事件より怖いもの

私たちが生きるこの国内で、取り巻く国際社会で日々起こりうる古今東西様々な場所で発生する事件があります。

人が起こす悲しい事件というのは情報操作により、嬉しいニュースより数が多い様に見えて鬱憤や涙が出てしまう事が多いです。

特に感性豊かな人はそんな悲しいニュースを見るとちょっとした事でも深く心に傷を負ってしまいます。

でも間違わないで欲しいのがその感性と自分の心が悪いんじゃないんです。

そんな報道姿勢の局も虚偽の記事として載せている事も悪いけれども今回は悪者探しがしたいのではありません。

なんと言っても事件で怖いのは犯人の動機だったり、どんな風に事件を起こしたのかとかよりも怖い物があります。

それは「事件を忘れてしまうと言う事」です。

もしあなたが泥棒に入られたり何か事件に巻き込まれたとしましょう。それに対して時が経つのは早い、もうあれから5年、20年経ったんだね(他人事)と関係ない人から言われたらどんな気持ちになりますか?

日本国内で起きた痛ましい事件。

被害遭われた方、ご遺族、関係者の前で「○○事件は○○が犯人だ!そいつを許すな!」と関係ない人たちが話すのは勝手ですが、私が思うにそんな事よりも「○○事件は忘れない」と其々に胸に思っていた方が良いのではないかと思うのです。

忘れてしまう事。

事件、犯人が悪い…のではなく、その「歴史」を忘れずに学んで次に活かす事が私は大切なのではと考えております。

そんな私が忘れない、後世の人に伝えたいと思っている事件があります。

1996年7月12〜13日に明らかとなった堺市児童集団下痢症事件。俗に言うO157事件である。

この事件、色々と思っている事がありますがそれはまた別の機会にと言う事で。それでは。