光ったら生存に不利なのか?

生物とは面白いものだと私は考える。

例えば、蛍(ホタル)。
蛍はこの地球に生まれた時、偶然「光る」という性質を持ちながら誕生した。

闇夜の中で例え鈍くとも、光を放っている生物なら当然、蛍よりも強い存在に捕食される可能性がある。
でも安心して。ホタルは「毒」を持っていますから。

ホタルって外敵から狙われる為に生まれてきたのかとしか思えない存在だと思っています。
ただ、それが自然の摂理で弱肉強食が自然の中にはこのように広がっているという縮図を簡単に教えてくれる良いシステムなのだとも改めて実感できます。

一方で人間はどうでしょう?対比としては、ホタルを研究・観察したりします。
ホタルからは離れて、考えてみましょう。
ここの人間社会では「出る杭は打たれる」なんて諺も昔の人が作って現代でもまだまだ至る所で、ここnoteでも見られます。

新しい事、考え、それらを発言する人は世の中から良い評価を受ける事が必ずしも多いとは限りません。もしかすると、素晴らしい考えを持った光輝く存在が、有象無象の中に埋もれているかもしれませんね。

アイデアをポンポン出す存在は周りから「そんなアイデアが通るわけ無い」「必要無い」と拒否され大衆からは受け入れられません。受け入れられていたらこんな世の中にはなってなかったのではないかと思います。

中身の無い者はいつの時代でも数を誇りますね。
その中身の無い者が発するアイデアは大衆からは受け入れられます。何故なら「同調」出来るからです。

他人の考え、それが価値が有るか無いかはその都度変わってくるものの、大半がその人の「見る目」が一番だと私は考えます。

なんかこの人の言うこと辛口じゃない?それって他人への僻みでしょ?ご感想は後ほどどうぞご自由に。

群れる事でしか何も出来ないのは"考え"じゃありません。皆と同じ考えじゃなきゃ私はダメ・・・って考えるのは必ずしもポジティブな結果を生み出すとはとても思えません。

他人とは違った考え方、それは「自分は自分でいい」という事。

勘違いして欲しくないのは、「自分は自分でいい」という言葉にはよくある"あの言葉"の事を言っているのでは無いのを断っておきます。

私の言う「自分は自分でいい」とは、己の外部から受ける感性や感動する事が人一倍強くて、尚且つそんな素晴らしいものが生み出せる他者が羨ましいと思ったりする事よりも大切なのは自分が生み出した作品や、それを生み出せた自分を尊いと思う事が大切なのであって、自分の描いた作品(小説でも絵でも)は決して他者が1cmの違いも無いレベルで描けるものでは無い。
それがレベルが低いだとか、万人受けする作品だとかは作者が考えればいいのです。

ここは普通は作者ではなく、「手に取った人」が評価するのだと言うと思いましたか?それは昔の考えです。私の思う新しい考えというのは私が作った(生み出した)のだから手に取る人が傑作だとか言うのではなくて私自身で受け取っていればいい。だから、「自分は自分でいい」のだということなのです。