落書きだって生きている

小学生の頃などを思い出しながら見て頂けると幸いです。

自分で言うのもなんですが、私は幼い頃より紙があれば何か描いているような今とあまり変わらない「絵を描くために生まれてきた子」でした。

でも、それは周りの他の子達と同じでしたよ。

説明のためにここでちょっと私が小学生の頃に習ってから今でも好きな人を例に挙げて見ます。
それは金子みすず先生の「私とすずと」です。その文から自分流に言わせると・・・
「私は絵を描くことは出来るが、周りの子は私のように絵を描けない。
周りの子にはスポーツが出来るけれども、私は周りの子のようにスポーツが出来ない。」と言うことになるのです。

つまり、私には得意なことがあるがそれ以上に人より劣っている物がある(例えばスポーツ)。
それと同じように周りの子も得意なことがあるけれども皆、其々に不得意分野があるのだと言う事です。

小学生の頃、私はスポーツがあまり得意な子ではありませんでした。
サッカーではパスを受けても仲間へ渡していく事よりも周りの敵を躱していくので精一杯で体育科目ではいつも足を引っ張っていた。
そんな苦手分野をカバーする物と言えば精々勉強か、絵を描く事、あとは絵本を音読したり声優の声のモノマネ(もれなく似てない)と言ったこと。

当時は何を描いていたかは忘れたが私は教科書に挿絵などの背景とは無関係な落書きを鉛筆で描いていた。

描いていると手の甲が鉛筆の芯で黒ずんだりして「尾崎くんは皆と違って図工の授業受けていたのかな?」と後で先生から怒られた(当然の事だが)

でも、満足のいく絵を描けていたのか当時の自分はニッコニコの表情を浮かべた様に思える(今振り返ると本当私は手のかかる不良生徒でした)

教科書に描いた絵に自分の声をあてて、それをパペットではなくとも劇に展開する事もしました。

絵に声をあてて周りに発信していく事。即ち、絵に命を吹き込むと言った行いをしてきた。好きな科目は真面目に黒板見て受けるよりも、一人だけで考える事をしてきたが、唯一体育という科目だけはどうにもならず四苦八苦していたがその分家に帰って部屋にこもって一人劇を公演していた。

あの頃描いてきた教科書の中の生き物たちの命は今でも残っており、私が声を入れてみると当時の生気を吹き返してくれる事に違いない。