「あなたが落とした心はどちらの心ですか?」

今回は日本の昔話「金の斧 銀の斧」です。

木こりが沼に斧を落としてしまい、沼の中から女神様が「あなたが落としたのはこの金の斧ですか?それともこの銀の斧ですか?」と言う問いに、木こりは「いえ、普通の斧です」と返すと女神は「正直な方ですね。褒美に金の斧をあなたに差し上げましょう」と言うのが一般的な内容です。

この物語で思いついて考えたのですが、私が私として生まれた頃は「普通の心」を持っていたんですが、大人になるにつれてその普通の心を落っことしてしまいました。

そんなある日、美しい人が私に語りかけてきたのです「あなたの落とした心は何にでも感動できる美しいハートでしたか?それとも、辛いことがあっても耐え抜ける心でしたか?」と。

私は悩みました。それは、自分の持っていた心が強いか、弱いかを知らなかったからです。

自分の心の事なのに何故か分かりません。

私はしばらく時間をくださいと、その人に言いました。するとその人は消えてしまいました。

人間社会はいつだって「時間厳守」が基準です。

でも、そうやって時間時間時間と何でもかんでも時間に煩すぎると大事なものを落っことすのではと私は感じたのです。

ゆっくり生きると、年老いた時に自分が困る。
かと言って死に急ぐと一瞬一瞬をパノラマみたいに駆け抜けて、大事なものを見落として後から見直しても何も残らない空虚な人生が待っているかもしれないetc…。

とにかく、私は「何にでも嬉しい、ありがとうと言える純粋な心、疑わない心」などのハートを何処かに落としており、それを探すと過去の嫌な思いでも一緒に思い出す事があり自分の持っていた心なんて無い方が良いかもしれないとさえ考える始末です。

ただ、哲学的な問題で「人の心は本来どんな物なのか?善か悪か?」等のテーマは十分語りがいのあるものだと言えます。