在欲求とか、自己実現の欲求とか、自己肯定感とか言うのだろうか。

 なぜ、自己満足という言葉に否定的な印象があるかといえば、成長と結びつかないからだ。現状の自分に満足しているため、次への成長がない。

 とすれば、自己実現の欲求とは異なる概念かもしれない。自己実現の欲求とは、ありたい姿になりたいという欲求。ならば、現状の自己は否定されなければならない。とすると、同義語は自己否定のような気もする。

 自己実現の欲求が、自己否定からくるのであれば、やはりそれは欠乏欲求なのではないだろうか。

 ふむ、やはりわからん。

自分が間違いを認めるのって難しいよね

「自分は間違っているかもしれない」と想定し、事実にもとづいて考え、検挙に学び続ける

世界の起業家が学んでいるMBA経営理論の必読書50冊を1冊にまとめてみた

 自分の間違いを認められない人は多い。とくにプライドの高い者には多く、政治家や実業家はもっぱらこのタイプではないかと思われる。

 対立した意見だったらわかる。あぁ、どっちも正しいよね。うん、ちょっと折れられないかなって。でも、単純な事実について誤認しても、それを訂正できない人はいる。

 私もやっていないか不安だ。

 どちらかというと、私は「自分の行動はすべて間違っている可能性がある」と思ってしまう性質である。これはこれでものすごい生きづらい。常に不安が付きまとう。なぜなら間違っているかもしれないからだ。

 最後の最後までチェックして、それでもチェックしている自分がやはり間違っているかもしれないから不安は消えない。(そもそも本当に間違いが多いのも問題だ。誤字脱字とか)

 自分は間違っていないと思って自信満々に生きるのと、自分は間違っているかもしれないとびくびくして生きるのとどちらが生きやすいかは明々白々だ。

 まぁ、これは極端な話で、おそらくいい塩梅でやれよということだろうが。

問題発見のために仮説を立てよ

日本人は問題が明確なときの問題解決力は超一流だが、問題発見能力が低い。

世界の起業家が学んでいるMBA経営理論の必読書50冊を1冊にまとめてみた

 この議論は昔からよくなされている。日本人は問題発見能力が低いと。これに関して、私はいささか疑問がある。

 なぜ日本人だけ問題発見能力が低いのか?

 よく言われているのは、学校教育の問題。学校では問題解決能力を高める訓練しかやっていない。そのため、日本人の問題発見能力は鍛えられていないと。

 しかし、本当にそうか? そもそも海外では問題発見能力を鍛えるトレーニングなんて本当に積んでいるのか? 海外の授業風景というものを何度か見たことがあるけれど、日本とそれほど違うとは思えない。(大学などの研究機関においては別だ)

 一点、あるとすると、日本人はルールを守るのは得意だが、ルールを作るのは苦手だ。これは気質なのだろうか。ルールが気に食わなかったとき、我慢するか抜け道を探す。自分でルールを変えようとは思わない。

 この点、海外ではどうなんだろう。そういう機会がルールメイカーとなる機会が多くあるのだろうか。アメリカなんかでいえば契約社会だ。日本なんかよりもよっぽどルールが絶対の社会である。一方で、契約を、ルール作成を日常的に行っているともいえる。

 ルールが絶対だという意識があるからこそ、そのルールが機能すべくメンテナンスする。そこに視線が向く。しかしながら、日本ではルールは従うものであり、変えるという視点がない。もしも日本人の問題発見能力が低いとしたら、この領域にある問題の発見能力が低いのではないだろうか。


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